「霧美ー、泣くなー」
「……意地の悪いこと言わんといてっ」
携帯電話のから聞こえたのは、
海慈にとっての双子の妹――霧美の台詞と「ずびっ」という鼻をすする音。その音によってすでに霧美が泣いていることは明らかだったが、
それでも海慈は霧美に「泣くな」と言い続けた。
「シローを信じるって決めたのは霧美だろー?おねーちゃんとして頑張ら――」
「頑張ってます」
「ですよねー」
一気に凄みの増した妹の声。
双子の勘と長年の経験によって、海慈の頭に刻み込まれたその声は、
間髪をいれずに生命の危険を知らせる警鐘を鳴らす。
これは不味い――と理解するよりも先に、海慈は霧美を宥めるためにとりあえず彼女を肯定した。すでに恒例のやり取りとなっていることもあり、
霧美の怒りは爆発することなく引っ込んでくれたようで、
怒りの名残に「ほんまにお兄は…」とやや不機嫌そうに言葉を漏らすだけで終わっていた。霧美の怒りが落ち着いたことを感じ取りながら、
海慈は何の気なしに新たな話題を霧美にふった。
「おじーとおばー元気?」
「じぃじもばぁばも元気やよ」
「霧美の研修は?」
「シロちゃんたちが白恋守ってくれたおかげで順調です」
「そっか。なら、のお願い終わったらそっち戻らないで――」
「イタリアがええんと違う?」
「あ、やっぱりそうなる?」
「彼がイタリアにいるとは限らへんけどね」
「んー、気長に探してみる。手がかりぐらいはあると思うし」
「……海外とはいえ、気ぃつけてな」
「もちろん」
最後に「じゃー」と暢気に別れの挨拶を告げて、海慈は携帯の通話を切った。使い慣れない携帯電話をポケットにしまい、使い慣れた大きなスポーツバッグを海慈は掴む。
そして、忘れ物はないかしっかりと確認すると、ホテルの一室を出る。
それからエレベーターを使って下の階へと降り、
ホテルの受付でチェックアウトを済ませて「ありがとうございましたー」と言って、
福岡での一夜を過ごした小さなホテルを出た。外に出た海慈はまずひとつ大きな深呼吸をする。
つい先日まで過ごしていたマダガスカルと比べると、この町の空気はあまりおいしくはない。
だが、マダガスカルに比べてかなりすごしやすい気温ではあった。
「やっぱり日本最高ー」
「あははー」と暢気に笑いながら、
海慈は昨晩歩いてきた道をもどるように歩き始めた。
自由人の手記より
−雷門イレブンと一緒−
海慈の泊まっていたホテルから病院へと戻る道の途中――そこに陽花戸中はあった。元々は、この陽花戸中に保管されている円堂大介のノートを
自分の目で確かめるためにやってきたのだが、
その途中で海慈の義理の弟である吹雪がエイリア学園との試合で負傷した――と聞き
急遽、陽花戸中からそのまま病院へと直行する形となっていた。この吹雪の負傷が偶然なのか、必然なのかはわからないが、
くるところまで来てしまった以上はもう海慈の感知するところではない。
無責任と言われても反論はできないが――後は野となれ山となれ、というのが海慈の本心だった。
「…あれ?」
陽花戸中の校門を抜け、陽花戸中の敷地内に入った海慈の目に飛び込んできたのは、
予想を遥かに下回って活気のないグラウンド。
活気はないが、人気がないというわけではなく、
昨日病院で出会った雷門イレブンのメンバーたちが一応程度に練習はしていた。チームメイトが負傷した昨日の今日。
彼らの気持ちが落ちてしまっても何の不思議はない。寧ろ、自然だとすら言える。
しかし、それにしても彼らの落ちこみ様は異常だった。あえて考えることはせずに「どうしたー?」と声をかけようとした海慈だったが、
不意に一番見慣れた姿がないことに気付くと、急遽質問の内容を変更した。
「おーい、守くんどったのー?」
雷門イレブンのキャプテンであり、精神的支柱であるキーパーの円堂守。
雷門イレブンのメンバーの中で、海慈が唯一個人的に話したことのある少年であり、
最も興味を持っているプレーヤーである彼がいない。十中八九、彼らが沈んでいるのは円堂がいないことが原因だろうと踏んだ海慈は、
挨拶もなしに直球で円堂について尋ねると、
問いを投げれられた少年と少女たちはやや困惑した様子で顔を見合わせていた。「あれ?意外と人見知りする子たち?」と的っ外れな仮説が海慈の頭に浮上するが、
ふと自分が彼らとほとんど初対面みたいなものだということを思い出し、「当然の反応か」と納得した。彼らにとって海慈はただの「吹雪の義理の兄」でしかない。
そんな第三者とくくられるような存在に、
おそらくはデリケートな話題なのであろう円堂の話をホイホイと話せるわけがない。
前置きもなくデリカシーの話題を振ったことを、海慈は謝ろうとしたのだが、
それよりも先に鬼道が「あそこです」と言って陽花戸中の屋上のある一角を指差した。鬼道に促されるまま視線を屋上へと伸ばせば、
そこには青と黄色のジャージを来た少年の影がひとつ。元気のない背中。その背中に海慈は見覚えがある。
それは久々に稲妻町へやってきたときのこと――
円堂と初めて出会ったときに見た背中とほとんど同じだった。心持ち、あの時よりも背負っている影は暗い気もするが、まぁ問題ないだろう。
「……と同じ反応をするんですね」
「えー?」
不意に思っても見ない台詞を鬼道に言葉をかけられ、海慈は首をかしげる。
と自分は似ている部分が無いわけではないが、
こういった場面では比較的同じリアクションを見せることは少ない。だというのに、鬼道少年は海慈がと同じ反応をしているのだという。
海慈としては信じ難いことこの上ないのだが。
「も笑うんです。――そうやって」
「酷い!俺は笑ってるんじゃないよ、微笑んでるんだよ!
『守くんなら大丈夫だな〜』って微笑んでるだけだから!」
「……そ、そうだったんですか…」
「そだよー。俺はと違って、人の苦悩を『チャンス』とまで前向き解釈できるほど神経図太くないよー」
が悩む人間を見て笑う時――
それはその存在が壁を乗り越えて、大きく成長した姿を想像してワクワクしている印。
けして人の不幸を喜んで笑っているわけではないのだが、
壁にぶつかった以上は乗り越えるしかないわけで、
それを成長のチャンスと解釈している風のあるの笑みには、強い好奇心と若干の嗜虐の色がさす。しかし、海慈は人が壁にぶつかって苦悩している姿を、そんな恐ろしい笑みを浮かべて見ていた覚えなどない。
あくまで海慈が笑うのは、その存在ならば壁を乗り越えられるだろう、という安心からの笑みであって、
の浮かべる笑みとはまったく別物だ。
「(でも、今の守くんの姿見たら、確実には『笑う』なぁー……)」
「…あの、円堂くんは大丈夫……なんですか…?」
「へ?」
「円堂くんなら大丈夫――そう、思ったんですよね…?」
不安げに海慈の顔を見ながら尋ねてくるのは秋。
よっぽど円堂のことを心配しているらしく、海慈の答えを真剣に待っていた。しかし、海慈の「大丈夫」には確信や確証というものは一欠片ほどもない。
あくまで海慈の経験からなる――よく当たる勘でしかなかった。それでも、気休めに程度にはなるかと、海慈は苦笑いを浮かべながら秋に言葉を返した。
「ただの勘でしかないけど、俺は守くんなら大丈夫だと思うよ」
「……なんだよ、勘かよ」
「小暮くん!」
海慈の言葉に、秋よりも落胆の色を見せたのは小暮。
期待はずれと言わんばかりの小暮の態度に、春奈がそれを咎めるように彼の名前を呼ぶが、
海慈は「いいのいいの」と春奈を宥めた。海慈に止められたものの、小暮の態度が許せなかったらしい春奈は「でも」と口を開いたが、
穏やかな笑みを浮かべて「まぁまぁ」と海慈にまた宥められ、今度は大人しくなった。
「――ところで、吹雪のお兄さんがなんでここに?」
「あ、そうそう。ここにいる『立向居勇気』って子に会いに来たんだよー」
「……ですか」
土門に核心を尋ねられ、海慈が立向居に会いに来たことを彼らに伝えると、
確信を持った様子で鬼道が依頼人の名前を言い当てる。
完璧に正解を言い当てた鬼道に、海慈は「その通りー」と笑顔で正解だと告げると、
それを聞いた鬼道は「やはりか」と言うかのようにため息をひとつついた。これまでの彼の様子を見てきた限り、とはかなり親しい関係なのだろう――と、海慈は思った。
理解に時間を必要とする「御麟」という人間を、彼はある程度理解している。
「大変だったろうなー」と心の中で苦笑いを浮かべながら、海慈は彼に今更な質問を投げた。
「今更なんだけど名前聞いてもいいかな?」
「…………」
本当に今更過ぎる質問。
というか、鬼道としてはすでに自分たちのある程度の情報は、
を通して海慈には伝わっているのだろうと思っていたのだが、
その鬼道の予想は大きく外れて海慈に自分たちの情報は一切伝わっていないようだった。確信にも近かった予想がはずれ、
若干の動揺を残しながらも鬼道は海慈に自分の名を告げた。
「…鬼道有人です」
鬼道有人。
その名前を鬼道が口にした瞬間、海慈の目に一瞬だが動揺の色が走った。それに鬼道は気付いたが、海慈と同様に驚いたのは一瞬だけだった。
「そっか、君が――有人くんなんだ」
納得したように笑顔を見せる海慈。
だが、その心の内は本当に笑顔なのか――鬼道は疑った。影山を心の底から嫌い、拒絶している。
そのにとって「運命共同体」である海慈。
彼もまた、と同様に影山に対して嫌悪感を持っていても何も不思議はない。
そして、その影山の元にいた自分に対しても――嫌悪を抱いてもおかしくはないだろう。しかし、そんな鬼道の気持ちを察したのか、それとも端に鬼道の陰りに気づいたのか――
海慈は少し不思議そうな表情で「どした?」と鬼道に声をかけてくる。
その様子に鬼道が考えているような複雑な気配はなく、海慈の鬼道を見る目には純粋な心配の色だけがあった。いつだったかの言っていた「複雑なようでストレート」
――その意味がよくわかった気がした。気を取り直して鬼道が「なんでもありません」と海慈に返事を返すと、
海慈は「ならよかった」と笑顔で見せ、
他の雷門メンバーに「みんなの名前も教えてー」と名前を聞き始めた。
「(やはり一之瀬と塔子は知っていたか…。だが、春奈のことまで知っているとはな)」
雷門イレブンメンバーが自己紹介を進める中、
海慈が大きな反応を示したのは一之瀬と塔子――そして鬼道の妹である春奈。塔子は旅の途中でも何度か出会ったSPフィクサーズの勇を通して、
一之瀬はおそらくと一之瀬の共通の知り合いであるらしい「オズ」と呼ばれる人物を通して、
そして春奈については鬼道のことを話すときにを通して伝わったのだろう。海慈とは連絡が取れていない――
と、鬼道は思っていたが、意外に連絡はちゃんととれていたようだ。ほんの一瞬、世宇子戦前に持ち上がった「地底人説」について聞いてみたくなったが――
今聞くべきことではないと、自分の疑問に蓋をして、鬼道は今質問するべき問題を海慈にぶつけた。
「海慈さん、あなたは立向居に会いに来ただけなんですか?」
「そだよー」
これでもかと言うほどにあっさりとあまり嬉しくない答えを返してくる海慈。
だが、すでにこの返事を予想していた鬼道にはそれほど大きな落胆の色は浮かばなかった。ところが、と違って海慈が自分たちを手助けしてくれるのでは――
と、無意識に思っていたらしい壁山や塔子たちは落胆の色を見せていた。
「いやー、ごめんなー。
霧美だったら色々できるんだけど、俺キーパーバカなもんだからー」
「ごめん」と謝罪の言葉を口にしながらも、それほど申し訳なさそうではない海慈。
おそらく、彼に指導力があったとしても、彼は雷門イレブンに指導をすることはなかっただろう。
それが絶対的なの方針である以上は。――と、なると海慈をここに長々と引き止めていても仕方がない。
彼に理論的指導――ができるのかはわからないが、
マジン・ザ・ハンドの理論を理解しているという海慈の存在は、
立向居のマジン・ザ・ハンド習得の大きな力となることは間違いないだろう。
「海慈さ――」
「マジン・ザ・ハンドー!」
「マジン・ザ・ハンド!?」
突然なんの前触れもなく大声を声を上げた海慈。
海慈を立向居の元へ案内しようとした鬼道だったが、
唐突過ぎる海慈の大声に思わず気圧され、言葉を飲み込んでしまった。
「じゃ、俺行くね!」
好奇心いっぱいのキラキラと輝く笑顔でそう告げると、
海慈は「あっ」という間もなく雷門イレブンの前から姿を消すのだった。
■あとがき
なんとなく、鬼道と海慈のからみが多くなりました。意図はないです。不可抗力です(笑)
実のところ、海慈と夢主は本当に極稀にしか連絡を取れていません。
一之瀬や塔子の情報が伝わっていたのは、勇たちが海慈と情報のやり取りをしやすい環境にいるからです。
とはいえ、勇たちも海慈からの連絡を一方的に受けることしかできないんですけどね(笑)なんといってもツチノコなので。