「……これが水行組の援助を受けている診療所か」
が待機している場所は役人や権力者達の間でも評判の悪い診療所の前だった。
ちょっとした診察と薬をもらっただけで結構な額の金を取られると実に批判ばかりを買っている。
しかも、この診療所の医者は一人しか居らず、その実力も疑わしいという。
歳若い上に、弟子が一人しかいないとなれば疑わしいのも当然である。
それに加えて、世間では一応、義賊ということで通っている水行組の援助を受けているという噂が立っている。
義賊とは言え、賊の援助を受けている診療所など信用できるはずがなかった。
 
 
 
町にはもっといい診療所はある。悪い噂ばかり立つこんな診療所よりも、その診療所を使えばいい。
だが、もう一つ気になる噂が一つあった。
うろ覚えであるために噂であるかどうかすら怪しいが、「庶民には優しい」と耳にした事があったのだ。
はっきり言って、それは他の噂を聞けば考えにくいのだが、なんとなくは興味を惹かれた。
「庶民を装うにも…、俺じゃ無理があるよなぁ……」
武士ののままで行っても噂の真相は得る事はできないだろう。
それどころか、大して体の不調もないのに高額な診察料を取られるのも馬鹿らしい限りだ。
どうしたものかと一考するも、いい考えは浮かんできそうにはない。
 
 
 
「太刀花の一人息子さーま、こんな庶民が集まるところでなにしてんだ?」
「うわっ!?ビャ、ビャクヤ!」
考えこんでいたの方をぽんっと叩いて声をかけてきたのはビャクヤだった。彼はの父と同じく役人。
――だが、彼は役人のしての自覚がなく、いつも遊び惚けている「お荷物役人」だった。
異父兄であるヤクモの親友ということもあり、一応は面識があった。
「いつものお供二人組もいないし、珍しいな」
「お、お供ってなんだよ…、ガシン達は仲間だ」
「ほぉ〜、俺はてっきり護衛者かなにかかと思ったぜ。お前を男色のくんから守る
「…っ!っるさい!!」
ビャクヤに恥かしいあの場面のことを出されて流石のも絶えきれずに手が出てしまった。
顔面に拳を叩きつけてやろうとしたが、ビャクヤは笑顔での拳を受け止めた。
年上の男に年下の女が体術で勝てる訳もない。
まぁ、ビャクヤが本当にお荷物だったのならば勝てるだろうが、実力だけはある。
「はっはっはー、お荷物役人にも勝てない様では、役人なんて夢のまた夢だぞー」
「黙れッ!!」
楽しそうに笑いながらを挑発するビャクヤ。
も羞恥心を刺激されてしまったがためにビャクヤの思い通りの対応をしてしまう。
それがビャクヤにとっては面白いわけで、心の底から楽しそうにをからかっていた。

 

 

ごす

 

 

不意に鈍い音がした。
その鈍い音が耳に届いて数秒後、ビャクヤの体がグラリと揺らぎ地面へと倒れこんだ。
あまりにも突然の出来事に困惑する
どうしたものかと一考する前に、人の姿がの目に入りよく見てみれば、穏やかな笑みを浮かべた男が一人立っていた。
「こんな所で言い合いとはいい度胸ですね。君のその勇気を称して永眠させてあげてもいいですよ?」
男はしゃがみこんでビャクヤの襟元を掴んで言った。
だが、ビャクヤは気を失っており男の言葉が聞こえている様子はない。
しかし、男はそれを知っているにもかかわらず話を進めようとしたが、またまた不意に声がかかった。
「師匠ー!おつね殿が目を覚まされましたー!」
「…おやおや、間合いが悪いですね。
すみませんがそこの方、そのお荷物を運ぶのを手伝っていただけますか?」
「え、あ、は、はい!」
笑顔で問われたはずだった。なのにが感じた今の威圧感は何だったのだろう。
その威圧感に押し流されはビャクヤを運ぶのを手伝っていた。
 
 
 
「また辛くなったらくるんですよ?すぐによいお薬を処方してあげますからね」
「ガザン先生、いつもありがとうございます…。お金の方は……」
「今は結構ですよ。あなたの元気な顔を見ることができて僕は嬉しいですから」
優しい笑顔を浮かべて布団の上で体を起している老婆に声をかける男――ガザン。
彼はこの診療所唯一の医者――いや、薬師だった。
ー、俺には優しい言葉はないの?」
「……ビャクヤ殿、自業自得と言う言葉を知っておられますか?
それと、お金は即刻払ってくださいね」
ガザンに殴られた部分を冷やしながらビャクヤがガザンの弟子であるに声をかけるが、
は穏やかな笑みを浮かべてかなり棘のある言葉をビャクヤに叩きつけた。
だが、ビャクヤにとってはこのの対応はいつものことらしく、「へいへい」と一言言ってその口を閉じた。
はそんな場面を見ながら噂についてまとめていた。両方の噂は正しかった。
役人などの権力者には厳しい対応、庶民には優しい対応。そんな極端な二面性を持つというのがこの診療所の真実らしい。
本当に役人であるビャクヤと、庶民である老婆に対する対応の違いは清々しいほどに違う。
まぁ、ビャクヤ個人にも多少問題があるのかもしれないが、庶民達を贔屓している事はよくわかる。
「そこの方、あなたに怪我はありませんか?あのお荷物と言い合いになっていたと聞きましたが…?」
「えーと…、特に問題ないよ。俺は大丈夫!」
「そうですか、それはよかった」
がビャクヤに向けた笑顔とは180度違う笑顔をに向けた。
の見事な対応の切り替えに苦笑いを洩らしながらも笑顔で答えた。
……どうやら、ビャクヤに対する対応は特別らしい。
いくら庶民を贔屓しているとはいえ、金を払っている相手に対して無礼な態度は取れないだろう。
「太刀花の息子、病気になってもここにはこない方がいいぞ?腕は確かだが、莫大な金とられるから」
「…それ、お前だけじゃないのか?」
ビャクヤから警告を受けたであったが、がビャクヤを見る目には哀れみと疑いがあった。
の言葉をビャクヤは「それもあるが」と認めたが、それでもこの診療所にくる事は勧めなかった。
「そうですね、武士の方にはここはお薦めできませんね。人柄どうあれ、特別料金ですから。
ああ、ビャクヤの場合は迷惑料を盛大に追加してますけどね」
「うわぁあ!?」
突然話に割りこんできたガザンに驚き素っ頓狂な声をあげる
だが、ガザンもビャクヤもなんとも思っていないのか、リアクションは薄いというかない。
思うに、のような対応にはもう慣れているんだろう。
「ふふ、そんなに驚く事もないでしょう」
「いや、あの…、すみません」
「まぁ、そんなにかしこまらないでください。別に僕は怒ってませんから」
ニコニコと笑っているように見える。
だが、その笑顔の下でどんな事を思っているかと思うと、背筋に悪寒が走った。
しかも、その不快感は霜花太夫――タイザンに迫られたときの悪寒に勝るとも劣らない。
大変な人間と会ってしまったのではないかと思ったが、あってしまっては後の祭だ。
「診療所として使う事は勧めませんが、休憩所として使うんでしたらどうぞ使ってください。
まぁ、それなりの代償はいただきますけどね」
「…師匠、そのもの言いだとかなりの誤解を生むと思うのですが……」
「それも面白いでしょう?『代償』の真意についてはさんの知的好奇心にお任せしますよ」
「はぁ…」
本能的にガザンには敵わないかもしれないと感じただった。