扉の開かれた先にあったのは、きちんと清掃の行き届いた部屋。
玄関も廊下も、共有スペースである談話室でさえ誇りまみれの、家具はボロボロだったのに、
どういうわけかこの部屋は今の今まで誰かが暮らしていたかのように――片付いていた。色んな意味で。
ジェームズさんに招かれるまま部屋の中に足を踏み入れ、
無遠慮に部屋の中を物色しながらジェームズさんの傍――いくつかの写真立てが並んだデスクの前に足を運ぶ。
するとジェームスさんがデスクに並ぶ写真立ての一つを私に寄越す。
わざわざ「なんだ」「どうだ」と疑問は口にせず、手渡された写真立てを見てみれば――
「…………………、………、……ぅ、そ……お、兄…ちゃん……?」
写真立てに飾られた写真に写っていたのは笑顔の学生たち。
今この時を楽しんでいる青年たち――の中、少し呆れを含んだ苦笑いを浮かべている青年が一人いて。
制服を着崩し、山吹茶の髪を無造作に一括りにしたその青年は――………11年前に行方不明になった…私の義理の兄、だった…。
本場の外国語を学ぶため、欧州はイギリスへ留学することになった義兄――澪一お兄ちゃん。
当時、まだ小学生にもなっていなかった私は、イギリスへ出発するその日になってヤダヤダと喚き散らして――
…それでも最終的にはお兄ちゃんに諭される形で、弟と両親とでちゃんとお兄ちゃんを送り出すことができた。
……でも、イギリスへ渡ったお兄ちゃんは……空港から下宿先へ向かう間に、その消息を断った。
国を超えた捜査、国家も私立も問わず人員を投入し、お兄ちゃんの捜索は徹底的に――でも秘密裏に行われた。
人海戦術による地道な捜査、多くの頭脳によるプロファイリング――…そして、オカルト、シャーマニズムの方向性からのアプローチ。
できることはやりつくした――…にもかかわらず、お兄ちゃんの行動はロンドンの街でブツリと途絶えたまま、だった…。
「……………ここ、に……お兄ちゃん、は……いる、の……?」
「――はい。このツイステッドワンダーランドに」
「………」
11年前、当時高校生だったお兄ちゃん――の記憶と、写真立ての中にいるお兄ちゃんの姿にはほとんど差異がない。
…ほぼ間違いなく、失踪したお兄ちゃんは何らかの原因によって、この世界に招かれた――…もしくは無作為に落ちてしまった……んだろう。
…なんで、どうしてと、いくら手を尽くしてもお兄ちゃんの行方を掴めない現実の理不尽さに、
怒りと悲しみに任せて毒をまき散らしたことあったけれど――…行方が異世界じゃ、そりゃあどうしようもない…。
…一応、欧州の魔法協会だか何だかも協力してたはずだけど………、…いや、今更言っても詮無いな…。
「……………………待って――…待って、今お兄ちゃん何歳…?!」
「ん…?ぁあ…ぇえと………28…だったかと…」
お兄ちゃんが居なくなってしまったのは私が6歳の時――今から11年前。
そして私とお兄ちゃんの歳の差は11歳なので、お兄ちゃんは17歳の時に失踪した――この世界にやってきたことになる。
で、17歳の青年が、11年の時を経てたどり着く年齢は――28歳、だ。
………ということは、私の世界の時間とこの世界の時間はおそらくほぼほぼ同じ。
私がこちらの世界に来てからも――…元の世界の時間は同じく経過し続けているってことじゃないか……!!
「ぅわ、ぁ…!!どっ、ぁ…?!いやっ、ぅん…!?ぅ゛んん……??!」
「…………どう…されましたか…」
「っ…おと、うとっ……がっ…!弟、が…!向こうに、いるんです……!!」
「………………それで?」
「………、…最悪……死ぬ気がします…!」
「……………なんと?」
(たぶん)元の世界に残っているだろう双子の弟は、
見てくれこそ男女の二卵性双生児としては脅威のそっくり具合だけれど、その内蔵機については真逆レベルで違う。
私がバカを疑われるほどの健康優良児であるのに対し、
弟は「薄幸美人」「美人薄命」という四字熟語を体現したかのような――…虚弱体質、で……。
本来二人で分かち合うはずの健康運をすべて奪い取ってしまったのでは…?
――という罪悪感とか後ろめたさからではなく、ただ「弟だから」「姉だから」と当たり前に姉として弟の世話を焼いた――ところ、
その体質故に教育機関に通えず、他者との接触が極体に少ないこともあって、
弟は俗に言うところの「シスコン」と括られるレベルにべったりの、お姉ちゃん子に育った。
…その時はまだ小学生だった――…とはいえ、一週間ほど家を離れることになった――と、
決まっただけで、心的ストレスから寝込むという衝撃の離れ業を披露した弟――
…そしてそれは今なお続いているらしく、私が都内にいないだけで明らかに免疫が落ちる…と、世話係から報告を受けていた。
………お兄ちゃんが生きていることが分かったのは嬉しい。
それは本当の本当で、嘘偽りのない本心――…ではあるんだけど、それはそれとして弟の命が心配で仕方ないのも本当なんです……!!
だってあの子生まれてから何度も生死の境を彷徨って…!まぁ?!最終的に帰って来てはくれるんだけどさぁ?!??
「明日の朝までに元の世界へ戻る方法はありませんか!!?」
「………」
「っ――…!そう…ですよね…!
お兄ちゃんが11年かけても帰ってこれなかった――………………………ぁ?………ホント…に??」
ふと目に入った写真――友人の結婚式だろうかその一場面の中にいるお兄ちゃんの表情は、
ジェームズさんの寄越した写真の表情とは違って自然な笑顔――心の底からこの時を祝っているのだろう表情が浮かんでいた。
私が生まれた一族は、由緒正しい古い芸能の一族――の本家筋。
伝統を重んじる古い家系――というのは、一般人の常識ではありえないほど「血」というものを重視する。
…だから彼らはそれ以外を過剰に排除したがるきらいがあって――…その対象が、お母様と、その連れ子だったお兄ちゃん、だった。
血のつながらない義理の兄――お兄ちゃんはまさしくそれ、だった。
お母様の連れ子――ではあるけれど、お母様が自身の腹を痛めて産んだ子供ではなく――同じ養護施設で育った弟のような息子。
だからお兄ちゃんとお母様の血は繋がっていない――から、私とお兄ちゃんは半分さえも同じ血が通っていない。
…なんの偶然か、髪の色が同じだから勘違いされることもしばしばあった――…から、
お兄ちゃんに対する風当たりはきっとお母様より厳しかっただろう――…当時は、全然気づけなかったけど…ね――。
お兄ちゃんは、私たち双子を大切にしてくれた。
…今思えば、自分のことをないがしろにしてまで、無思慮な子供のワガママに付き合ってくれていた。
あの時の笑顔は作り物だった――…とは思いたくないけれど、そう考えた方が自然なのは尤もで。
だからこそお兄ちゃんは、あえて11年もこの世界に留まり続けたんじゃないか――…と思う。
誰にもしようのない血の問題で嫌忌され、排斥される――…
……そんな家庭に帰る義理なんて、必要なんて――…あるはずないんだから。
「……ずっと、あなたのお兄様は元の世界へ帰ろうとしていました――ええ、今もなお、です」
「…」
「自分には返さなくてはならない恩がある。
大切な弟妹が、たぶん泣いて帰りを待っている――と」
「……………たぶんって……かあ………」
今となってはデリケートな話題だけに、そこを突く人は少ない――…けれど、
気心知れた世話係たちからは「あれは」と未だにからかわれるくらい――お兄ちゃんを見送ったあの日の私のギャン泣きは酷かった、らしい。
普段利口だった分――を差し引いてもアレだったと、大体のことを笑い飛ばすお母様でさえ苦笑いするくらい――
――…なんだから、第三者から見たって「たぶん」は不要のはずだ。
…なのに多分とつけるあたり――……向けられた以上のモノを返せていなかった、ってことなんだろう。
…まぁ、さすがに6歳児には色々と難しい注文だとは思うけど……。
「っ――………フクザツ……だ、なあ〜……」
この世界に迷い込んだ当初――から、そして今も、お兄ちゃんは元の世界へ帰ることを諦めていない――…それは、それは嬉しい。
それは、後ろめたい気持ちのある家族としてはすごくすごく嬉しい――…んだけれども、
それでもお兄ちゃんの願いは11年間、そして今もなお叶うことはなかった――という事実が、
虚弱な弟を持つ姉としては――猛烈に不安!!
冷静に考えて、11年間も帰ることが叶わなかった人間が、12年目で急に帰ることができた――…なんて、あまりにもご都合主義がすぎる。
まぁ、後続が現れたことによる状況の変化は見込めるかもしれない――…とはいえ、そこに全部の希望を乗っけて時機を待つのは愚策だろう。
…かといって、なにをどーすればいいかすら、わからない現状なわけだけど――…。
「…お兄ちゃ――………兄さんに、連絡って取れますか?」
「ここからはできませんが、学園長に掛け合えば可能です――…その交渉は私にお任せください」
「………」
「…――何故、ですか?」
薄く苦笑いを浮かべ尋ねてくるジェームズさんに、コクと頷いて肯定する。
何故、あなたは私にまで敬意と誠意を払ってくれるのか――と。
ただ面倒を見てくれるのなら理解る――お兄ちゃんへ対する義理で、だと。でもジェームズさんのコレは違う。
これはお兄ちゃんに向けられた誠意から成る上っ面――ではなく、これは第三者を通さず、私に直接向けられている誠意。
ある立場になければ気づけない――…いや、その立場にあっても気づけない愚昧なヤツも多いけど、幸か不幸か私は知っていた。
コレは、理由もなく受けるにはとても危険な信頼――だと。
「私があなたに仕えるのは、あなたが我らの主の妹だから――である前に、力を以て私を下した、からです」
「……………ん?」
「ふふ…生前でも受けたことがありませんよ、あれほど痛烈なカウンターは」
「…」
どこか満足げに言うジェームズさん――だけれどこっちはまったく釈然としていない。
私のカウンターが、ジェームズさんにとって今までに受けたことのない強烈なモノだった――としても、その一撃で納得するのは甘い。
これが、生身の人間だったらまだ納得の余地があるけれど、相手は霊体であるゴースト――…ガチで殺りあったら絶対に負けるっつの!
「そもそも、です。この世界においてゴーストは殴れないモノ――なのにあなたはゴーストを蹴り飛ばした――
…生前『孤高のアリゲーター』と恐れられた私を、ね」
「…………それ、は………ジェームズさんはゴーストだけど、拳で語りたい……人種?」
「そういうことです」
さも当然といった風でジェームズさんは言う――…けれど、
それはジェームズさんに限ったことで、他の手下たちは納得しないんじゃ――と不安を投げれば、
ジェームズさんはイイ笑顔で「ボスの命令は絶対です」と言い切った。………〇フィアなの?
「――とにかく、私はあなたを自分よりも上の存在だと理解しました。
ですので私のことはご自由にお使いください」
「…………はぁ…、…これだから武闘派は――……筋トレしなきゃですかねぇ…」
「ふふ、寝首をかいたりはしませんよ?」
「………そんな心配はしてないですよ。
それより、私のせいでジェームズさんが笑いモノになるのはイヤなのでっ」
「――…ではまず全体的に絞らなくてはなりませんね――体を」
「………なんて?」
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