フィールドの魔術師――
そんな異名をアメリカの少年サッカー界で轟かせている日本人プレイヤーがいる。
その噂を聞きつけた母親が「アメリカ行きたい!」と言いながら、
既に自分の手を引いて空港へ向かっていたのはいつのことだっただろう。
その時は正直、能天気すぎる母親を恨んだ。
なぜ、この場面でアメリカに行かなくてはならないのだと。
観光や仕事の関係ならまだしも、サッカーに関係する母親の個人的な趣味で。
その当時は「察してよ」と思ったが、今にして思えば、
自分の悪い状況を察していたからこその行動だったようにも思う。
…まぁ、3割ぐらいだったかもしれないが。
「一之瀬君は……もうサッカーのできない体になってしまっています…」
そう告げたのは、やっとの思いでたどり着いた場所――
フィールドの魔術師と呼ばれている一之瀬一哉が入院する病院だった。
おそらく、周りにいた人間には、その場の空気が凍ったように思ったことだろう。
だが、実際は凍ってなどいなかった。
彼には悪いが、もっと悪い前例を聞いたことがあった自分たちにとって、
彼を襲った不幸は絶望を覚えるまでの衝撃はなかった。
きっと、彼はサッカーを諦めるだろう。
トラックに轢かれたのだ。その体にかかった負担は半端なものではないはず。
医師の言葉うんぬんより、自分の体のことだ。
――彼自身が一番理解しているはずなのだから。
「勿体無いわねー」
「ああ、勿体無いなー」
自分の後ろで、
残念半分、期待半分といった調子の両親の声が聞こえる。
分かっている。この二人が自分に求めていることは。
だが、それに答えてやるつもりはない。
どうして自分が他人のサッカーを繋ぎ止めなくてはならないのだ。
繋ぎとめたところで――
自分にはなんの利益にはならないというのに。
「ねぇ、は彼のこと勿体無いと思わない?」
勿体無い。確かに勿体無い。
日本人でありながらアメリカで認められるほどの実力。
それを持っていながらサッカーを諦めさせるなど、勿体無いを軽く通り越して愚の極みだ。
彼の体はサッカーのできない体になっている?
それはこの病院が超一流ではないからだ。
もっと酷い事故にあい、長年に亘ってリハビリを重ねた末に、復活した人間をは知っていた。
フィールドの魔術師なんていう大それた異名をつけられるほどの存在なら、
このピンチを跳ね除けることのできるポテンシャルを持っているはずだ。
そんな可能性を持っているというのに、
可能性に気づくことなく終わらせてしまう。
それはあまりにも――勿体無い。
「勿体無いわよね?未来の可能性を自分で摘んじゃうなんて――ね?」
笑顔で尋ねてくる母親に、は「余計なお世話」と言葉を返した。
この上なく余計なお世話だ。
だが、お節介をやかずにはいられないのだろう。
――自分と同じで。
両親をその場に残して病院内を進んでいく。
病室は先程医者から状況を聞いたときに一緒に聞いていた。
一之瀬一哉の両親からは、彼を傷つけないために面会しないで欲しいと言われている。
自分たちが会って彼を傷つけるのは、彼にまたサッカーができる体を取り戻せる可能性が無いから。
だが、彼の体に再度サッカーができる可能性があるのだから彼を傷つけることはない。
まぁ、言葉を交わせば気をつけても彼を傷つけるだろうが、
ずっと心に大きな傷を負ったままでいるよりはずっといいはずだ。
病室の扉に手をかける。だが、緊張も不安もない。
そもそも、自分は彼にサッカーを続けるように説得に行くのではない。
ただ、選択肢を提示して、それをサポートするというだけだ。
第24話
正直者に注意
「あの時は驚いたよ。
病室に入ってくるなり『キミのサッカー、終わったの?』なんて聞いてくるんだから」
「ぐたぐたと御託を並べるのは面倒だったし、一哉のご両親が来る前に話しつけたかったのよ」
初めて自分とが出会った場面を思い出し、苦笑いを浮かべながら言う一之瀬。
それに対しては悪びれた様子もなく、平然とした表情で当時の自分の事情を口にする。
するとそんなに周りの面々は「昔からなのね…」とでも言うかのように苦笑いを浮かべた。
一之瀬もに苦笑いを向けていたが、不意に嬉しそうな笑顔をに向けた。
「でも、俺はあの時のにすごく感謝してる。
俺がこうしてみんなと会えたのも、あの時のが俺に道を示してくれたからだ」
「…なに言ってるのよ。確かに道は示したけど、
それを選んで死に物狂いで頑張ってここまで来たのは一哉の力。私はただ傍観してただけ」
「傍観って言うけど、要するに俺のこと見守っててくれたってことだろ?」
「う゛っ……それは…」
「それに、時々俺の練習に付き合ってくれたじゃないかっ」
眩しい笑顔で指摘してくる一之瀬には渋い表情を浮かべた。
一之瀬の指摘に間違いはない。
傍観――ではあるが、怪我が全快するまでは頻繁に情報を聞いていたし、
全快してからも定期的に一之瀬の近況は報告してもらっていた。
そして、親の都合、自分の都合でアメリカに足を運ぶ度に、
一之瀬の様子を確かめるために彼の元を尋ねては、リハビリに付き合うか、サッカーの練習に付き合っていた。
正直、「彼とはちょっと付き合いがあります」程度の印象でよかったのだが、
それを一之瀬が良しとしてはくれなかった。
いや、良しとしてくれないというわけではなく、赤裸々に全てを語ってしまっているというだけ。
隠し事を好まないオープンな性格は個人としては非常に好ましいことだが、
過去を共有する相手としては是非ご遠慮したいタイプだとは思った。隠しておきたい過去も――すべてが明らかにされてしまう。
まぁ、としては隠しておきたい過去ではあるが、悪い話ではないので隠しておく必要はない。
それどころか、いいエピソードが多いのだから、の高感度をあげることに繋がるぐらいだ。
――が、他者からの高感度が低い方がは動きやすいわけで。
気づいたときには、のいい人エピソードを笑顔で語る一之瀬の口をふさいで、
は「もういい…!」と彼を止めていた。
「ぅむ、むむむんー(なんで止めるんだよ)」
「聞くに堪えないのよ。せめて私のいない――じゃなくて、これ以降その類の話題はNG」
「わかった?」と有無言わせぬ口調では一之瀬に念を押すと、
一之瀬は苦笑いを浮かべながらコクリと頷いての言葉に従う返事を返した。
一之瀬の返事を聞いたは、一之瀬の口をふさいでいた手をどけると、
ホッとしたのか疲れを含んだため息を洩らした。
一之瀬には何の悪気もないことは分かっている。
ただ、彼の過去の記憶の中にいるのことを話していただけだと。
が、悪気がなくともにとっては、話されるだけで都合が――居心地が悪いことは確かだった。
居心地の悪さ――それが引き起こしたのは不快な感覚。
急に胸具合が悪くなったは、
円堂たちに一之瀬とプレイしてみることを勧めてベンチへ戻ろうと彼らに背を向けた。
すると、後方から「えー」と酷く残念そうな声が聞こえた。
「も一緒にやろうよ!絶対に楽しいよ!」
「…いや……それはちょっと……」
「せっかくアメリカから尋ねてきているゲストだ。もてなすのが礼儀じゃないのか?」
「鬼道…ッ!!」
一之瀬をもてなすため――などと言っている鬼道だが、
実際は自分もとプレイしたいからだろう。
雷門イレブンと関わる前までは、
割と頻繁には鬼道と力試し程度に練習に付き合ったりしたこともあったが、
ここ最近はめっきり一緒にプレイしたことはない。
故に鬼道はあの台詞をわざわざチョイスしたのだろう。
胸具合が悪いというのに、サッカーをやる気になどなるはずもなく、
逃げ道を探すようにあたりをぐるりと見渡してみる。
しかし、に逃げ道などはなく、
また逃げ道を作ってくれるような心優しい人間もいなかった。
逃亡を諦めて腹を括ったは、ため息をつきながらことの原因である一之瀬に視線を戻す。
が折れたことを雰囲気で察したのか、その顔には満足そうな笑みが浮かんでいた。
これが鬼道や豪炎寺だった日には全力で一発殴るところだが、
相手が一之瀬では殴る気は起きない。
おそらく、円堂でも起きなかったかっただろう。
――好奇心でいっぱいの無邪気な笑顔を見せられては、
さすがに毒気は抜かれるに決まっていた。
悪足掻きに「あーもー…」と言いながらも、は一之瀬にコクリと頷いてみせる。
渋々ではあったもののの承諾を得ることができた一之瀬は、嬉しそうに「やった!」と声を上げる。
だが、喜びの声を上げたのは一之瀬だけではなかった。
「やったー!やっと御麟のプレーが見られる!」
「あれ?円堂はのプレー、見たことないの?」
「そうなんだよ、みんなは見たことあるんだけど、俺だけ見てなくてさ」
「そっか…でも、今日はのプレーを見られるよ!本当にすごいんだのプ――」
「一哉ッ!!アンタは私をどうしたいのよ?!」
またしても一之瀬の口をふさいだ。
怒りの色が見えるとは対照的に、一之瀬は不思議そうな表情を見せている。
おそらく、の怒りを感じ取ってはいるのだが、
彼女の怒りの原因には皆目見当がつかないのだろう。
完全に悪気なしの一之瀬に、またしても毒気を抜かれていく。
一気に怒りが諦めと憂鬱に変わっていき、自然と体が重くなっていく。
こんなやりとりが、また繰り返されるかと思うと、必死に抵抗している自分がバカらしくなってきた。
若干、全てがどうでもよくなりはじめただったが、
不意にの闘志に火が灯った。
「円堂、のプレーには期待して――」
「きーどーうぅ〜〜〜〜!!!」
本気で鬼道を殴りたくなっただったが、
その半分で茶々を入れてくれたことに感謝していた。
■いいわけ
一之瀬の過去をちょっくら増訂いたしました。
あまり触れるべきではないとは思いつつ、欲に負けてやってしまいました。
が、後悔3割、満足7割の反省があまり見られない惨状です。おバカ!!
アニメではのせの登場回は1話で収められましたが、うちでは思い切りよく3話使ってます(笑)
なので、次回も一之瀬回の件です。作者だけが楽しいぜ!きゃっほい!