ヒデ・ナカタ――彼は日本人でありながら、
イタリア代表のサッカーチームであるオルフェウスのキャプテンを務めるほど、
高い実力と優れた才能、そしてカリスマ性を持った素晴らしい選手だ。しかし、彼はオルフェウスのキャプテンでありながら、
チームメイトを残してどこかへと行方をくらませてしまっていた。時がきたら戻る――そう言い残していなくなってしまったオルフェウスのキャプテン。
しかし、オルフェウスはヒデが後任として選んだキャプテン――
フィディオ・アルデナの統括の下で、チームとしての形を形成していた。
「………」
ここ数日で歩きなれた道を、フィディオは黙って歩いていた。チームメイトたちは既に食堂に向かってしまったが、
フィディオには食堂へ行く前に――ひとつ日課としていることがあった。フィディオたちがサッカーの練習をしているグラウンドから大分離れた場所――宿舎の裏。
人が訪れることなど滅多にないのだが、フィディオは練習がある日は必ずこの場所に足を運ぶ。
チームメイトたちからはキャプテン代理としての義務と思われているようだが、
フィディオはあくまでこれは自分が勝手にやっていること――義務ではないと考えている。そう、これはただのお節介なのだ――と。
「エンジ、今日の練習は終わったよ」
フィディオが言葉を投げる。
しかし、答えは返ってこない。――だが、そのことをフィディオは気にしてはいなかった。宿舎裏に1人たたずんでいる少年――エンジ。
フィディオと同じくオルフェウスのユニフォームに身を包んだ彼もまた、
イタリア代表に選ばれた選手の1人。
しかし、彼は今まで一度たりとも練習に参加したことはなかった。彼が練習に参加しない理由――
それは、練習が面倒くさい、辛い、面白くない――なんて理由ではない。
正直、それらが理由だったならよかったのだが、彼の理由はもっと解決の困難な理由だった。バシィンッ!――と、心地よく響く音。
それは、エンジが木に吊るされた古タイヤを蹴った音。
蹴られたタイヤは真っ直ぐ上がり、そのままぶれずに同じ位置に戻ってくる。
そして、戻ってきたタイヤはもう一度エンジに蹴られ、また真っ直ぐ上がった。パワーとコントロール力。
この2つが備わっていて初めてできる芸当――
おそらく、今のフィディオの実力では、エンジと同じことはまだできないだろう。
「(もう…少し――いや、まだもうちょっとかかるかな……)」
――そう、彼がチームの練習に参加しない原因はこれだった。オルフェウス内で、エンジよりも実力が勝っていたのは、キャプテンであるヒデただ1人。
その彼がいなくなり、自分よりも実力が劣るフィディオが
オルフェウスのキャプテンとしてチームを仕切っている――それがエンジには許せないらしい。エンジ自身がキャプテンになりたかった――というわけではなく、
自分よりも実力が劣る存在に指図されることが、彼には何よりも不満らしい。そして、反抗するようにエンジはチームの練習に参加しないのだった。
「(オレが強くなれば――)」
心の中で決意を改めようとしたフィディオ。が、不意に聞こえた聞きなれた靴の音と――
コツコツコツ、という聞き馴染みのない靴の音に思考を遮られ、思わず後ろを振り返った。
夢路たどれば
−拒絶−
フィディオの目に入ってきたのは、夕日を背負った髪の長い少女。恐い――と思ったわけではないのだが、
なぜかフィディオの足は一歩後退していた。一定間隔で刻まれていた衝撃音も止み、辺りは静寂に包まれている。
だが、決して居心地のいい静寂ではない。
吐き気をもよおすような圧迫感のある――沈黙だ。この重い沈黙の原因は、考えるまでもなくエンジとあの少女。
一体何なんだ――とフィディオが困惑していると、不意に何者かがフィディオの腕を引いた。
「(アンジェロ…一体どうしたんだ?)」
「(あ…フィディオも覚えてないんだ)」
「(覚えてないって……)」
アンジェロの言葉を受けて、フィディオは改めて少女に視線を向けた。ウェーブのかかった長い山吹茶の髪。
日本人にしては少し白い肌と、樺茶色の瞳。
背はスラリと高く、痩せすぎていないが引き締まった体は、
鍛えられたものだということが分かる。――が、これらの外見的要素から、
フィディオは彼女が何者であるかを思い出すことはできなかった。未だ沈黙が――いや、エンジと少女の睨み合いが続く。
どちらかが口を開けば空気も動くはずなのだが、
意地になっているのかどちらも口を開こうとはしない。まぁ、本当に意地になっているのはエンジだけのようにも見えるが。
「…………」
「ちょ、エンジ!」
宿舎の壁の近くにおいてあったスポーツバックを掴み、
エンジは何も言わずにその場を立ち去ろうとする。そんなエンジをアンジェロは呼び止めるが、
彼の制止を無視してエンジはアンジェロたちの横を通り抜けて立ち去ろうした。
「今のアンタに、戻る場所なんてないわよ」
エンジが少女の横を通り抜けるか否か――
そんな一瞬に、沈黙を押し通していた少女があっさりと口を開いた。突然口を開いた少女に驚いたのか、
今まで反応と言う反応を見せなかったエンジが慌てて少女の方へと振り返る。
しかし、少女の視線はエンジの方を向いてはおらず、先ほどまでエンジがいた方向に向かっていた。ずっと沈黙を保ってきたエンジ。
だが、少女の言葉をきっかけに口を開くのか――
そう、フィディオは期待したが、エンジがそう期待通りには動いてくれないようで、
エンジは憎らしげな表情を浮かべて少女を一瞥すると、そのまま本当に去ってしまった。一応、アンジェロがもう一度エンジに待つように声をかけたのだが、
やはりアンジェロの言葉でもエンジを止めることはできないようで、
エンジは足を止めることはなかった。
「…、これでよかったの?」
不安と心配の混じった表情で、
アンジェロは少女――にエンジを引き止めなくてよかったのかと尋ねる。アンジェロの問いを受けたは、少し困ったような表情を浮かべて
「想像の範疇だったから」と返すと、おもむろにエンジが使っていたタイヤに触れた。
「…身体能力だけは成長してそうね」
苦笑いを浮かべてはそう言うと、
何事もなかったかのようにクルリと向き返る。
そして、あまり困っているようには見えない苦笑いを浮かべた。
「思いっきり感情をぶつけてくると思ったんだけどね」
「う、うん…それはボクも思ったんだけど……」
「単純にアイツが変わったのか、それともどこかの誰かの入知恵――か」
「え?」
の言葉が意外だったのか、アンジェロが驚きの声を上げると、
あくまで可能性の話――仮説でしかないと言っては笑う。だが、アンジェロが驚いていることを笑っているというよりは、
自分の想像が外れたことがおかしくて笑っているようにフィディオには見えた。
「それじゃ――私、帰るわ」
「ええっ!?あ、あれでいいの?!」
「まぁ、言いたいことは言ったし、アイツの気持ちも聞いたしね」
「…エンジは何も言ってなかったのに…?」
思わずフィディオの口から出てしまった疑問。アンジェロとの顔が自分に向けられたところで、
フィディオは自分の疑問が口に出たことを自覚する。2人の話に割り込む形になってしまった――と、一瞬は申し訳ない気持ちになったのだが、
フィディオが話に入ってきたことをまったく不快に感じていない様子のにホッとしながら、
フィディオはアンジェロとの元へ近づいていった。
「、エンジは…何か言っていたの?」
「なにも?」
「それじゃ…」
「お前と話すことなんてない――っていうのがアイツの答えよ」
「「え」」
確かに、今までのエンジの態度からいって、
の解釈は間違っていない――寧ろ的中しているだろう。しかし、それを平然と言い切ってしまうというのは――それはそれでどうなのだろうか。
「拒絶は百も承知――覚悟していたことだから動揺のしようがないのよ」
「………」
「…キャプテンくんも、アイツのこと嫌わないでやってね」
申し訳なさそうな笑みを浮かべてはそうフィディオにそう言うと、
最後にアンジェロに「それじゃ」とひとこと断わり、
アンジェロとフィディオを残して何事もなかったかのように去っていった。その場に残されたアンジェロとフィディオはしばしの間、
小さくなっていくの背中を黙って見つめていたが、
不意にフィディオが思い出したようにアンジェロに尋ねた。
「…結局、彼女は何者だったんだ?」
「……意外とフィディオも鳥頭なんだね…」
「なっ、ちょっとそれは酷くないか!?」
相変わらずが未だに思い出せないフィディオに、
アンジェロは少し呆れたような表情を向ける。だが、たかだか彼女1人を思い出せないだけで、呆れられる覚えはない。
たまたまアンジェロはエンジとの関係で彼女のことを覚えていただけで、
もしアンジェロがフィディオの立場だったら忘れている可能性は高い。そんな思いからフィディオがムスッとしていると、
アンジェロは苦笑いを浮かべて「言い過ぎたよ」とフィディオに謝罪すると、
「ほら」と言ってフィディオにヒントを出した。
「8年前、キャプテンと一緒に日本から来た――」
「あ」
■あとがき
イタリア男との邂逅話でしたー。 思いがけずアンジェロくんがてきぱき動いてくれて大助かりでした(笑)
この話での件を、本編でちゃんと回収できればいいんですけどねぇ…。まーた、変な方向へ転がりそうな機がするぜぇ…。
しっかし、このイタリアトリオ可愛いな!つか、アンジェロくんのキャラの光り方がはんぱねぇです。