華やかな一角。そこは遊郭。
多くの置屋が肩を並べる裏の世界。金のあるものだけが楽しみ、金のない者はゴミのように扱われる。
ここはそんなところだ。そんな華やかな遊郭を眺めながら思考するものが一人。着流しを色っぽく着こなしている。
だが、彼が存在する場所は少々妙だった。彼が存在する場所は遊郭から離れた暗い一角の家の屋根の上。
そこから、こうこうと光る遊郭を眺めていた。
「………」
彼に両親はいない。幼いときに死んでいる。だが、育てた人間がいないわけではない。
彼を育てたのは一人の薬師の青年。彼が青年と出会ったのは、彼是七年前のこと。
両親が死に絶え、彼がふらふらとさまよっているときだった。
当時、彼は五歳。両親の死もまともに受け入れらなかったのか、目的も、意志もなくただたださまよっていた。
今にして思えば、さまよっていたのは離れ離れになってしまった両親を探していたのかもしれない。
みすぼらしい服装で一本の太刀を引きずり、彼はただひたすらに歩き回っていた。金など持ちあわせている訳もなく、勿論のこと飲まず食わずが三日は続いている。
だが、彼には空腹という感覚は存在しなかった。
いや、全ての感情という感情、感覚という感覚を全て失っていたのかもしれない。
気味の悪い子供に誰一人として声かけるものはなく、彼はさまよい続けた。
だがある時、薬師の青年が彼に声をかけた。
「こんなところで何をしているんです?ここは子供の来る場所ではありませんよ?」
青年に声をかけられ、初めて彼は顔を上げた。
彼の目に移ったのは微笑を浮かべた穏やかそうな青年が一人と、夜の町にこうこうと輝く遊郭だった。
青年に呼び止められたことにより、段々と彼に意識が戻ってい行く。
思考が動き出し、自分がある状況を酷く冷静に見極めて行く。
そして、結論に行きついた。
「父上と母上に……会いたい」
「そうですか…。でも、君のご両親はこの地にはいないのではないですか?」
「うん。だから…、『あの世』に行きたい」
穢れを知らない彼はニコリと笑って青年に言った。
彼が「あの世」の意味を知っているのか、そんなことを青年は心の中で思考した。
だが、思考している素振りを一切見せずに青年は困ったように笑った。
「それは穏やかな話ではありませんね。
いけませんよ、君のような幼い子供が『あの世』に行きたいだなんて」
「どうして?父上も母上もいるところに行っては駄目なの?」
「ええ、僕は駄目だと思いますよ?」
酷く不安げな表情で青年に問う彼。だが、青年は表情を変えずに言葉を続ける。
「覚えていませんか?あなたの父君と母君の最後の言葉を……」
そう一言言い、青年は少女の口元に一粒の薬を滑り込ませた。
久々に口の中に入った食べられるものは彼の意志に関係なく飲みこまれた。
それにしても、この青年はどれほど強い薬を彼に飲ませたのだろう?
薬を飲んで数秒後、彼は深い深い闇に飲まれていた。
とある少女がいた。少女は蒼髪をもっていた。
だが、それは特別珍しい事でもなく、村人達からも気味が悪いといわれたり、神聖視されたこともなかった。
この村において少女はあくまで、極普通の家の子供として育った。しかし、ある日この村はこの世から消し去られてしまった。
なんの前触れもなく、襲撃を受けたのだった。相手は数人の青年達。だが、彼等の実力は計り知れなかった。
「いさぎがいいですね。僕としてもやりやすい限りですよ」
狐の面を被った青年は嬉しそうに笑った。だが、青年の前にいる蒼髪の少女の両親の表情には厳しいものがある。
だが、それを青年には気にする素振りはなく、ただ笑みを浮かべているだけだった。
「私達を殺すために村を一つ潰そうとは…『翠』の一族も随分と臆病な事だ」
「全くですね。でも、そのおかげで僕達はご飯が食べられるんですからあまり非難できませんね」
「……『八咫』か。ならば、一つ依頼をしよう。報酬は我等の『知識』だ」
「僕は、『八咫』ではありませんが……。お伺いしましょう」
青年の声音が変わる。
「この子を、生かして欲しい。
私達を殺したあとに遊郭に売るなり、玩具にするなり好きにするといい。
だが、殺しはしないで欲しい」
「……。あなた達の『知識』とは全くもって釣合わない依頼ですね。そこまで大事ですか?」
「ええ、親とはそういうもの。子が一番大切です」
「そうですか、ならばその親子愛を賞して無償にして差し上げます。
ですが…、頼んだ相手が悪かったかもしれませんね」
くすくすと青年が笑う。
だが、それに誰一人として言葉を返すものはいなかった。蒼髪の少女はひたすらに骸へと変わった両親の体を揺すっている。
だが、愛しい娘の声に二人が二度と答える事はなく、静寂の中に少女の声と衣のすれる音だけが聞こえていた。
目を開ければそこは室内だった。明かりは少ないためか暗い。だが、恐怖心もなにも浮かぶ事はなかった。
寧ろ、この位の暗さの方が落ちつく事を彼は知った。
「おや、目が覚めましたか?」
「……。あんただったんだ、父上と母上を殺したのは」
「ええ、それが僕の仕事でしたから」
彼に問われ青年は目を向けていた書物から目を離さずに笑いながら答えを返した。
青年に彼の両親を殺したことに罪悪感はないのだろう。それが彼にとっての仕事であったのだから。
だが、彼も青年が両親の仇でありながら青年に牙を向く事はなく、大人しく座っていた。
「憎くありませんか?両親を殺した僕が」
「別に。それが仕事だったんでしょ?だったら仕方ない。それくらい、わかってる」
青年の質問に彼は淡々と答える。
両親を失ったショックで感情という感情を失ったのかと青年は思った。しかし、彼は感情を失ってはいなかった。無表情な顔に流れているのは涙。
だが、彼の顔に悲しみは存在しなかった。どうやら、心と体の動きが一致しないようだ。
「心と体の不一致ですか。薬師として実に興味深いですね」
「医者…なの?」
「ええ、これでもね。一応、こちらが本業なんですよ?
しかし、薬師ではあまりお金にならないので、『あちら』の仕事もするんですよ」
青年は書物を閉じ、背を向けていた彼に方に振りかえった。青年はクスリと笑って少女の頭を撫でた。
「君はこれから僕のモノになります。いいですね?」
「……」
彼は一言も青年に同意の意も、否定の意も示さずに黙りこくっている。
だが、青年は構わず言葉を続けた。
「ですが、僕は人を飼うなんていう気味の悪い趣味はありません。
ですから、君は僕の弟子となって僕の代わりに仕事をしてください」
「…いいの?そんなことで、もしかしたら…復讐を目論んであんたを殺すかもしれないよ」
「ふふ、面白いですね。それも一つの運命ならば僕は構いませんよ。
さて、君は少し痩せすぎました。これを食べて少しはその体に肉をつけてください」
そう言って青年は彼の答えを聞かずに彼に食事を与えた。
あのとき、あの青年に会っていなければきっと自分は遊郭で働いていたんだろうな。などと思いながら彼は歩き出した。
もちろんここは先程とかわらず屋根の上。
からん、からんと瓦を鳴らしながら彼は身軽にその歩みを進めると、不意に彼の目に一人の男の陰が目に入る。
だが、歩みを止めずに顔の半分だけを隠していた狐の面をくぃと下げた。
ズサァッ
血飛沫が飛ぶ。だが、その血は地に落ちるだけ。血は地面に染みこみ大地の一部と化す。
暗がり故に、地は地面と同化して人の肉眼では、血か地面かを判断するは不可能だ。
だが、彼はそんなことを気にせずに、見事に急所を斬り付けられ、
叫び声を上げる暇もなく絶命した男の亡骸に向かって一撮みの薬を振り掛けた。
すると男の亡骸は音もなく塵となり消えていった。
馴れたものだと彼は自分で思った。その感覚はまるで他人事。
だが、確実にこの男を殺したのは彼で、その後処理をしたのも彼自身だ。だが、彼にとってはもうどうでもいい事だった。
これは『仕事』この男を殺さなければ、依頼を遂行しなければ、碌な食事もできなくなってしまう。
それは嫌だったし、この世は「生きる残る者」と「死に絶える者」のその二つで十分だと彼は思っている。
難しい理論や、他人の考えなど無駄な迷いを生むだけだ。
「お疲れさまです」
「うん」
彼は声をかけてきた男に適当な言葉を返した。男は無愛想な彼に特に何を言うことなく近づいて行った。
そして徐に彼の手を取り、手に刻まれた傷からあふれ出る血を吸い取り、傷薬を塗った。
「まだまだ、ですね。相手はそつなく殺れても、自分の身を労わっていない…。
それでは、僕の弟子として失格ですよ」
「……、ごめん」
「でも今日は許します。僕、今日は機嫌がいいのでね」
「なに恐ろしい材料が手に入ったんだ……?」
彼の傷ついた手を取り、男はゆっくりと歩き出す。それに大人しく彼は続く。
嬉々とする男と、そんな男を見てげんなりとする少女。
そんなでこぼこな二人は落ちついた足取りで岐路へとついていた。