まず、私という人間は、非常に一般教養と縁がない。
嫌い、好き――の話ではなく、ただ単純に縁がない、のだ。
心皇家の教育の中に、一般教養を学ぶという――という概念がそもないに等しいのだから。
 確かに、刀を振り回し、式神を従え、仲間と共に戦いの場――
――妖との戦いに従事するだけであれば、一般教養など極端な話ではあるが、必要ないだろう。
ただ、時代錯誤な山奥の中で育ち、一般教養も教えられず、世間に放り出されたら――それもう大惨事だとは思うが。
 幸いにして、私は早い段階で修業を終え、また早い段階で大人たちに面倒を見られながらも世間に馴染んでいったので、
世間とのズレはそれほど大きくないのだが――さすがに一般教養の不足、ばかりは経験値で補えるものではなかった。

 

「…………」

 

 先生曰く、私はもの覚えはいい方、なのだという。
しかし、じっとしていられない性分でもある、とも言われた。
要するに、私は座学に不向きなのだ――自覚しているが。
 資料、としてこんのすけから渡された――所謂、日本史の教科書。
詳しく、事細かく、日本の歴史を解説している――訳ではないが、
歴史の流れ、重要な出来事(ターニングポイント)を知るためであれば、教科書(それ)は十分な資料だった。
――だとして、座学を苦手とする私にとっては、だからなんだ、という話なんだが。
 ほぼ開かれているページの内容など頭にまったく入ってもいないのに、私はペラとページをめくる。
だが、次に開いたページも先ほどのページと風景はほとんど変わり栄えはしない。
一応程度に、写真の位置が変化しているが「だから?」だ。
 進まないページに、ふつふつと湧きあがるストレス。
思わずぐしゃりと前髪を掻きあげて、ぐったりと顔を伏せて「あ゛ー…」と情けない声を漏らす――と、
それによって我慢のダムが決壊したのか、私の意志にかかわらず、私の体は独りでに机へと突っ伏していた。

 

「辛い……」

 

 思わず漏れた本音。今まで経験てきた「辛さ」と比べれば屁でもないが、
慢性的に続くこの「辛さ」は一瞬の辛さとは違った堪え難いものがある。
…とはいえ、やはりそれでもまだ堪えられる辛さの内であるし、そもそも私に拒否権などないのだから――やるしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

向きと現金

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………」

 

 やるしかない――それをわかっているからといって、誰もがそれを受けいれられるもの――だろうか?
私の慢心でなれば、わかっていても行動に移せない人――というのは多い方、だと思う。
……自分を正当化するための、都合のいい解釈かもしれないが。
 わずかに体を持ち上げ、顔の下敷きになっていた教科書を取りだし、
両端を持つ形で教科書を立てて、突っ伏したままの状態で教科書へと再度視線を向ける。
そこに書かれている言語は馴染みの深い日本語。
読むことのできない漢字はない――が、理解できない単語がいくつか点在している。
しかも、その単語に限って太い黒字――重要とされている単語だからむっとした。

 

「…入るよ」

 

 むくれっ面で教科書と睨めっこしている――と、不意に耳に入ったのは静かな少年の声。しかもそれはとても意外な声で。
思わず驚いた表情のまま声の聞こえた方、自室と廊下を繋ぐふすまに目を向ければ――
――開かれたふすまの向こうから部屋に入ってきた刀剣・小夜三文字の姿があった。
 思っても見ない来訪者にぽかんとしていると、私の反応などまったく気にしていないらしい小夜は、
平然と開かれていたふすまをパタン閉じると、どこかむっとした表情で小夜は私の後ろを通って私の右隣に腰を下ろすと、
手に持っていた盆からコト、と湯のみを机の上――私の右手に置いた。

 

「………ありがとう」
「……別に…」

 

 未だに驚きから抜け出せない――ながらも、机から体を起こして小夜に礼を返せば、返ってくるのはなんとも素っ気無い返事。
だがそれでも、返答がなかったり、無視して出ていかれなかったりしなかったのだから――上々だ。
それに、私のことを気遣って――か、わざわざ右側にまわってお茶を置いてくれた、のであれば、これほど嬉しい事はない。
 ――でも、やはり疑問は残るので、小夜の持ってきてくれたお茶にをすすってから小夜を呼び、
「…なに」とぶっきらぼうな小夜の返事を受けてから、私は気になっていたことを彼に尋ねた。

 

「どうして小夜が?」

 

 失礼な質問――だという自覚はある。
だが、小夜は未だに私たちに心を開いてくれてはおらず、出陣の時でもなければ、常に私たちと距離を置いているような状態だ。
そんな彼が率先して私の元にお茶を淹れてきてくれたとは――失礼ながら、そうとは思えない。
 ――であれば、なんらかの理由あってのこと――と、考えがいたり、今の質問だ。
そして、それは私の思った通りに、なにか一悶着あったらしい。

 

「……陸奥や今剣たちだと、主の勉学の邪魔になるからキミが行ってくれ――って鯰尾が……」
「………なるほど」

 

 小夜の説明を聞き、小夜がやってきた理由に納得――し、鯰尾の出来る男っぷりに感心する。
短刀たちをまとめ、陸奥も一緒にまとめて、更には小夜まで普通に使ってしまうとは。
その内、彼を近侍にしてみるのもいいかもしれない。
…陸奥であれば、近侍の位置に大して執着もしていないだろうし――「おもしろそうじゃ!」と笑ってきっと賛成してくれるだろう。

 

「面倒な仕事をさせてしまったな」
「………別に」

 

 顔色を変えず、どうということはなかったと言う小夜。
おそらく彼は本当にそう思っている――これも審神者に仕える刀剣の仕事の内、なのだと。
 ただ、刀剣が審神者に仕えることが正しいこと――であっても、
この僅か一時の「自分」の時間ぐらいは自由に使って欲しい――と、お節介だろうが思う。
もちろん、私を慕って――私の傍にいることを望んでいてくれる分にはそれはそれで嬉しいし、構わない。
だが義務として、いつまでも私の傍にいてくれる――必要は、ない。

 

「戻ってもいいんだぞ?」
「……僕が邪魔なの?」
「いや、わざわざ私が茶を飲み終わるの待つ事もないだろう?」
「…………鯰尾が待てって…」
「は?」

 

 私の理解を越えた小夜の返答――いや、鯰尾の策に、思わず間抜けな声が漏れる。
強引。強引すぎるぞ鯰尾!小夜の心の傷はそんな浅く――いや、小夜はお前のように過去を割り切れていなんだよ…!ああもう!
 ややデリカシーに欠けているような気がする鯰尾――を、近侍にするかは今は置いてといて、溜め息をついてから小夜に視線を向ける。
目に入った小夜の顔はいつも通りのどこか不機嫌そうなもの。
本当に機嫌が悪いのかどうかは分からないが、とりあえず面倒なことに巻き込んでしまったのには変わりないので「すまないな」と謝る。
すると返ってきたのは素っ気のない「別に」という言葉だった。

 

「小夜、お茶をありがとう――もう戻っていいぞ」
「…………そんなに僕は邪魔なの」

 

 …どこか嫌悪感をにじませる小夜の声に、思わずきょとんとする。
 戦場であれば幾度か見たことのある――小夜の感情。
だが本丸では彼は極限にまで己の感情を殺す――復讐にまみれた自分にこの平穏は似合わない、とでも言うかのように。
だがそんな小夜は本丸で感情を見せた――マイナスの方向ではあるものの、感情(それ)を見せたことが大きな進歩、だ。
 ふと、笑みをもらせば――私を見ていた小夜が怪訝な表情を見せる。
それがまた――私に興味を持ってくれていることが嬉しくて、笑ったまま私は小夜に言葉を返す。

 

「邪魔ではないよ。ただ、小夜にとって私と一緒にいる時間は苦痛かと思ってね」

 

 そう、本心を返せば、小夜は怪訝そうな表情をむすっとしたものに変える。
そしてその表情のまま、「居間にいるよりいい」と言って私から顔を背けた。
 居間にいるよりはいい――騒がしい面々の集まる場所に戻るくらいだったら、
信頼できずともうるさくはない審神者の元にいる方がいい、ということらしい。
…だが、小夜は自分独りだけの空間を持っているはず。
なのに、自らの意思で私の傍(ここ)に居ようとするのは――何故なんだろうか?
――ま、尋ねるなんて野暮なことはしないが。
 そばにある小夜の気配を感じながら、私はもう一度お茶をすする。
熱いお茶が食道を通り胃の中に広がり――内側に溜まっていたわずらわしいものを解かしてくれる。
ふと、再度小夜に視線を向ければ、未だ小夜の視線はそっぽの向いたまま――
――だがそれでも自分の傍にいる、というだけでつい笑みがもれた。
 ――しかし、いつまでも浮かれているわけにはいかず、軽く頭を振って意識を切り替え再度教科書へと目を向ける。
私も現金なもので、小夜(みるめ)が居(あ)るというだけで――訳の分からなかった単語は、すんなりと吸収されていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■あとがき
 まさかの初の個人短編が小夜ちゃん(笑)なんとなくネタが右端だのでばっばーっと書いてみました。
小夜ちゃんとはまた、復讐うんぬんの話で一絡みできたらいいなーと思ってます。ただ、シナリオがカオスるけど。
 因みに現状、小夜ちゃんは夢主を主と認めているけれど、信頼はしていない状況です。形式的に仕えているだけ。