世界が橙に色に染まっている――頭の片隅で、今が夕方なの理解した。
確かオレが本丸 へやってきたのが昼間――だったことを考えると、結構な時間、打ち合いを演じていたということになる。
…我ながら、スゲー体力――というか、負けず嫌い だな。
オレに向かって斬りかかってくるのは、オレの主…だった、
土方さんの幼馴染で後の部下になる沖田総司の打刀――加州清光。
元の持ち主に似てその剣筋はまぁ鋭い。その上、刀の付喪神――刀剣男士としての経験もアイツの方が積んでいる。
挙句、オレはぶっ通しで戦っていることもあって、圧倒的に不利。
ついでに、相手は交代できんだから、端ッから負け戦みたいなもんだ。
…ま、だからって負けてやるつもりなんざ、さらさらねぇが――
「いい加減にしろお前たち!」
「「!?」」
清光を弾き返した――と思ったら、急に落ちてきた怒鳴り声。
なんだ、と視線を声の聞こえた方に向けてみれば、そこには割烹着を着た若紫色髪の男。
腕を組み、オレと清光を見る男の視線には呆れと怒りが宿っている。
…まぁ、云時間も飽きずにやりあってりゃあ、呆れもするだろう――が、なんで怒られんだよ。
――思わず、そんな本音が顔に出て、若紫色の男の顔を睨む格好になる。
だが、相手の方はオレの睨みに更なる怒りを見せることなく、呆れの色だけを残して小さなため息を漏らした。
「3人とも、手入部屋に行け。主が待っている」
若紫色の男の言葉に、思わず眉間のしわが濃くなる。
手入部屋に行け――これはいい。打ち合いで疲弊したこの刀 の手入をする場所なんだろうからそれは願ったり叶ったりだ。
だが、主が待っている――というのはいただけねぇ。大体――ソイツはオレの主じゃねぇ。
――と、まだ顔に不満が浮かんでいたらしく、若紫色の男が今度は大きなため息をつく。
若干、名も知らないこの男に対して申し訳ないものを感じて思わず頭をかく――と、ガッ、ガッと清光と安定に両腕を拘束された。
「なっ、お前らなにを…っ!」
「はぁ?アンタ、こうでもしないと絶対主のとこ行かないでしょ」
「…一応、和泉さんも今後の大事な戦力なんで」
呆れた様子の清光と、平然とした様子の安定に両腕を拘束され、身動きが取れないオレ。
普通だったら体格が勝るオレをこの2人が拘束することは叶わない――はずなんだが、
俺が思っている以上のこの体は消耗しているらしく、思い切り抵抗しても最終的には2人に封殺される格好になっていた。
だが、俺の抵抗を抑えることはできても、オレを引きずるまでの力はない――と見た。
その証拠に、オレを抑える二人の顔には苦しげ――というか、迷惑そうな色がある。
それは余裕でオレを抑えているわけではない証――だ。
これであれば、こちらが根負けしない限り強制連行ねぇ――…いや、あの若紫色の男が出てきたら割と簡単に負けんじゃねぇか??
…ただ、そんなことは明らかだってのに、若紫色の男が俺たちの元へやってくる気配はまるでなかった。
「薩摩」
「!」
不意に若紫色の男が、おそらく名であろうそれを呼ぶと、
男の肩に乗っていたらしい白鼠がぴょんと飛び出し、その鼠が地面に着地した瞬間――地面にまばゆい光を放つ方陣が浮かび上がった。
思ってもみない展開に、オレが目を白黒させていると、両腕の拘束を解かれた――かと思うと、尻を強烈な衝撃が襲う。
当然、そんな突然の衝撃に対処できるわけもなくて、オレは無抵抗に前へと倒れこむ――これは完全に地面と顔面衝突するヤツだ。
…まぁ、それがわかったところで、地面までものの数秒といったことろ――もう抵抗の余地はなかった。
ああくそう、と思うと同時に、清光たちへの怒りもこみ上げてくる。
いつか絶対にアイツらのケツ蹴ってやる。やられたままなんてーのは俺の性にあわねぇからな。
――なんて思っているうちに地面はマジで目の前。
もう面倒くさいことを考えるのはやめにして、顔面衝突の痛みへの覚悟を決める。
なに、地面顔打つ程度、刀で切られること考えりゃあ大したことねぇさ――って?
「なんとォ?!」
地面、すり抜けたんですけどォ?!
拒絶、ではなく
すり抜けた地面――それは、白鼠が作り出した方陣に、空間転移の効果があったからだった。
おかげでオレは顔を地面に強打することはなかった――んだが、その変わりに畳に尻を思いっきりうった上に、
行くことを拒んでいた手入部屋に強制転移 させられた。
想像すら及ばない展開に、頭ん中は混乱して――抵抗の余地なく本来の姿 に戻されて、拒んでいる人間から、望んでいた手入を施される。
その瞬間はまぁ屈辱的だったが、手入が始まれば一気に睡魔が押し寄せてきて、抵抗の余地なく撃沈――俺は深いに眠りに落ちていた。
夢を見る間もなく、ぐっすり眠って目覚めれば、そこにいたのは安定を傍において、清光に懐かれている――暗い花浅葱色の少女。
肉体の消耗を回復し、さっきまで晴れ晴れとしていた気分が一気に胸糞悪いものに変わる。
完全に、それが顔に出ていることがわかった――が、それに対する罪悪感や申し訳なさはなかった。
もうすぐ夕飯だという花浅葱の声を無視して、オレは手入部屋とやらを出る。
この屋敷の構造なんざ知らないが、とにかくアイツと同じ空間にいたくなかった。
どたどたと乱暴に歩を進め、明るい声が聞こえる方とは逆の方向に向かう。
そうして進んで、行き着いたのは邸の最奥にあるんだろう部屋の前。
なんとなく、嫌な予感がしてきびすを返す――も、そこ以外に静かに時間を潰せそうな場所はない。
外に出てもいい――が、そうなるとおそらくこの邸にいる刀剣たちが、
わいわいと楽しく飯を食べているところを突っ切らなけりゃならない。それは色んな意味で避けたいので却下だった。
「………」
避けたい――が、避けれるモンじゃない。
望む望まないに関わらず、現界してしまった以上はもう切りたくとも切れねぇんだ、この繋がりは。
思い切ってふすまを引き開けて、俺の目に入ってきたのは、ほとんどもののない簡素な部屋。
おそらく、この部屋は寝起きと簡単な事務仕事にしか使われていないんだろう。
それぐらい、この部屋には生活感が感じられねぇ。この広い邸だ、それ以外の部屋で主に生活している――可能性も十分にある。
…どういうわけだか、他の刀剣たちに懐かれているあの花浅葱のことだ、その可能性は高いだろう。
ずかずかと部屋に入って、押入れから座布団引っ張り出して、
それを机の前に置いてから――棚に収められたテキトーな本を一冊手に取る。
その本を持ってどかりと座布団の上に腰を下ろして、まぁとりあえず本に目を通した。
…どうやら、この本に書かれているのは日本の歴史について、らしい。
驚くことに、貴族や武家、法もない太古の時代のことまで記載されている。
まったくどうやって調べ上げたやら――未来人の過去への探究心には頭が下がる。
日本人の遍歴を知ることで、過去の人間の失敗を学ぶことで、未来をより良くしたい――そんな強欲な探究心も、またよしだろう。
それは生きている――前へ進んでいる証だからな。
興味のないところは読み飛ばして、ガンガン本を読み進めていけば――ついに世は幕末へと移り変わる。
そもそもこの本は歴史についての詳細を記しているモンじゃなく、歴史の概要をまとめた本のようで――
「おいおい…たったこれだけかよ……」
オレの主――土方さん。その人が属したのが、会津藩預の武装集団――京都守護職・新撰組。
将軍を、そして将軍の作る世を守るため、多くの血を流し戦ってきた新撰組――だっていうのに、
この本に記されているのは酷く事務的で上っ面なことばかり。
土方さんたちがどれだけの思いをしたのかなんざ微塵も書かれちゃいない。
挙句、倒幕連中がイイモンのように書かれているのも、またこれが腹立たしい。
オレたちは――オレの主たちは間違ったことなんざしちゃいねぇ。
己の信じる道を、己の守るべき世を守っただけ――…だがまぁ「勝てば官軍」だ。
負けた新撰組が――旧幕府軍が、最後の最後まで悪足掻きしたと書かれても仕方ない。
実際、最後まで戦っていたのだって、半ば意地みたいなもんだったと思う。
武士としての意地、誇りの貫くために土方さんは戦って――戦場でその生涯を終えた。
「ったく……」
俺の知らない過去を知る――のはよかったが、俺が知っている過去 を知るのはよくなかった。
胸糞は悪くなるは、変に感傷的になるはで最悪だ。嫌なモンに蓋をするみたいにして、さっさとオレは本を読み進めた。
ほとんど流し読みだったが、とりあえず九州で起きた西南戦争ってのを最後に、日本内での内戦は終わった。
だが、その後日本は西洋の国と組んで同じ西洋の国々とことを構え――最終的には敗北した。
敗戦国なった日本は以降戦うことを放棄して、ボロボロになった国内を復興させていって――
――それ以降は内戦も、諸外国と事を構えることもなく、日本は百数十年もの間、平穏な歳月を送っているらしかった。
…ただ、アイツの「世界」は違うんだろうが。
オレが、土方さんと一緒に斬ってきたのは人間。
だが、あの花浅葱が斬ってきたものはオレとはまったく違うモノ――人ならざる化物だ。
人と人が斬り合うだけで、人間は呆気なく死んじまうってのに、
アイツは人を超えるモンと戦って生きている――…ったく、アイツの方がよっぽどバケモンだろ。
大体最後まで読んだ本を閉じる。
気づけばだいぶ日も沈み、障子戸越しに見える空は橙から暗い青へと変わりつつある――
――この部屋に来てから、それなりの時間が経過したらしい。
…それでも、来て欲しくない待ち人は来ないんだが。
心皇――それがオレを刀剣男士として目覚めさせた審神者 の名。
審神者によって目覚めさせられた刀剣は、その審神者と有無言わさずして主従の関係と成る。
もし刀剣が審神者を拒絶した場合、その刀剣に待っている末路は、
全てを形成している霊力が尽きての自然消滅――…だがそれも、オレはいいかと思っている。
従いたくもないヤツに従うぐらいなら、消えた方がマシだからな。
…ただ、それをあの花浅葱は許してくれそうにないから厄介なんだが……。
あの花浅葱の剣士としての腕は本物だ。
退魔士としての術を使わなくとも――まぁ一回ぐらいはオレの首を取れるだろう。
一回ぐらいは。正直、それぐらいアイツの腕は認めざるを得ない。
…だが、それはあくまで試合の上での話で、実戦の上ではまた別の話。
それくらい、アイツの一撃には殺気はあっても覇気が――意思が感じられねぇんだ。
…アイツが、一体何のために剣を極めて、なんのために戦ってんのかがわからねぇ。
それは剣を交えてより明瞭になった。オレが剣を交えたのは人間じゃない。あれはただ刀を振り回すだけのからくり人形。
人の意思なんてどこにも宿さな――
「――ここにいたか」
「!」
思考に沈んでいたオレに向けられた女の声。
ハッとして声の聞こえた方に視線を向ければ、そこには問題の花浅葱。
ここに――自分の私室にオレが陣取っていることに対して少しも驚いた様子はなく、初めて会った時と同じような穏やかな笑みを浮かべている。
…肝が据わってんのか、予期してたんだか……マジでわからない ガキだ。
自分の部屋でもないってのに、オレが座れと言えば、
花浅葱は「どうも」と言って机を挟んで俺の向かいの位置に、座布団も敷かずに腰を下ろす。
真面目なのか、がさつなんだかわからないが、わざわざ言い出すことでもないからそこは放っておくことにした。
「…お前に聞きたいことがある」
「なんだ?」
平然と、少しも動揺した様子もなく、オレに自分の疑問を口にするよう促す花浅葱。
動揺させたいわけでも、困らせたいわけでもない――が、こうも平然とされるとなかなか癪に障る。
だが、趣旨を間違えちゃあいけねぇ。色々をグッと堪えてここに留まったんだ。相応の収穫を得て帰らにゃ割にあわねぇからな。
すぅと息を吸って真剣な表情を向ければ、アイツはやっぱり穏やかな表情で笑った。
「――お前は、何のために生きてる」
「――――」
遂に、笑顔という名の鉄仮面が崩れる――が、オレの想像に反してそれはただの驚き。
加えて、少しの時間が経過すれば、花浅葱は苦笑いを浮かべてどこか感心したような様子で「鋭いなぁ」と口にした。
明らかに、流れはオレの予想していた方向から大きくずれている。
…もしかすると、既にオレ以外にこの質問をしたヤツがいたのかもしれない。
でなけりゃ、この程度の反応で済むはずがない――オレは、核心を突いたはずなんだからな。
「私が生きている理由は、一族のためだよ」
また、笑顔 を被って――じゃなかった。
今、花浅葱の顔に浮かんでいる笑顔は穏やかだが、それでいて何人の否定も許さない強固な意思が感じられる。
剣を交えた時には少しも感じられなかった意思が溢れ出し、一気に花浅葱の存在感を引き上げた。
もう、今のコイツは打ち合っていた時のコイツはまったくの別人だ。
それほどに、存在を別のものに変えてしまうくらい、コイツにとって「一族」というものは重要なのか?
命懸けの戦いに身を投じるだけの――命を投げ打つ価値のあるものなのか?
「…恩でもあるのか」
「ああ、それもある――でも、正しくは罰だ。恩を仇で返した罪へのな」
罰だ、罪だと口にして花浅葱は自嘲する。全ては自業自得――自分の責任なんだと。
…なにがコイツをここまで責めたてているのかわからない。だが、それが本当に真っ当なものなのかに疑問が残る。
こんなガキが、人生をかけてまで償わなけりゃならないほどの失態ってなんだ?どれ程の破壊が、どれ程の死があったってんだ。
「…なにがあった」
「――…私の油断で、10人もの仲間を死なせた」
ゾクリと、背筋に悪寒が走る。コイツが10人の退魔士を死なせたことが恐ろしかったじゃない。
ふと、コイツの目の奥から僅かに湧き上がっている憤りが――恐ろしかった。
今にも、自身をどこまで凄惨に殺してしまいそうなほどの――コイツ自身に向けられた殺意の混じる憤りが。
ここまでの怒りを向けるほどの失態とはなんなのか――それを聞こうとした瞬間、花浅葱がビュンと横に身を倒す。
そして次の瞬間、バサッ!と音を立てて明るい緑色の本らしきもの――と一緒にあの白鼠が落ちてくる。
ソイツらをかわした花浅葱だったが、何気に受け止めはしていたようで、
先ほどまでの憤りはどこへやら――といった様子で、「はぁ…」とため息をついてその緑の本をオレの前に置いた。
表情から察するに、コイツはこの本の内容をオレに知られたくはないんだろう。
だが、それを教えないことをこの白鼠が許してくれないらしい。
それはまぁ、オレにとっても願ってもないこと――コイツがもみ消そうとした事実は一体なんなのか、それを知る手段を得たわけだからな。
「っ……!」
パラパラと本を読み進めていけば――酷く、胸糞が悪くなる。
この本に載っている眼鏡の男もいけ好かない――が、やはりオレの中でわだかまるのは目の前の花浅葱。この本を読む限りコイツに、コイツが自分をあそこまで――
――憎しみを持って自分を殺そうとするまで自分を責めたてるほどの失態はない。
だっていうのに、コイツはとにかく自分に全ての非があると言っている。…そんなもん、生き残ったヤツの己惚れだろうに。
「…なにが油断だ……こんなモン…!」
「それは現場を知らない人間が作った書類だ――現場の人間が油断と言うんだから、油断なんだよ」
「っ…!じゃこれを油断としてテメェはッ、死に場所求めて戦場を駆けずり回ってるってぇのか?!」
語気を荒げ言うオレ――に対して、花浅葱の反応は酷く穏やかだった。
既にこいつの中で全ての答えは出ている――そういいたげな自嘲はオレの気を更に逆立てる。
溜め込んだイライラが限界を超えて「ふざけんな!」と怒声と一緒に、オレの手は花浅葱の胸倉に伸びていた。
オレは今、かなり憤っている――自分の顔だからわからねぇが、表情もかなり怒りに染まっていることだろう。
…だっつーに、目の前の花浅葱は少し驚いた表情で、オレの顔をポカンを眺めている。
まったくもって、オレの怒りなんざ恐ろしくない――といった様子で。
それが気に障って「何とか言えよ!」と揺さぶれば、花浅葱は「ぅおっ」と間抜けな声を漏らす――が、それだけ。
だが、このままでは状況は動かないと理解したのか、不意にオレの手首を軽く掴んだ。「和泉」
「……なんだ」
「お前は――私を心配しているのか?」
「!?」
思っても――思ってみもみない花浅葱の言葉に、反射的に花浅葱の胸倉から手を離し、手を振りほどく。
酷く混乱した頭で、アイツを見れば、アイツはどこか困ったような表情を見せていた。
オレがコイツを嫌う――いや、認めない理由は、コイツから強い覇気が感じられないから。
自然体、気が抜けている――程度ならまだいい。
コイツのそれは生きながらに死んでいる――それほどに覇気が、生への執着が感じられねぇんだ。
だからオレはコイツを認められない――それが理由だ。
生き抜く意思を感じられない人間を、主として認められない――それは刀剣として筋の通った判断だろう。
だがオレはアイツの話を――アイツの言う罪を知って、情に流されちまったところがある。
それは、ガキだったアイツを戦場に放り込んだのは誰だ――って話だ。それは他ならない「一族」様だったんじゃねぇのか?
「お前が退魔士になった理由はなんだ」
質問に、まったく脈絡のない質問を返したオレに、
花浅葱は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐにその表情を崩して苦笑いを浮かべると、「なに」と切り出した。
「両親の影を追ったまでだよ」
「なっ…?!」
「今こそ、そんな純粋な理由じゃないが――始まりは、そうだった」
まさかの、理由だった。両親の影を追った――?
まさか、そんな理由が返ってくるとは思ってもみなかった。
大方、一族がどうたらこうたらと、事務的な理由が並ぶんだろうと思っていたってのに。
…だからこそ、心配に――いや、同情しちまった。
魂のあり方をガラリと変えてしまうほどの傷を心に負ってなお、戦いの場に立ち続けなけりゃならないコイツのありように。
戦いの場に、大人も子供も、男も女もない――が、それでもコイツは子供で女だ。
強いか弱いかの二択で分類するならどちらの要素も「弱い」と分類される。
その弱い要素を二つも持っているコイツが、強い要素を二つ持つヤツだろうとキツイ世界で同等に扱われて、
任務の失敗を、生き残っているからといってその責を全ておっ被らせられるなんざ間違ってる。
…そして、それを真面目に受け止めているコイツも――間違ってる。
わざとらしく、今はどうなんだと尋ねれば、花浅葱は想像に通りに困ったような苦笑いを見せる。
それはもう既に肯定だった。今コイツが退魔士として死地に立っている――生きている理由がなんであるかを。
この花浅葱の苦笑いはオレの胸をモヤモヤさせる。
怒りも、悲しみも、苦しみも、すべての負の感情を笑顔という能面で隠して、
一族 のためなら自分をいくら貶めようとも戦場にすがりつく――そういう人間を、
オレは土方さんを通して知っていて、その人間がろくな人生を送れなかったことも知っている。
そしてそんな主の意地で、焼き打ち鍛えられ、姿を変えていったアイツは――
「和泉」
「っ…!」
「勘違いしているようだから言っておくな」
思考の海に沈んでいたオレにふとかかったのは、おかしそうな色を含んだ少女の声。
ハッとして顔を上げれば「まぁ座れ」と言いたげな花浅葱の余裕を含んだ笑み。
…よほど、オレはコイツに対して大きな勘違いをしているらしい。
一体全体どこを勘違いしてるってんだ?この、一族に寄生した死にたがりは。
「私はな」
「おう」
「死に場所なんて、求めてないぞ?」
「…………」
こんなに、こんなにも説得力のない言い訳なんざ聞いたことがねぇ。
生き抜こうって意思のない人間が、戦場ほっつき歩いておいて死ぬつもりなんてないだぁ?
アホかよ。んな道理、通るわけねぇだろ――…ってのに、なんだこいつの余裕綽々ってな態度は。
この事実があってなお、コイツは生にしがみついているとでも言うつもりなのか?
そんなもん、小指の先ほども説得力ねぇってのに。
花浅葱がオレの前にあった緑色の本をとり、トンッと宙に放り投げる。
すると、それにあわせて白鼠が花浅葱の頭から飛び出して――緑の本を出したように、それをしまった。
そして、片づけが済んだ――ところで、花浅葱は改めてオレに視線を向けてふっと笑った。
「私の生気が薄いと思っているんだろう?」
「!」
「和泉の想像通り、今の私は生への執着が薄い――いや、ないんだ」
だろうとは思っていたことではあるが、まさか肯定が返ってくるとは思っていなかった。
確実に、真っ向から否定を返されると思っていただけに、花浅葱の答えには思わず面食らった。
だが、そんなオレの反応は想像済みだったらしく、花浅葱は少しも表情を崩すことなく更に言葉を続けた。
「――ついでに、死への恐怖もない」
「なっ……!?」
「…あの戦いで、一度死んだからな」
自嘲の混じる笑みを浮かべ、信じられないことを、コイツはさも当たり前のように言った。
…普通、逆のはずだろ。死を間近に経験して、より生への執着が、より死への恐怖は増すもんだろ?
だってのに、コイツはその真逆をいったってのか?…狂ってる――コイツの頭は完全に狂ってる。
…それが、はじめからなのか、後天的なのかはわかりゃしねぇが――だが、狂ってることだけは絶対だ。
「…狂ってるぜ、お前」
「ああ、人間の基準から見れば狂っているさ――でも、私はもうただの人間じゃないんでね」
「………!?」
そう、花浅葱が言った瞬間、ユラリ…と闇色の煙みたいなモンが怪しく揺れる。
オレは霊剣でも神剣でもないが、刀剣男士 になったおかげか、
今のオレにはアイツの背後で揺れたものが大体なんとなくわかった。
あれは――妖気だ。それも、とびきり純粋な、善悪の概念すらないほどの純粋な闇。
それを、人間であるはずのアイツが保有している――それはありえねぇ。
負を孕んだ妖気ならともかく、こんな妖気を人間が保有できるわけがねぇ。つまりそれは――
「半妖……なのか…?」
「いいや、半妖ではないよ。妖の血は一滴も入っていないからな――ただ、魂の半分を闇に染めている」
花浅葱の背後でゆらめていたい妖気が、アイツの言葉が終わると同時に、霧が晴れるみたいにすぅっと消えていく。
それはつまり、妖の類でなければ操ることの難しい闇の力 を、コイツは完全に操っているということだ。
「別にね、私は不老不死でもなんでもない――んだが、
もう私にとって生きているのは当たり前で、死ぬなんてありえないことなんだ。
だから、生きたいとは思っていないが、同時に死にたいとも思ってないんだよ」
…オレには、到底理解できない理屈だった。
生きているのが当たり前で、死ぬなんてことはありえない。
不老不死――永遠の命を手に入れたわけでもないのに、きっとそんな連中しかたどり着けないだろう境地に、
コイツはこの歳で――いや、もっとガキの頃にたどり着いたってのか?
死に触れることは良くも悪くも人を変える。
きっと、退魔士としてはコイツの変化は良いものだったんだろう。
死への恐怖を取り払って敵に立ち迎える勇猛さを手に入れたんだからな。
でも、一人と人間としては――
「…やっぱ、狂ってるわお前……」
「それは百も承知だよ――」
まるで、自分に言い聞かせるように花浅葱は言う。百も承知だ――自分は狂っている、と。
その顔に、自分の失態を振り返った時のような憎しみや怒りの色はなく、
ただ目の前の現実に納得しているような薄い笑みが浮かんでいる。そして不意に花浅葱は「でもな」と言葉を付け足した。
「あくまで狂っているのは自分に対してだけで、仲間のことは――自分の事ほど冷静じゃいられないんだ」
「!」
「我ながら、指揮官としては大きな欠点だとわかってる――
――でも、失う恐怖の方が先立つんだ。…自分の消失は乗り越えたってのにね」
弱々しい自嘲が浮かぶ。
それ程に、この花浅葱にとって仲間を失うことは恐ろしいこと――らしい。
誰しも、自分が一番可愛いはずだってのに、
その理に外れてコイツは自分の命なんぞより他人の命を優先する――
――いや、自分の命を粗末にしている分、コイツは他人の命を守ることで、崩れてしまった心の調整をしているんだろうか?
そう思えば、やっぱりコイツは狂ってる――が、
その狂いを無意識であろうと補おうとしているのであれば、まだその狂いには矯正の余地はあるだろう。
これだけ話して、感情をぶつけて――それでも、コイツの本音はイマイチわからねぇ。
とりあえずわかったことは、コイツが人間としてどうしようもないところまで狂っちまってるってこと。
…ただ、最後の最後に人らしい欲望と恐怖を聞けたのは大きい。
本人は、生に死にも執着はない――と言ったが、それはあくまで自分に限ったことで、コイツは未だに仲間の生死には縛られている。
まぁ、普通の人間であればそれでも上等に狂っているが、
半分人間じゃなくなっているらしいコイツであればまぁ……ギリギリ狂っていない――とも言えなくもない。とはいえ――
「ガキ」
「うむ」
…ガキと呼ばれても反論しない花浅葱。
その反応に内心、肩透かしを喰らった気分だったが、それをすぐによそにやって改めて花浅葱に視線を向ける。
纏め上げた花浅葱の髪。栗梅色の瞳は強い光を宿しているが、肌は白く、その顔立ちはまだ幼い。
剣士としての腕は確かだったが、その骨格は少女らしい華奢なもの。そしてなによりの欠点は、欠損した左腕。
この審神者の全ての要素を総合して、導き出される答えは――信頼できない。
…だが、正直これでも一歩前進している。上官として信頼はできずとも――仲間としてはまぁ…信用できなくはねぇ。
「オレは、お前を主とは認めねぇ」
「…ああ」
「だが、認める余地がないわけでもない――だから見極めてやるよ。
お前が本当にオレの主に相応しいかをな」
オレが判断の余地を示せば、花浅葱は一瞬きょとんとした表情を見せたが、ふと安心した様子で破顔する。
余裕綽々といった様子で、平然と振舞っていた――が、内心はそれなりにハラハラしていたらしい。
…まぁそりゃそうか。オレが認めなくとも、コイツはオレの主 であることには間違いねぇんだ。
拒絶されたことで、自然消滅やら、暴動やら起こしたら――と色々心配してたんだろう。
…そうだったらマジでコイツ損な性格してんな。――ま、そういう人間 は嫌いじゃーねぇけどな。
■あとがき
和泉さんからみた夢主の話でした。裏設定うんぬんで和泉さんは確実に夢主のこと敬遠すると思ったので、書いてみました。
この話のオチの通り(?)、夢主と和泉さんの関係は主従ではなく対等です。和泉さんは認めないでしょうが、世話焼きの兄ちゃんです(笑)
何気に歌仙さんから微妙な視線を受けていればいいです(笑)「とっとと認めろ」的な(笑)