目金の持ってきたDVDを元に、オーストラリアの選手たちの能力解析を始めて数時間。
の思っていた通り、解析は困難を極め、まったくもって順調とは言えない進行具合だった。
だが、その時間はにとってまったく苦痛な時間ではなかった。祖父の残した研究ノートを元に、母親の開発したソフトを使って、自分の理論を展開する――
祖父の代から脈々と受け継がれてきた研究者としての血が、
何か実を結ぶのではないか――そう思うと、面倒な解析作業もにとっては苦痛ではなかった。――が、逆にそれを邪魔する騒音は、にとって何よりの苦痛だった。合宿所の外から聞こえる飛鷹を呼ぶ少年の声。
そのイントネーションからするに、これは飛鷹の旧友か舎弟――いわゆる不良と考えるのが妥当。
だが、飛鷹の取り巻きだけあってか、乗り込むまでの暴挙には出ていないらしい。嫌な予感も、嫌な気配も感じがないが、
さすがに無視はできなかったはPCをパタンと閉じて食堂の椅子から立ち上がった。暇を持て余した霧美と秋。
手持ち無沙汰に玄関掃除をするといって食堂を出て行って数分――
おそらく、2人は不良たちと鉢合わせになっていることだろう。
「(まぁ、玄関には霧美がいるはずだし、大事にはならないと思うけど…)」
秋1人であれば大慌てで彼女の元へ駆けつけるところだが、
一緒に霧美がいるのであれば大した心配はない。不良――とはいえ、相手も中学生のはず。
更に、乗り込むやら、石を投げ込んでくるやら、そういった攻撃的な行動に出ていないのであれば、
大人である霧美がいるというだけで、ある程度の抑止力になっているはずだ。しかし、それでも引き下がらずに飛鷹を呼び続けているということは――
よっぽど因縁があるのか、彼を頼りにしているのかもしれない。
「すぐに戻ってきます」
そう言って、久遠に頭を下げて合宿所を飛び出して行ったのは、話の核となっている飛鷹。
よっぽど慌てているのか、の存在にも気付かず早々に前を通り過ぎていった。それをぼーっと見つめていると、
不意に「静かにしろ、スズメ!」という普段の飛鷹からは想像もできない厳格な声が聞こえる。
の想像は大体当たっていたようで、飛鷹を尋ねてきた不良たちは飛鷹よりも格下の相手らしい。ならば、過敏になる必要もないかとは食堂に戻ろうとすると――
飛鷹のあとを追うようにして二階から円堂と鬼道が降りてきた。
「監督!飛鷹が!」
「…私が外出許可を出した。
飛鷹はすぐに帰ってくる。お前たちは戻れ、合宿所から出る許可は出していない」
取り付く島もない久遠の言い分。
円堂と鬼道は悔しげな表情を見せたものの、監督である久遠に逆らうことはできず大人しく二階へと上がっていった。そんな2人の姿を長めながら、は久遠に飛鷹についての詳細を訊こうと――
したが、久遠同様、いずれは明らかになるかと考え直すと、黙って食堂へと踵を返した。
第121話:
役立たずアドバイザー
「……これはあれか、私に対する嫌がらせか」
ふてくされた様子で頬杖をつき、は不機嫌丸出しでそうつぶやいた。
だが、そんな愚痴をこぼしたくなるのも当然の状況だった。久遠の指示によって合宿所から出ることを禁じられた円堂たち。
しかし、彼らの世界への熱い思いはそんなもので縛りきれるものではなく、
彼らは自室の中で練習を始めてしまったのだ。広いとはいえない部屋の中で各々ボールと格闘しているらしい円堂たち。
ボールが壁に当たる音。強く床を蹴って走る音。
一度だけではあるが、壁を突き破るような破壊音も聞こえたことがあった。これはさすがに何事かとマネージャー陣と共に現場に向かおうとしたが、
久遠に止められたので状況を確かめられずにいた。しかし、それによって久遠がなにをしたかったのかを理解することはできた。
「(狭い空間での特訓――攻撃を封じる戦術とやらの攻略法なんだろうけど…)」
トントンとPCの横に置いたノートを叩きながら、は現在ある状況が勝利への最善ルートで、
あくまで自分の行動は自分の「趣味」でしかないと自己暗示する。
しかし、そんな暗示をしたところで、の頭の中で騒音と認識された二階からの騒音は
の神経を逆撫でするものでしかなく、のイライラはゆっくりとだが確実に蓄積していった。が、そんな折、思っても見ない方向から「ただいまー」という声が聞こえた。
「明那……でもなんで裏口?」
「ふふふ〜、なんや後ろめたいことでもあるんと違う〜?」
裏口のある方向から聞こえてきた帰宅を告げる明那の声。わざわざ表玄関からではなく、裏口から帰ってきた明那には首を傾げたが、
何かに勘付いてているらしい霧美はクスクスと笑いながらに自分の言葉を投げる。
その霧美の言葉を受け取ったは、数秒は考えをめぐらせたものの――不意に立ち上がると早々に食堂を後にした。明那に限って馬鹿なまねはしないだろう――
とは思うが、だからといってはそれを見逃すわけには行かなかった。別に、久遠の味方だから――とかいうわけではない。これはもっともっと単純な理由だ。
もし、誰かが明那と一緒に特訓でもしていたなら――
明那と同じ特訓をしていたなら――きちんと体のケアをしなくては不味いのだ。
「明那!」
「あ、……!」
裏口近くの廊下を、サーフボードを縦にして背中に抱えて歩いていた明那。その不自然すぎる行動と、いかにも気まずそうな反応に、
何か――おそらくは一緒に特訓していたであろう綱海を隠していることは明白だった。
「別に隠さなくていいわよ。誰も告げ口なんてしないから」
「おっ!ホントか御麟!」
「ちょ、条介…!」
ため息混じりにが味方であることを告げると、
明那が持っているサーフボードの後ろから、案の定綱海が嬉々とした様子で姿を見せる。
あっさりと姿を見せた綱海を咎めるように明那は綱海の名を呼ぶが、
味方ができたことに安堵している綱海にはほぼ聞こえていないようだった。ここで――「ウソですよ」とでも言って、
綱海の危機感というか、警戒心を養ってみるのもいいかとは思ったが、
あまりここでがやがややっていると言い訳できない感じに久遠にバレてしまいそうだったので、
はとりあえず一番の問題にだけ触れた。
「明那は特訓してないのね?」
「おう、明兄ぃには海に連れて行ってもらっただけだぜ!」
「――そう、ならいいわ。…綱海、さっさとお風呂に入ってきなさい。潮の臭いでバレるわよ」
「「あ」」
声をそろえて間抜けな声をあげる綱海と明那。
浜育ちの彼らにとって、潮の臭いというのは盲点だったらしい。そんな2人を見たは呆れを含んだため息をひとつつくと、
釘を刺すように「早くしなさいよ」と二人に言って食堂へと踵を返した。おそらく、あの久遠に限って明那が協力していたからといって、
綱海が合宿所を出て行ったことを知らないはずはない。
ということは、綱海に限っては外での特訓を容認しているということになる。だが、それはあくまで綱海のベースが海に繋がっているから――なのかもしれない。
「相手も海の男――なら、同じフィールドに立てる人材が欲しいところだものねぇ」
「――デカい独り言だな」
「ん?」
不意に返ってきた嫌味には視線を声の聞こえた方へと向ける。
するとそこには、が座っていた椅子に陣取り、
頭の後ろで手を組んで背もたれ寄りかかっている不動の姿があった。滅多に大勢の集まる場所には姿を見せない不動。
だというのに、なぜかもっとも人が集まるはずの食堂に姿を見せている不動。
不自然というか、珍しいというか、納得しにくい状況に、は不動の嫌味など無視して思ったままを尋ねた。
「不動くんがどうしてここに?」
「なんだよ、オレはここにいちゃいけないのかよ」
「…不動くん、そもそもここに居たがらないじゃない」
「………」
に正論を真っ直ぐ返された不動は少し不機嫌そうな表情を見せると、
小さなため息をついて、くぃと天井を指指した。それに促されるままには天井に視線を向ける。
だが、そこには何もなかった――
が、その代わりに先ほどまで嫌に耳に障っていた騒音がまた明瞭に聞こえ始めた。
「ああー」
「…ったく、うるさくておちおち寝ていられやしねぇ」
「…まぁ、ここもそこまで静かではないけど」
「部屋に比べりゃ静かなもんだ」
疲れた様子の不動を見ては思わず苦笑いを漏らす。確かに、部屋の両隣でドタドタと騒がれている状況に比べれば、食堂の方が断然静かだろう。
しかしだからといって、仮眠を取れる環境か――と問われれば、それは否ではあった。円堂たちに比べ、久遠の指示に対して文句の少なかった不動。
多くを信用していない彼だからこそ、久遠を客観視できている――
久遠の指示の真意を早い段階で理解たのかもしれない。そう――考えると、やはりは不動に対して好感を感じずに入られなかった。
「……ニヤつくな、気持ち悪りぃ」
「気持ち悪いとは酷いわね」
好感を持たれることが嫌なのか、馬鹿にされていると思っているのか、
不動は楽しげな笑みを見せるを見ると迷惑そうに文句を投げる。しかし、それを本気と受け取っていないは、
表情を正さずに不動に適当な言葉を返すと不動の隣の席に腰を下ろした。
「――で、オーストラリアのデータは解析できたのか?」
「いえ、全然?まったくもって初期段階ですが?」
「んだよ、役にたたねぇな」
はっきりとを役に立たないと言い捨てる不動。
だが、自分のオーストラリア勢の情報解析は趣味の一環できしかないと
すでに結論を出しているにとっては、まったくもって気に障る言葉ではなかった。それに実際、DVDの解析を始めてから数時間が経過しているというのに、
未だなんの成果が上がっていないのは遅い――役に立たないと評価されても仕方のない結果だった。苦笑いを漏らしながらが「すみませんね」と不動に言葉を投げると――不動はなぜかため息を漏らした。
「なに?」
「めんどくせぇ」
「――は?」
「アンタと話すのがめんどくせーって言ってんだよ」
「……そう?私は――不動くんと話すの楽しいけど」
と話すことを面倒だという不動に対して、不動と話すのは楽しいという。楽しい=もっと話したい――とも解釈できるわけで、
の言葉を受けた不動はこの上なく面倒くさそうな表情を見せる。
その表情からするに、心の底からの相手をすることを面倒に思っているのだろう。ならば、これ以上彼の傍にいるのは彼のためにならないだろう――
と、は彼の傍を離れようとしたが、それよりも先にに声がかかった。
「〜今度は明王ちゃんとイチャイチャしとるん〜?二股はあかんえ〜」
明らかに――霧美はからかっている。
しかし、と一緒に不動まで巻き込んでからかうとはどういうつもりなのだろうか。
更に言うと、どうして不動は「ちゃん」付けなのか。自分と、海慈と親しいメンバー以外は「くん」付けで呼んでいるというのに、
確実に親しくなどないだろう不動が――何故「明王ちゃん」?
「……なんで――」
「知るか」
の疑問を遮って答えを返してくる不動。
やはり彼も自分の呼ばれ方を気に入ってはいないし、受け入れるつもりもないらしい。おそらく、不動はこれまでにも霧美に抗議したことがあるのだろう。
しかし、不動が受け入れないからといって「はい、そうですか」とやめるような霧美でもないわけで、
その証拠に不動が「ちゃん」付けで呼ばれていることに対して大きなリアクションを見せているのはだけ。
すでにマネージャー陣にとって、不動が霧美に「ちゃん」付けで呼ばれることになれてしまっているようだった。自分のことではない――のだが、
急激に不動に対して申し訳なくなったは、不動に謝罪の言葉を投げたのだが――それを再度不動は遮った。
「黙れ――惨めになんだろ…」
「…………」
大きなため息をつく不動を、は黙って見つめることしかできなかった。
■あとがき
毎度よろしくの、キャラとの絡みなし展開かと思わせての不動さんとの絡みでした(笑)
不動さんにとって、夢主は一貫して面倒くさい相手だといいです。敵に回しても、味方に回っても(笑)
因みにな補足ですが、霧美が不動さんを「明王ちゃん」呼びするのは、
不動さんが月高と仲がよかった――というのもあると思いますが、単純に「からかったら面白そう」とかいうはた迷惑な理由からだと思います(苦笑)