暗がりを、少年の姿をした少女――真斗が進む。地下に作られたこの空間は、壁も床もむき出しの鉄板のまま。
視覚から感じる金属の冷たさは、地下特有の湿った空気を
なおさらに湿ったように感じられるだけではなく、悪寒にも似た冷たさをも感じさせた。だが、それを真斗は一切気にしてはいなかった。
――というよりも、そんなことは目にも頭にも入っていないといった方が正しいか。
真斗が在籍している京都の漫遊寺中から、東京は稲妻町にまでやってきた真斗。
それはの要請――実兄である蒼介の手助けをするという目的を果たすため。
そして、真斗は蒼介の指示を受けて更に稲妻町は雷門中のイナビカリ修練所にまで足を運んでいた。
「(兄様に会えるっ…!兄様に会えるっ…!!)」
一応、真斗に任されているのは、エイリア学園との戦いを影から支援するという大きな仕事。
が、真斗はそれよりも敬愛する実兄の蒼介と会うことができることの方が重要であり、
彼を手伝うことの方が大きな仕事だった。
浮かれるどころか、滅多に感情を表に出すことすらしない真斗だというのに、
今の彼女に冷静沈着だった頃の面影はまったくない。
しかし、冷静になってから彼女が今の自分の姿を見たとしても、
「当然のことだ」と言って恥ずかしがることも、後悔することもないだろう。
それだけ、彼女の中を占める蒼介の存在が大きいということだった。
ふと、真斗が足を止める。
真斗の目の前には壁などと同じく加工を施されていない鉄の扉。
一瞬、真斗は面倒くさそうな表情を見せたが、扉の横に設置されていたコンソールに情報を入力する。
すると、ピピッという電子音が響き、その次の瞬間にはゴゴゴ…と重い音を立てながら鉄の扉がゆっくりと開きだした。
ゆっくりと深呼吸をひとつ、真斗はついてからあまたを冷静なものに切り替えた。
興奮有り余って蒼介の前で無様な姿をさらすわけにはいかない。
ましてや、蒼介の足を引っ張るなど言語道断だ。
蒼介のためにも、どこかで戦っているヘタレのためにも――真斗は扉の奥へと足を進めた。
宮ノ森真斗の逆鱗
スラリとした長身。
痩せているわけではなく、程よくついた筋肉が引き締まっているからこそ。
黒のスーツを身にまとった男らしい体つきとはアンバランスな、真斗と同じ色の長い髪。
だが、それは彼の優雅さを表しているようで、また魅力的だった。
ああ、やはりこの方は素晴らしい――
そう、改めて感動した真斗は、心の中で軽く頭を振って、
冷静な思考回路を再起動してから更に足を進めた。
「兄様」
真斗が「兄様」と呼ぶと、黒いスーツの男が振り返る。
冷気さえ纏っていそうな、切れ目の真斗と同じ色の瞳。
その目に見つめられた瞬間――真斗の背筋にゾクリと甘い悪寒が走った。
体の奥からゾクゾクと何かが湧き上がる――が、
それを表に出していいときではないと、自分に強く言い聞かせて真斗は蒼介の前にザッと膝を付いた。
「と兄様の命を受け、真斗参上いたしました」
「…ああ、助かる」
もし、これがマンガかアニメだった日には、真斗の背中には大量の花が咲き乱れていることだろう。
蒼介の立った少しの労いの言葉でさえ、真斗にとっては何にも勝る嬉しいものだった。
蒼介から労いの言葉をかけられてホクホクとしていた真斗だったが、
不意に蒼介の視線が自分から元の方向へ戻ったことに気付くと、蒼介につられるように視線を部屋の奥へと向けた。
今の今まで、蒼介以外の人間を認識していなかった真斗。
だが、最初からこの部屋には蒼介と一緒にもう1人人間がいたようだ。
長い――金色の髪。
それをなびかせてトレーニングに励む――少女とも見違うような少年。彼の動きには無駄が多い。
だが、時々見せる彼の優雅さを帯びた動きに――真斗の心はイラついた。
「照美、こちらへ来い」
蒼介が金色の少年を呼ぶ。すると、トレーニングマシンの動きがゆっくりと止まり、少年の動きもまたゆっくりと止まる。
そして、蒼介の言葉を受けた少年は、「はい」と返事を返してから小走りで蒼介たちの元へとやってきた。
「真斗、これが俺たちの仕事相手だ」
金色の少年を前に、蒼介はそう簡潔に伝えた。仕事相手――それは、これから真斗が彼を鍛えるためにトレーニングに付き合うことになるから。
そして、彼が自分たちの代わりにの――いや、イナズマキャラバンの力になる存在になるから。この「仕事相手」に不満はない――が、
「なるほどな」と納得しながらも、真斗は心の中で舌を打った。
「……あの、心皇さん。彼は……」
「真斗はこれからお前の練習相手になる人間だ。
…お前も、いつまでも機械相手では物足りないだろう」
初めて顔を会わせた真斗に、興味と不審感を感じているらしい金色の少年。
だが、蒼介の言葉を受けると、先ほどまでの不審感が偽りであったかのように、
彼の真斗を見る目には興味しか残っていなかった。
スッと金色の少年が真斗の前に一歩進み出る。
そして、友好的な笑みを浮かべて真斗の前に手を差し出した。
「ボクは亜風炉照美。これからよろしく」
亜風炉照美――金色の少年の名前はそれだった。ギリシャ神話の愛と美の神アフロディーテ――それを思わせる名。
男が冠すには不釣合いな名前だというのに、
そこらの女よりもよっぽど彼はその名を冠すにふさわしく思えた。
別に、女として彼に対して劣等感を感じているわけではない。
だが――どうにもこうにも、真斗は彼のすべてが気に障った。
とはいえ、「仕事」に私情をはさむわけには行かない。
彼は気に障るが、蒼介の足手まといにはなりたくはない。
真斗はそう心の中で自分に言い聞かせると、「ああ」と言って金色の少年――照美の手を取った。
「それから、これから俺のことは『蒼介』と呼べ」
「!」
「…?どうしてですか?」
「俺の勝手だ」
「そう…ですか。わかりました、これからは蒼介さんと呼ばせてもらいます」
「…そうしてくれ」
「っ…!」
「…どうかしたのかい?真斗くん?」
何かが――ブツリと切れた。
だが、それはおそらく堪忍袋の緒ではない。
これはもっと別の何か――だが、常人には理解できない、
真斗のパーソナルな部分であり、コアな部分の何かが切れたことは確かだった。
「兄様!!なぜこんな奴に兄様の名を呼ばせるのですか!
というより貴様!なにを当たり前のように兄様と話している!
貴様如きの有象無象が…馴れ馴れしく口を聞いていいと思っているのかッ!!」
残念かな、この場に真斗の残念な言動に対して、
きっちりと突っ込みを入れるような存在はいなかった。蒼介と似た雰囲気を持った真斗を、無意識のうちに冷静な人物と思っていた照美は真斗の豹変ぶりに硬直し、
自分への敬愛を毎度のように爆発させた真斗を、蒼介は涼しい顔で見守っている。このカオスと化した空間の中で、口を開いたのはことの原因の真斗だった。
「が貴様にどれほどの価値を見出したかは知らんが、
兄様の名を呼ぶことを許されるだけの実力がるようには見えん!身の程を――」
「真斗、やめろ」
照美に対して更に不満を爆発させようとした真斗の暴走に待ったをかけたのは蒼介。
真斗を止めた蒼介の表情に動揺などはなく、きわめて冷静な表情だった。
しかし、止められた真斗といえば、未だ興奮状態にあるようで、不満げな表情で蒼介に視線を向けた。
「しかし兄様!」
「俺が望んだことだ。
…それに、俺が『心皇』の名で呼ばれるのは、お前も気分がよくないだろう」
「それは…」
冷静に、真斗の痛いところを突いた蒼介。
その一言に思わず真斗も口ごもった。確かに、真斗は蒼介が心皇の名で呼ばれるのは気分がよくはない。
家のことを考えれば、この上なく名誉なことではあるが、
自分と蒼介が兄妹ではない――そう言われているようで心穏やかではなかった。
そうやって、蒼介が自分を気遣ってくれることは嬉しい。
だが、照美が蒼介を名前で呼ぶことは、それはそれで腹立たしかった。
「…ご兄弟……だったんですね」
「ああ、妹だ」
「…………」
「…………」
「…………」
しばし続いた沈黙。
だが、これも当然のこと。真斗は常に男として振舞っているのだ。
逆に女だと見抜かれた方が問題だ。
――しかし、少女のような少年である照美はだいぶ冷静なようで、
驚きを前面に押し出すことはなかった。
「勇ましい妹さんですね、蒼介さん」
「…おい、貴様……なんだその含みのある言い方は」
「他意なんて……ボクは純粋にアナタの勇猛さを賞賛しているだけださ」
ニコリとこの上なく楽しそうに微笑む照美。明らかに――真斗を馬鹿にしている。
おそらく、自分の美しい姿に嫉妬している――と彼は思っているのだろう。
違う――が、彼が自分をどう思うかは関係ない。
彼が自分を馬鹿にしていようがいまいが――真斗は全力を持って彼をつぶすのだから。
「の奴に、頭を下げなくてはいけないようだな」
「ならボクは、蒼介さんに頭を下げなくてはいけないかな?」
■あとがき
てるみーと真斗の邂逅話でした。初っ端から真斗が大暴走だよ!まぁ、蒼介が居たせいなんですが(苦笑)
そんなわけで、てるみーと真斗は仲が悪いです。――なんですが、てるみーの方はそんなに真斗を嫌ってないです。
しかし、真斗はてるみーが大嫌いです(笑顔)でも、てるみーの実力を認めているからこそ、彼が嫌いなんですけどね。