おそらく、怪物はドワーフ鉱山で働く炭鉱夫だった。
ツルハシにランタン――それは炭鉱夫にとって切り離すことのできない仕事道具。
それを手放さないということは、それが怪物にとってなくてはならないもの――そこらでテキトーに調達したものではないから、だろう。
なぜ、怪物はここまで魔法石に固執するのだろう。
それにそもそも一炭鉱夫が、鉱山から採掘される資源を「俺の物」と言っているのも腑に落ちない。
多くの場合、鉱山から採掘される資源の全ては鉱山の所有者のモノ――であって、
雇われている立場でしかない炭鉱夫に、採掘された資源をどうこうする権利はない。
…なのに怪物は言う――
「イシ、ハ…!オレノモノォオオオ!!!」
ズワと怪物から湧く狂気に本能が拒絶反応を起こして――動作が、一つ遅れる。
もう、回避はできない――…唯一、希望があるとすれば受け流す――…だが、
「ッ…ぐっ――ぉ、ガッ……!!?!」
怪物が振るうツルハシに触れたその瞬間、脳味噌に直接映像が叩き込まれる――が、
映像は怪物の揮う力によって叩き込まれた攻撃によって理解する間もなく記憶から掻き消えた。
酷く胸くそ悪いモノだった気がする――が、そんなことを考えている余裕はない。
今なによりも優先するべきことは、叩きつけられた地面から立ち上がり、体勢を整えること――
…それができなければ次にもらう一撃はよくて致命的。そして悪くなくとも――
「イシ、カエッ――ブェエエエエエ??!?」
体を起こして見上げた先に、ツルハシを振り上げた怪物の姿があった――が、今はもう無い。
そしてそれに代わって存在するのは――怪物を殴り飛ばした人型の後ろ姿。
夜風に靡く漆黒のマントによってそのシルエットはよくわからない。
……でも、黄金色のファーの向こうに見える山吹茶色は――
「…テメェ……生き還れると思うなよ――」
地の底を這うような低い男の声――は、推し量れないほどの怒りで満たされている。
過ぎたるは及ばざるが如し――というモノなのか、過ぎた怒りは厳密な感情の色は読み取れない。
ただ、あくまで言葉と状況を加味して、私が勝手に怒りだと思っているだけであって、
あの人を満たしている感情は怒りとは違うものなのかもしれない――…ただ、あまりにもいつかの記憶とダブる部分が多すぎて………――あ。
「ダメっ…!あのままじゃ――…ダメ!!」
「ッ――ぅンー?!」
いつかの記憶が疾風の如く脳裏をよぎり――考えるより先に口が「ダメ」と叫んで、
それに続いて体が目の前の黒にドシンと突撃する。
背後からの身内の不意打ちに、マントの男は変なうめき声を上げた――
――けれどもそれで体勢を崩すことはなく、勢い任せでグダグダの私の体を逆に支えてくれる。
…瞬間、冷静な私が恥ずかしさで泣きたくなった――が、ここは開き直る。だって相手は――
「…はぁー………相も変わらず、ウチの妹はワガママさんねぇ〜…」
「う゛ッ…!っ、ぐ――……いっ…今まで我慢してきたもん…!
お兄ちゃんがいない間!お姉ちゃんとして我慢してきたもん!!」
「――だから、ワガママ言っても許されるって?…呆れた思考回路だわねぇ〜――
…ま、お兄ちゃんとしては、嬉しい理屈だけどさ」
冷静な思考は捨て、ついでにプライドとか矜持とか、常に心に留めている自分ルールには目を瞑り、
更にぎゅっと抱き着いて身勝手全開で屁理屈をこねる。
頭上から降る呆れた声に、冷静な自分が息を吹き返す――その刹那、私の知らない武骨な手が、懐かしい感覚で私の頭を撫でて。
…何か急激に恥ずかしい感情が込み上げてくるけれど、「痛い痛い」と苦笑いする声に――改めて開き直ることにした。
今晩くらい、いいじゃない。
(義務感とか使命感はなかったけど)11年間、名家の一男代理として頑張ってきたんだから――
――思いっきり!ワガママ言ったっていいじゃない!だって私は――お兄ちゃんの妹なのだから!!
「――って、ぇ、ちょっ…?!」
「シロートちゃんは黙って見てんさい――ここに染まったミコの行く末を、な」
おもむろに構えた拳銃を、顔のない怪物に向けるお兄ちゃんに思わず「待った」をかける。
けれどそれにお兄ちゃんは「見てろ」と言って――躊躇なく引き金を引いた。
黄金色の大型の拳銃から放たれたのは――黄金色の炎鱗が煌めく白の火球。
明らかに攻撃性しか見て取れない白の火球は、対象に着弾したその瞬間、
対象の全てを呑むように包み込み、そしてその全てを焼き尽くすかのように――激しく燃え上がった。
白の炎に包まれた怪物は、身を焼く炎の熱に苦悶の声を上げている――ようで、実は違う。
一般人の目から見ればそう見えるだろう――けれど、シロートであればなんとなし理解る。
これは所謂ところの浄化というモノで、白の炎は不浄を融かす聖なるモノ――
…そしてそれは、私にとってなにより身近でよく理解った神様に因るモノ、だった。
「…………どーゆーこと……。…なんで夕映がいるのに――
…お兄ちゃんは帰ってこなかったの…?!夕映が一緒なら、帰って来れた…よね…?!」
「あー…それ、なぁ〜……あー…なんつーか……ヤッバい特権領域にいるっつーか…なぁ〜……」
「あ?」
「……とにかく、ここでは誰であれ夢の主には逆らえない――
…一応、お兄ちゃんも精一杯抵抗してはみたんだけど――………圧倒的に役者が上でなぁー…」
申し訳なさそうに、でもどこか諦めを含んだ様子でお兄ちゃんは「だけど」と、
そもそも元の世界とこの世界では前提が違う――のだと言う。
…それは、そうだろう――けれども、
その辺りの細々とした理を不条理で無視して、理不尽にぶち壊すのが獣神――
――で、その最たる例が夕映だと記憶しておるのですが??
…それともなにか。問題の夢の主というのが――
「――と、浄化は済んだし……とりあえず戻る、か。
……先に戻ってきた子たち――の女の子…泣いてたし」
「っ…!そ、それは……!」
苦笑いして言うお兄ちゃんのセリフに思わず胸が詰まる。
…正直、自分の選択が間違っていたとは思っていない。
あの時はあれが最善だったという認識は揺るがない――けれども泣かれたらそりゃツラい。
だって泣かせたくてしんがりを買って出たわけじゃない――というか最悪のカタチにならないようにと立候補したわけで……。
……まぁでもあの状況じゃあ死んじゃうと思うよねぇ……。
……というか、現にお兄ちゃんが来てくれなかったら私、確実に死んでたし。
「……お兄ちゃん…」
「ぅん?」
「……助けてくれて、ありがとう…。もしお兄ちゃんが来てくれなか――あだだだだだ…!!」
「そー思うんならもうこんな無茶しないでちょうだいねェー?
オニーチャン、こーみえてもメッチャ忙しいのよ〜?」
まだ伝えていなかった感謝を口にした――ら、不意に頭に腕を回され――そのままヘッドロックを決められる。
そしてどこか冗談交じり――のようで、セリフの節々に怒りを滲ませ、お兄ちゃんは心配を口にする。
向こう見ず――何処かの誰かのことをどうこう言えないだけの無茶を冒しただけに、お兄ちゃんのお怒りはご尤も――
…なんだけれども…!割れる…!このまま我慢してたら頭蓋骨わーれーるぅー……!!
お兄ちゃんからもたらされる容赦のない激痛。
それもお兄ちゃんが私を心配しているからこそ――だとしても頭蓋割れたら死ぬ…!
心配をかけたのだから償わないと――ではなく、単に激痛に耐え切れずベッチベチとお兄ちゃんのお腹をタップする。
するとお兄ちゃんは諦めを含んだため息を吐く――と、おもむろに私の頭に回している腕から力を抜いた。
「……今回は無茶言って無理やり抜け出したけど――…………お兄ちゃんも、立場があるのよ――…
…本当なら、家族以上に優先するモンなんて、なかったはずなんだけど――…な」
「……」
自嘲交じりにそう言って、お兄ちゃんは何かを誤魔化すみたいに私の頭を撫でる――けどそれは、ごくごく自然なことだろう。
家族以外に大切なモノができる、なんてことは。
……というか寧ろ、それは私たち家族全員がいずれ望んだこと――だろう。
「……お兄ちゃんにとって大事なモノは、私にとっても大事だから――……心配かけないよう、努力します…」
「……言質、とったぞ?」
「…信用ないなぁー……」
「ハハハ、武器も持たずにバケモノとやりあおうとしてたお転婆が何言って――」
「――ハハハハ、キミだって人のことを言えた立場じゃないだろう?
やってきたのその日にゴースト100人抜きをやってのけたキミなのだから」
軽い笑い声と共に、音も気配もなく私たちの前に姿を現したのは、お兄ちゃんと似たテイストの制服と思わしき服装をした――多分男性。
頭からすっぽり被った黒のローブによって顔が見えず、表情を窺い知ることはできない――が、たぶんこの人は怒っている。
だってお兄ちゃん、この人見てあからさまに気まずそうに「ゲッ」って言ったし。
…そしてそのお兄ちゃんの反応は、黒衣の彼の更なる不興を買ったようで――鎌を構えられた。
冗談ではない。マジだ。マジで鎌だ――大鎌だ!デスサイズ、デスよ!!
「ちょ、おまっ…!それはさすがにブッソーが過ぎるでしょ?!うちの妹が怖がってるでしょーに!」
「……なに至極真っ当なことを言っているんだい。
11年ぶりに再会した最愛の妹に抱き着かれて、内心悶え転げるほど嬉しいくせに」
「………」
「いや、ぅ゛ーん……!ひゃ、100%言いがかりと言ったら真っ赤なウソに――…
…そりゃなるよ?!11年越しの!領域を跨いだ再会ですよ?!そりゃあ――って!
なんよ?!お前は急かしたいのか!煽って俺で遊びたいだけなのか!?」
「ああ、それはもちろん――両方だとも♪」
「欲張りさーん!!」
軽快に、コントまがいのやり取りを繰り広げるお兄ちゃんと黒衣の彼。
客観的に見ればまぁなんともバカらしい会話――だけれど、それをあのお兄ちゃんが他人と交わしていると思うと、正直なところ感慨深いものがある。
…家族と、極僅かな親類としか、他愛もない会話なんてしなかったお兄ちゃんが、
最初はまったくの赤の他人だったはずの人とこんなに楽しそう――いや、単に遠慮もなく本心をぶちまけているなんて。
…嫌な話、お兄ちゃんは家族である私たちにさえ、本音を呑み込むことが多かった。
だからお兄ちゃんに本音をこぼせる相手が出来たことは、家族として喜ばしいし、嬉しいこと――
……ではあるけれど、そういう相手になれなかったことが、家族として情けないというか申し訳ないというか…。
……いやまぁ…当時の私の年齢を考えれば、それは仕方のないことなのかもしれないけど――……。
「――で…?!状況はそんなに悪いのかッ!」
「ああ悪い、悪いとも。キミが不用意に飛び出してくモンだから、相手にキミの不在を気取られてしまってね。
逃げられたら儲けモノ、襲って来たら――一晩持たないねぇ〜」
「…気楽に言ってくれんなよなぁ――って…?!」
その会話に――黒衣の彼の言葉に、棘や毒が忍んでいた――わけじゃない。
あくまで彼らが交わしていたのは、自身の役割を果たすために必要な情報のやり取り――ある種、事務的なやりとりだった。
しかもそのやりとりの要所要所に組み込まれていたのは軽妙な冗談。
言葉と当人たちのノリは軽かった――が、「一晩持たない」と言われればバカでも察する。
立場がある――…そのセリフを聞いていたんだからなおさらだ。
「…連れて行く、という選択肢もあるけれど?」
「…お前バカなの?こんな勇猛な妹連れて歩けるわけないでしょ――
…てか!俺がシマに戻りたいわ!……戻らんけどさ!今すぐは!!」
「連れて行けば」と言う黒衣の彼に、お兄ちゃんは「こんな妹」と否定して――自分が戻りたいと不満を漏らす。
ただ、すぐに不満を否定したけれど。
…それだけ、お兄ちゃんが今ある「立場」というのは重いモノなんだろう――他人の命を背負うくらいに。
たった一晩くらい、妹として兄に甘えたっていいだろう――とは思っても、それは当然のようにケースバイケース。
わけのわかっていない幼児だというならいざ知らず、
11年の時を経た私はわけの理解かる子供――である以前に、組織の統率者として他人の上に立った身だ。
トップという立場の責任の重さは理解しているつもりだ――…とはいえ、命までを背負う立場ではなかっただけに、
お兄ちゃんが背負う責任は想像で補完――………できるもんじゃないよねぇ…。人の命の重さ、なんてさ…。
「…――大人しく、ジェームズさんのところで待ってます」
「っ……、…、……、…………うん…待ってて、くれ、な――…さっさと始末つけてくるから…!」
「…………無茶、させないでね」
「ッ!」
「おやおや、察しのいい妹くんだねぇ――ハハハ、11年の空白がウソの様じゃないか!」
「っ…………はぁ……そーゆー子なのよ――…俺の妹は〜…」
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