虎の山にとっての欠点――
それは、夜間の特訓が極めて困難だということ。特訓場は自然の山の中に作られているため、夜になると文字通りの真っ暗になる。
電気が普及して以降も、特訓場自体の必要性が薄れていたこともあり、
特訓場を照らすための照明が設置されることがなかったため、
電子機器が発展した今でも虎の山の夜は真っ暗だった。欠点――とは言うが、この欠点はそれほど大きな欠点にはなっていない。
というのも、特訓の内容が基本キツいため、夜から修行を再開できる人間がそもそも少ないのだ。虎の山で修行を行っている雷門イレブンも、
就寝時間の10時までは自由時間とされ、夜からの特訓再開も許可されているのだが、
ほとんどのメンバーが温泉で疲れを洗い落としたあと、そのまま泥のように眠っていた。唯一、この特訓に慣れている豪炎寺だけは、他のメンバーよりも少し長く起きてはいるが、
それでも特訓するようなことはせずに就寝時間よりも先に眠りについていた。
「やっぱり――神経と勘が鈍ってるなぁ……」
草原の上で仰向けになった状態で、はポツリと漏らした。日中は雷門イレブンの特訓の監督が主な役目である。
場合によっては一緒に特訓をしたりもしてはいたが、
特訓どころか練習と呼ぶにもぬるい程度のことしかできていなかった。雷門イレブンをここで特訓させようと思った理由。
それは、雷門イレブンメンバー個々の身体能力の強化――が、一番の目的ではある。だが、それだけが理由ではない。
それに加えてもうひとつ、自身の特訓を行うためという意味があったのだ。実践から離れ、付き合い程度の練習しかしていなかった。
身体能力こそ、年月を重ねたことで多少成長しているが、
その身体能力を生かす運動神経は、かつてサッカー漬けの毎日を送っていた頃から比べて著しく低迷していた。
「変わってないと思ってたん――」
の独り言を遮って鳴り響いたのは携帯電話。いつもと違い、ポケットではなく腰のホルダーの中で鳴り続ける携帯を、
はややノロノロとしたペースでとり、電話の相手を確認してから通話ボタンを押し、「もしもし」と通話に応えた。
「、今どこにいた?」
「…中堅の3段目手前」
「なら、そろそろ戻ってきなよ。付け焼き刃じゃどうにもならないんだから」
「――そうね」
グサリとの胸を抉るのは電話の相手――明那。
だが、明那にはなんの悪気もないとわかっているは、
ぐっと自分の感情を押し殺して静かに明那の言葉を肯定すると、「もう戻る」と最後に告げて通話を切った。パタンと携帯を閉じれば、小窓に表示された時間が目に入る。
22時08分――が思っていたよりも30分くらい時間が進んでいた。
「…また――みんなとサッカーできる日はくるのかねぇ……」
そう言って深いため息をつきながら、は草原に沈んでいた体を無理やりに持ち上げた。
第96話:
戻ってきたモノ
虎の山での特訓最終日の夕方。
は雷門イレブン全員のデータ収集を行っていた。たった3日だけの特訓ではあったが、今まで積み重ねてきた試合が肉体に昇華されたようで、
雷門イレブンの身体能力は大きく成長し、豪炎寺との間にあった身体能力の差は小さいものになっていた。あとはボールを使った試合形式の練習で、
自分の実力と仲間の実力を感覚的に確認すれば、特訓は完了となる。
だが、は実力の確認はあえて今は行わず、ギリギリの時間まで特訓を続けさせようと考えていた。この特訓場は、長居をすればするだけ実力向上につながる。
少しでも個々の技術力のレベルアップが求められる今、
今しかできない特訓をさせることがベストだと考えたからだった。ノートパソコンを片手にが眺めているのは、明那が監督する下で特訓を行っている吹雪の姿。
精神的な壁にぶつかったことによって、サッカーをすることができなくはなってしまったが、
ボールを使った特訓が一切ないこともあり、吹雪は最初からずっとこの特訓に参加していた。
「――なんだか、雰囲気が変わったね」
「は?」
「変わった――というよりは、『戻った』と言った方が適当な気もするがな」
「あ、確かにそんな気もするね」
「……2人そろってなんなのよ突然」
話の中心にいるはずなのに、まったく話の見えない状況に苛立ちを覚えたは、
ジト目で2人――一之瀬と鬼道を睨む。しかし、に睨まれた2人だったが、威嚇にも発破にもないっていなかったらしく、
2人は涼しい顔で顔を見合わせてからスッとを指差した。
「だから、の雰囲気が変わった――って話だよ」
「特にここ最近はな」
「……自覚ないけど…」
変わった――その自覚がにはまったくないのだが、一之瀬と鬼道から言わせればは変わったらしい。
だが、そう指摘されてみれば、確かにはこの旅を始めた当初と比べると、大きく思考の「基本」は変化している。
その変化がの雰囲気を変えていたのであれば、一之瀬たちの指摘はそれほど不思議はない。しかし、不意にの頭の中で鬼道の言った「戻った」という言葉が引っかかる。
自分の頭で考えようか――と一瞬は思ったが、
はそれを却下して鬼道に「戻ったって?」と率直に尋ねると、
鬼道は少し呆れたようなため息をついたが、文句は言わずにの疑問に答えを返した。
「今のお前は、出会ったばかりの時に近い。
人を見下し、人を人と思わない――エゴの塊」
「ぅわあ…酷い言われよう……」
思いがけず鬼道から返ってきたのは辛辣な言葉。
だが、鬼道の言葉は事実な上にきちんと的を得ているため、
ただの悪口だと真っ向から否定できるものではない。
寧ろ、「そうですね」と肯定するのがある意味では正しかった。とはいえ、鬼道の言葉を肯定する気もなれず、
は苦笑いを浮かべながらとりあえず鬼道から視線を逸らそうとするが、
それよりも先に一之瀬が口を開いた。
「でも、俺はのそこに惹かれたよ。
新しい世界へ連れて行ってくれる――そんな気がしてさ」
そう言った一之瀬の顔に浮かんでいるのは苦笑い。エゴの塊――そうまで言われた幼き日の。そんな彼女になぜか光を見てしまった一之瀬。
大怪我を負って絶望の淵に立っていた自分に、
デリカシーのかけらもない辛辣な言葉を叩きつけてきた最低な存在――
そんな嫌悪の塊だったの手をなぜ最後には取っていたのか――改めて考えてみても答えは出ない。だが、それがある種の必然で、
自分だけが感じた特異なものではないと一之瀬は知っていた。
「鬼道も、俺と同じようなことを感じたんだろ?」
「…まあな」
笑みを浮かべながら一之瀬が鬼道に問えば、返ってきたのはやや呆れたような様子の肯定。
どうやら鬼道も先ほどの一之瀬同様、過去の自分が選んだ「答え」の理由がわからないようだが――
選択を誤ったとは思っていないようだった。
「自分のことだけど――わけわかんないわね」
「俺たちはもっとわけがわからないんだが」
「そう言われてもねぇ……鬼道の言うとおり、端に好き勝手やった――って認識しかないし、
寧ろ今の方が丸くなって人としてましになってると思うんだけど」
「……でも、どっちかっていうと、逆に信用欠いてない?」
苦笑いを浮かべてはいるが、
はっきりと痛い一言を言ってよこす一之瀬に、は思わず不服そうな視線を向ける。
その視線を受けて、一之瀬はやはり苦笑いを浮かべながら「いや、だって…」と弁明しようとするが、
それよりも先にの方が「そうなんだけどさ」と一之瀬を言葉を肯定した。自分を押さえ込む。
他者の意思に沿う。
対立を避ける。これらを三原則として、は過去と比べてかなり丸くなった。
正直なところ、過去のが顔を出すことは度々あったが、
それでもかつてのに比べれば、かなり大人しくなっているはずなのだが――
しかしその効果はまったくなく、一之瀬の言うとおりに逆に信用を欠いているくらいだった。人として丸くなり、理論上は人の信用を得やすくなっているはずなのに、その逆を行った現実。
不条理な現実に、思わずがため息をつこうとした瞬間――不意に鬼道が「そうか」と言葉を漏らした。
「…なによ?」
「お前が人の信用を欠いた理由に見当が付いた」
「鬼道、それって…?」
「が自分自身を押さえ込んだことによって、
中途半端な自信が、反感と不信感を買った――というところだろう」
鬼道の立てたその仮説に、は妙に納得してしまった。
人として丸くなりはしたが、人の信頼を得るような存在ではなくなっていた――そういうことなのだろう。自分が有ったり、無かったり。
ふらふらと揺れている人間が、人の信用を得るなど至難の業。
なのに信用を得ようと行動を起こしていなかったのだ、
信用など得られるはずもないし、不信感を抱かれるのも道理だろう。やっと納得のできる結論に行き着き、
の中でブツブツと途切れていた事柄が全て繋がった。
「私も、変わった――というか戻った理由がわかったわ」
「…どういうことだ?」
「自分自身への、信用と自信が取り戻せつつあるせいよ」
の根底にあるのはいつも海慈たち――仲間の存在。
彼らが自分を肯定してくれるからこそ、は自分を肯定できた。その肯定は自分自身への信用と自信につながり、決して揺らぐことの無い強固な自己 を築く。
その強固な自己こそ、御麟の本質であり、が人の信用を得るために必要不可欠なパーツ。過去のはその核ともいえるパーツを持っていたが、今までのはそれを失っていた。
だが、それを取り戻したことによって――は「戻った」のだろう。
「――にしても、2人がわかるほどの『変化』だったのね」
「急激な変化だったからな」
「いつもなら受けるのに、急にツインブーストを止めたんだからね」
「あぁ〜」
一之瀬に指摘されては納得の声を上げる。
いつものであれば制裁として飛んできたボールを、は止められる実力があっても大人しく受けていた。
だが、先日の雷門イレブンとの合流時には2人からの制裁であったツインブーストを止めていた。確かに、これはの中で大きな変化が起きていることを指示するに値することだっただろう。
「でもそのとき、初めて会ったときと同じ感覚を感じたんだ。
ムッとしているはずなのに惹かれる感覚を――さ」
「…今まで積もっていたお前への不信感が吹き飛んだ気がしたな」
「なんというか……、嬉しいやら悲しいやら」
思わず苦笑いを漏らす3人。だが、誰も悪い感覚を覚えているわけではなく、
自分たちの前で起きた「理論では証明できない事態」を笑っていただけだった。そんな中、不意にがクルリと一之瀬たちの方へと向き返る。
改まった様子のに一之瀬は鬼道の顔を見たが、
鬼道はすでにが言わんとしていることに察しがついているのか、同様や驚いている様子はなかった。それにならう形で、一之瀬もの方へ視線を向けると、ははっきりと言い放った。
「私は私の目的のために動く。
あくまで雷門イレブンと一緒にいるのは、目的達成のために都合がいいから
――まぁ、わかってるとは思うけど」
不敵な笑みを浮かべて、躊躇なく勝手を言い放った。通常なら、ここで鉄拳制裁なりが入ってもおかしくはないのだが、
残念なことに一之瀬も鬼道も、に対して否定も反発することもできず、
自嘲の混じった苦笑いを浮かべるだけだった。変化を自覚したところで、は元に戻ることはない。
そもそも、今のこそが――
「それでこそ――だな」
「ああ、らしいね」
「……なんかいつも最後の最後に貶されてる気がするんだけど」
「えー、俺たちは褒めてるんだよ。はカッコいいって」
ジト目で自分たちを見るに、
一之瀬と鬼道は笑みを浮かべながら言葉を返すのだった。
■あとがき
ある意味、夢主はものごっつ他者に依存しているタイプかもしれません。
根底にある仲間の存在が揺らいで、自分自身も揺らぐ――って、大概に酷いもんです。
でも、何気に我が家の夢主にしては珍しいタイプの子なので、彼女の心理に触れるのは楽しいです(笑)