学生たちの笑い声が響く昼休みも過ぎ、午後の授業が開始となって校舎が静けさを取り戻した頃、
私はクロウリーさんに呼ばれて一人学園長室へとやってきていた。
そしてそこで伝えられたのは、お偉いさんからのお達し――というものだった。

 

「……リュグズュール?」

「そうです。ここにいる間は本来のファミリーネームではなく、リュグズュールと――
――…って!なな、なんて顔で人を睨むんですか!?!」

はぁ…?これは睨むでしょう…?意味…考えてくださいます…?リュグズュールって………!」

 

 ――リュグズュール。
多くの日本人にとっては聞き馴染みの外国語ことばだろうけれど、私は縁あってというか、趣味の問題というかで知っている。
リュグズュールコレ」はフランス語で、日本語に訳すと――…色欲、だ。
……勘弁いただきたい理由をご理解いただけただろうか。

 悲しい話・・・・、死ぬほど的っ外れな苗字ファミリーネームじゃない――から、なおさらに辛いワケで…。
遡って最古一歩手前の位置で言えば、色欲さん家の澪理ちゃん…
――…は、とんでもなくは間違っはずれていない。娼婦ゆうじょを先祖とする我が家だけに。

 …それに我が一族は現代においてもいわゆる風俗業界で「老舗」としてドシンと鎮座しているし――…
……あれ…?よく考えたら…突っぱねられない……のでは…??

 

「…あなたの言う『意味』はわかりませんが、
私は灰色の魔法士団グレーホライズンナイツからの指示を伝えているだけ――なので私に文句を言われても困りますっ」

「……それ、は…理解しました――けど、意味が解らない――とは…
…『リュグズュール』に意味がない、ってことですか」

「…そうですね、リュグズュールの名に、意味はありません――が、
遥か遥か大昔――神話などと呼ばれる時代の王の名、ではあります。
…とはいえ、おとぎ話より古い神話なんてシロモノですからねぇ?知っている人間なんてそういないと思いますよ?」

「(……逆にドンピシャなのでは?高校生・・・は)」

 

 クロウリーさん曰く、「リュグズュール」は神話における王の名――であって、それひとつで意味を成す単語、ではないそうな。
…とはいえ、クロウリーさんが必ずしも本当のことを言っているとは限らない。

 やっていることはセコいが、成功すれば致命的な打撃となる嫌がらせだけに、
私たち兄妹に対していい印象を持っていないだろうクロウリーさんであれば、涼しい顔で全力で引っ掛けようとしている可能性も考えられる――
…が、どうもその可能性はなさそうだ。確証は、ないけれど。

 

「お名前の話は、納得してもらえましたか?」

「…はい。……畏れ多いですが、リュグズュールの名、お借りします…」

「そんなに畏まる必要はないと思いますけどねぇ?
地名にすら残っていない古い神話ハナシですから――っと、話を戻しましょう」

 

 古い記憶を引っ張り出しているような風でクロウリーさんは「古い話」だと言う――
――けれど、ふと話題の脱線に気づいたようで、コホンと咳払いすると、デスクの引き出しから一枚の書類を取り出した。

 

灰魔師団グレーホライズンナイツより、あなたの入学を許可するよう打診を受けました」

「!」

「本来我が校は、闇の鏡に選ばれた者の入学しか認めません。
まして組織からの打診を受けて『席』を設けるなど以ての外――…ではありますが、あなたが望めば話は違う」

「…………グリムくん…もしくは兄さんと同じ・・、ですか?」

「ええ、その通り――話が早くて助かりますよ」

「……」

 

 ニコーっと笑顔で答えるクロウリーさん――に、若干の頭痛を覚える。
ナイトレイブンカレッジめいもんこうの学園長として、そのクオリティひょうばんの維持に一定のプライドを持っている――のかと思いきや、
問題ソレが明るみに出ないのであれば、相手を見て融通するスタンス――らしい。

 …まぁ、名門校だからとお高く留まって、新入生を確保できなかったり、
将来有望な若者を囲えなかったりするよりは幾分もいいけれど――
…個人的には、何とも抵抗感のあるところだった。
 

 ――とはいえ、この学園に生徒として通えるというのは願ったり叶ったり。
私に魔法士――そもそも魔法が扱えるのか、という疑問はあるけれど……
…おかしな話、兄さんが魔法を使えたのなら、私も使えるんじゃないか――と思ってはいる。

 …適性それが、血に因った素養モノ――でないのであればなおさらだった。

 とりあえず、ナイトレイブンカレッジへの入学――は、保留にした。

 クロウリーさんには「なんですと?!」と驚かれたけれど、「ファンタピアの再開の方が重要」と答えたら、
なんとも苦い表情をされたけれど、どうやらクロウリーさんにとっても利になる部分があるのか「それは…」と物凄くふんわりとした同意をされた。

 ――ので、ファンタピアのことが落ち着いたら是非入学させて欲しい――
――とこちらからお願いするカタチにしたところ、クロウリーさんはパァっと表情を明るくしたと思ったら、
「わかりました」と私のワガママ・・・・を「私優しいので」と受け入れてくれた。…うん、まぁ、深くは突っ込むまいよ。
 

 名前の話、入学の話――クロウリーさんが話したかったという話に決着がついたところで、
私は学園長室を――そして本校舎を後にしていた。
長居する理由がない――というのもあるけれど、生徒と鉢合わせるかもしれない場に身を置きたくない、というのが何よりだった。

 無人のメインストリートを進み、食堂の前を通り過ぎ、鏡舎を横目に――ひたすらに歩く。
…ささやかな疑問なのだけれど、ちょっとこれ教室と教室の間、遠くないだろうか。
それともなんだろう、みなさん教室の移動は箒に乗るのかしら?魔法使い的に。
 

 そんなどーでもいいことを思いながら橋を渡ると、すぐに見えてくるのは二棟の温室。
手前のソレは魔法薬学の教室で、奥のドーム状のソレは見た通りの植物園――だそうな。

 ガラスの壁の向こう――魔法薬学の教室では、
白衣を着た青年たちがなにやらわらわらとやっている――中で、
「うわっ!」とか「クッサ!」とか言う声が聞こえたかと思うと「窓を開けろ!」と言う大人の声が聞こえる。
そしてバタバタと窓を開く音が聞こえて――

 

「……ぅわ…ここまで臭う……」

 

 子細は見て取れない距離にあるにもかかわらず、失敗によるものだろう異臭は風に乗って私の鼻にまで届く。
なんとも表現の難しい……化学薬品の臭いとも、生薬系の匂いともまた違う、なんかイヤな臭い……。
もし私がこの学園に入学した場合、魔法薬学の授業で誰かが・・・ミスをする度にこの異臭の餌食になるのだろう――…と思うと正直気が滅入る。
……ガスマスク、とか持ち込み禁止かなぁ…。

 イヤな臭いに「ぅえ」と思いながら、逃げるようにオンボロ寮を目指す――その途中、ふと目に留まったのは植物園。
ジェームズさん曰く、授業で使用することはそう多くなく、また足を運ぶ学生も少ない施設――
――で、用務員われわれが管理の一端を任されている場所でもあるので、自由に出入りしてもいい――と言っていた。
 

 ファンタピアで上演された演目さくひんの全てに目を通し、
更にこの世界のエンタメ事情の収集と整理、そしてこの世界で親しまれている音楽の精査――
――と、…正直、やるべきことは山ほどある。

 ただ、今すぐ手を付けなければどうしようもなくなる――ほど、切羽詰まってはいない。
なら、ちょっとくらい寄り道という名の気分転換に時間を割いても、バチは当たらないと思う――
…因みに、もしバチそれが当たったとしたら、殴るけどね?神様ソイツを。

 

「…あ、コレ、ダメになる環境きこうだ」

 

 穏やかに差し込む日差しに、柔らかな温かさ。
若干湿度が高くはあるけれど、温室という環境を考えればまったく不快じゃない。
ここでただぼーっとしていろと言われても、
(何の予定も詰まっていなければ)まったく苦無く何時間でもいられる気がする――大半の寝て過ごす、という意味も含めて。

 ――ただ、そういう意味でなくても植物園ココは私にとってお気に入りの場所になりそうだった。

 

「(見たことない花がいっぱい……)」

 

 こちらの常識では考えられない色をした花が所狭しと並ぶ花壇。
そこから少し視線をずらせば、見覚えがある――ようでよく見ると不思議な模様の樹皮や葉をしている樹木が茂り、
水路の端にはなんとも不思議な形状カタチをした水草が浮いている。

 魔法の世界のなんだから――と言ってしまえばそれまでだけど、こうして実際に目にしてしまうと未知の植物に好奇心が止まらない。
というか、創作意欲インスピレーションが止まらない…!

 

「っ…だとしても…!人様が手塩にかけたモノを手折るわけにはァ……!」

 

 綺麗な花を前にして、それを飾りいけたくなってしまうのは、その術を持つ人間の性――のようなもの。
…とはいえ、その花は用務員ゴーストの管轄下にあったとしても、あくまで私の管轄モノではない――し、
育てた側からすれば、どんな花であれ身勝手に手折られることほど腹立たしいことはない。

 花を扱う者の端くれとして、花を育てる人には敬意を――
――幼い頃に説かれた教えを頭の中で復唱し、私はゆっくりと花から距離を取る。

 あれは誰かの育てた大事な(のかもしれない)花――
…それに、毒性とかアレルギー成分とかで、素手で触れるのは危険な植物かもしれない。
綺麗な花には棘がある――が元の世界あちらの言葉だとすれば、
こちらでは棘が毒に置き換わっていてもなんの不思議もない。…だからこその「魔法薬学」なのだろうし。

 

「――おや、あなた様は」

「っ――………ぅん?」

 

 ふと後ろからかかった声に反射で振り返ってみれば、
そこには庭師のような姿をしたゴースト――と、果実が入った籠を抱えた褐色肌の長身の――………青年・・、か?
一応制服は着てるけど……いや、それよりも個人的に気になるのは――

 

「みみ………」

…あ゛ン?

「おやおや、獣人は『はじめまして』のようですな――
ふふふ、異邦よりの客人まれびとです。そう睨むものではないですよレオナくん」

「っ、ぁ…す、すみません…!不躾にジロジロと…」

「……――駄賃・・は払った。あとは好きにさせてもらうぜ」

 

 庭師のゴーストかれの言葉にハッとして、学園の制服を着た「レオナ」と呼ばれた獣人の青年(?)に慌てて頭を下げて謝罪する――
――けれども、私が頭を上げた時には彼の視線は庭師のゴーストの方に向いていて。

 そして彼らの間で何らかの取引が成立したのか、
釘を刺すように「好きに」と言った上で、獣人の彼はさっさと植物園の奥へと消えてしまった。

 

「ぅぅ…申し訳ない……」

「いやいや、彼は誰に対しても『ああ』………ではない、か…。
ふふ、いつもなら・・・・・――もっと不機嫌、だったでしょうなぁ」

「………ぇ?」

「はははは、色々な要因が重なった――といったところですかな」

■あとがき
 イデアさんに続いて、レオナさんとも接点確保です!……接点っていうより、ただ「会った」ってだけですが…(苦笑)
そしてここからしばらーく…最悪二章までレオナさんのご登場はない気がします…(遠い目)
……その分、フェアガラ連載でがっつり絡むことになるからいいよね!いいよね!…ただ、それこそ二章終幕後、のような気がするのですがァ……(滝汗)