世宇子スタジアムの薄暗い通路。
それはまるで彼――アフロディの心の中のようだった。絶対的な勝利を確信していた彼に叩きつけられた現実は敗北。そして、偉大な指導者と仰いでいた影山は、
人を神の領域にまで到達させる神のアクア――ドーピング薬の開発と使用によって警察に逮捕された。
「…………」
アフロディに残されたもの。
それは力を失っていく感覚だけ。神のアクアによって得た強大な力。しかし、それはあくまでかりそめの力。
神のアクアの効果によって一時的に得た力であって、実際にアフロディの体に宿った力ではない。
それ故に、力の源を失ったアフロディから力は失われていく一方だった。
「(…なんてボクは弱い人間なんだろう)」
力を失ってはじめて気づく自分の弱さ。
思わずアフロディは自嘲を含んだ笑みを浮かべた。
身体的な弱さはもちろんだが、それ以上に精神的な弱さを痛感する。
力に溺れ、自らを神と称した自分――もう、愚か過ぎて笑うしかなかった。
もっと自分の心が強ければ、こんな虚無感を味わうことはなかったかもしれない。
もっと自分の心が強ければ――こんな後悔はしなかったかもしれない。
「やっと見つけた」
不意にアフロディの耳に入ってきたのは、楽しげな色を含む少女の声。
咄嗟のことに反射的に声のする方へと振り向いてみれば、そこには一組の男女の姿があった。
堕ちる神と好奇心
アフロディの目に飛び込んできた2つの影。ひとつは紺青の長髪が目を惹く長身の青年。
もうひとつは楽しげな表情を浮かべている少女――だった。思っても見ない人物の登場にアフロディはただ呆然と立ち尽くした。
「どこ探してもいないから、帰ったんじゃないかって焦ったわよ」
まるで親しい友人にでも話しかけるような調子で口を開く。
あまりにも場違いなの態度にアフロディの眉間に小さなしわがよった。
「……ボクを笑いにきたのかい」
「悪いけど、私にそんな小さな趣味はないし、そんな暇人でもないのよ」
「…なら、ボクになんの用だい」
小馬鹿にするようなの態度に、アフロディは苛立ちを隠さずにに用件を問う。
アフロディの機嫌を損ねている――というのに、
は自身の態度を少しも改めることはせず、楽しげににやりと笑みを浮かべて、アフロディに用件を伝えた。
「サッカー、続けてみる気はないかと思ってね」
の言葉はアフロディにとって思っても見ないものだった。自分は彼女にとって大切な存在――雷門イレブンを傷つけた憎い存在であるはず。
なのに、彼女は何の躊躇もなくアフロディにサッカーを続けないかと持ちかけた。今さっきまで――
いや、今も敵とみなされても仕方ないと思っていたアフロディにとって、の誘いは信じがたいことだった。――だが、それ以上に
「……結局はボクを笑い者にしたいんじゃないか…!神のアクアを失ったボクには…!!」
何の力も残っていない。
雷門イレブンを圧倒した力は、着実にアフロディの体から失われ続けている。
そんな自分がサッカーを続けたところで、ただの笑い者になるだけだ。怒りを強く含んだ視線をにぶつけるアフロディ。
しかし、それを受けたところでの顔色は変わらない。
まるで当たり前であるかのように、その顔には自信に満ちた不適な笑みが浮かんでいた。揺るぎを見せないの表情に、アフロディは畏れのようなものを覚えた。
「神のアクア。
あれは人の体を変える――というより、身体能力を飛躍的に向上させるためのものであって、
肉体を抜本から変えるものじゃないのよ?」
「…ああ、知っているよ。そう――影山総帥に聞かされたからね」
影山総帥。その忌まわしい名を口にしても、アフロディの胸に憎しみの色は広がらない。
彼を恨んでいない――そう言ってしまうと嘘になるのかもしれない。
だが、この結末の絶対的責任は自分自身が背負うものだとアフロディは思っていた。力に惹かれ、許されることではないと理解しながらも、
誘惑に負けてしまった自分の心の弱さが招いたのが――この結末。
それ故にアフロディは影山をほとんど恨んではいなかった。影山を思い出したことによってアフロディの中で強くなっていく自責の念。
悔しげにアフロディは自らの手を見つめていると、不意に顎をくぃと持ち上げられる。
驚きのあまりに抵抗も許されず、されるがままアフロディが顔を上げると、
そこには試すようなの笑みがあった。
「わかっているなら、顔上げなさいよ。下向いて、自分を責めていたって何も変わらないわよ?」
「…放っておいてくれないか。ボクにはもう…力なんて……」
「……なによ、私の言いたいこと1%も理解してないじゃない。意外に察し悪いわね」
「っ…!なら一体君はボクになにを求めていると言うんだっ」
パンッとの手を払いのけ、アフロディは苛立った様子でに問いを投げる。
そのアフロディの言葉を受けたは、一瞬意外そうな表情を見せたが、すぐに不敵な笑みを浮かべる。そして、アフロディに向って「サッカーを続けてほしいのよ」と切り出した。
「ゴッドノウズ――あの技の進化。
それと、キミの進化が見たい――それだけよ」
の顔には笑みが浮かんでいる。
だが、その瞳の奥にある光に嘘はない。本気ではアフロディの必殺技――ゴッドノウズの進化と、
アフロディ自身の進化が見たいと思っているようだ。だが、が本気であることを理解しながらも、
アフロディにはの言葉は嫌味としか思えなかった。
「ふざけないでくれ!もうボクにはゴッドノウズを放つ力なんて――」
「ええ、残ってないわね。
でも、キミにはあの技が使えるポテンシャルがあるってことは絶対じゃない」
「……なにを言っているんだ。ゴッドノウズは神のアクアがあったからできた技であって――」
「だから、言ったでしょう?神のアクアは肉体を抜本から変える――万能薬じゃないって。
あれはあくまで使用者の可能性を示す指示薬なのよ」
の言葉を聞き、少しだけ希望の光が差したアフロディの表情を見たは、
楽しげににやりと口元を吊り上げた。
「神のアクアは不完全な指示薬。
使用者の可能性すべてを指示はできていなかった――そう私は思う」
「…………」
「だから私に見せてくれない?キミの本気のサッカーを」
の問いにアフロディは答えなかった。
質問に答えるつもりがないわけではない。
ただ、選択を迷っているだけだった。からかわれているだけなのかもしれない。
何らかの策にはめようとしているのかもしれない。
影山のように――自分を利用しようとしているだけなのかもしれない。多くのマイナスな可能性がアフロディの脳裏をよぎる。
力を欲して影山の配下に加わった結果、アフロディは大きな後悔を覚えることとなった。
考え無しにの誘いに乗っては、影山のときの二の舞。
同じ過ちを繰り返さないためにも、アフロディは自らの頭で考えなくてはいけない。考えの読めない少女の手を取るか否かを――。
「もしもし?」
不意に鳴り出した電子音。
ややあってから青年に促される形で音源――
携帯電話を取ったのはやや面倒そうな表情を顔に浮かべた。電話の向うの相手と言葉を交わしていただったが、
途中で通話を切られてしまったらしく、途切れの悪いところで急に言葉を止めた。この状況に思うところがあるらしいは、盛大に深いため息をつく。
だが、不意にビクリと身を震わせると、自分の背後に控える青年に不満げな視線を向けた。
「………」
「なんだその目は」
「…………」
「お前は俺をなんだと思っている。俺は超能力者ではないんだが」
「…今回ばかりは超能力者であって欲しかったわ」
そう青年に言葉を返したの口からまたため息が漏れる。
だが、ことは急を要するようで、
はスッと表情を凛としたものに変えると、何も言わずにアフロディに背を向けた。それを見た青年がに待たせている車を使うように言うと、
は青年――蒼介の手のひらを自分の手のひらで叩き、
蒼介に「任せた」とこの場のすべてを任せると、彼の返事も聞かずこの場を去ってしまった。アフロディが答えを返す前に去ってしまった。
残されたのはアフロディと、おそらくアフロディのことを任されたであろう蒼介。
という共通点がなくなった2人の間には沈黙が続いている。
お世辞にも空気はよいものとはいえず、重苦しい沈黙が続く中、不意にアフロディが口を開いた。
「…どうしてあなたたちはボクに構うんですか」
「お前に構いたいのはだけ。
俺は任せられただけの話で、お前に対して興味などひとかけらもない」
はっきりとアフロディに対して興味がないと言い捨てた蒼介。
だが、不思議と驚きはなかった。彼はと共に姿を現したが、はじめからアフロディに対して興味の色は微塵もなく、
ただのの付き添いでしかないといった様子だった。
故に、蒼介の返答はある意味で当然といえるものではあった。
「…もうひとつ、聞いてもいいですか」
「なんだ」
「どうして――彼女に従うんですか?」
蒼介とのやり取りを聞いた限り、2人の間に主従関係があるようには思えない。
かといって、単純に信頼しあっているからというようにもアフロディには思えなかった。すると、蒼介はアフロディに「従っていない」とやや不機嫌そうに言葉を返した。
「同調する部分があって協力しているだけだ。無条件で協力しているわけではない」
「同調…?彼女のどこにそんな部分が…」
「才ある人間の可能性の芽を枯らすのは惜しい。――尤もなことだ」
思わぬ蒼介の肯定に、アフロディは思わず目を見開く。アフロディに対して興味はない――そう蒼介は言ったが、
アフロディに秘められた才能はと同様に買っているらしい。
思ってもみない蒼介の言葉にアフロディは思わず面食らったが、
それと同時に背中を押されたような気がした。
「ボクは…強くなれるんでしょうか…」
「知ったことか。答えを出すのは俺ではなく、お前だからな」
そうアフロディに言葉を返すと、蒼介はアフロディに背を向けて来た道を戻っていく。
振り向きもしなければ、声をかけてくることもない。
あくまで本人――アフロディ次第だとでも言っているかのようだった。未だにアフロディは、のことを信用することはできていない。
だが、なぜかこの蒼介の言葉は信用することができた。
おそらくは、その徹底的なアフロディへの興味の無さが要因だろう。何らかの下心があれば、誰しも相手への興味を隠すことはできない。
だが、蒼介には明らかにアフロディに対する興味が無かった。
もし、これが演技であれば相当の役者だが、仮にそうであったとしても、
もうアフロディは選択を間違えるつもりは無い。彼は後悔の中から――間違いを学んだのだ。
「(ボクはもう、間違ったりしない。
そして、ここから――立ち上がるんだ)」
先を行く蒼介の背をアフロディは追った。自らの意思で。
■あとがき
雷門イレブンがエイリア学園の襲撃を受けている頃、夢主はこんなことしてました(笑)
蒼介にてるみーのことを任せて行きましたが、てるみーが自分たちの手を取ると確信していたわけではないです。
てるみーと雷門を天秤にかけたとき、雷門に傾いただけです。
つか、あのまま夢主がいたら逆にてるみーは去って行ったような気がします(笑)