間違いなく、元の世界へ帰ることが叶う業――というのは、実はある。
兄さんは使えないけれど、私――と、弟には使うことができる一族秘伝の御業。
…ではなぜ、今の今までソレを使わなかったのか――と問われれば、それは「成功しない」という確信があったから、だ。
成功すれは間違いない――としても、まず成功しないことには不可能と同じ。
であればそれにすがる場面というのは、万策尽きた時、もしくは現状に余裕ができた時――
――が、私とこの業にとってはベスト――最もリスクが無いと言えた。
…ただ、前者については「希望を捨てる最後の手段」――としての側面もあるけれど。
そしてこの度、この業を試してみようという判断に至った要因――とは、
ヘンルーダさんの評価が卑屈だったから、私が想定していたよりもずっと、彼らの表現者としての技術が充実していたから、だ。
…精神的な部分――演者としての心構え的なことについては、ヘンルーダさんの言った通りといったところだったけれど、
ソレについては口を出すより場数を踏んだ方が早いし確実。
不要な摩擦を避けるという意味でも、気格については見守るのが妥当――…となると、状況は想定よりも緩和するわけで。
先代のレベルを知り、現状のレベルを知り――大まかなところの算段は付いた。
想定していたよりも状況はいい――が、ぶっちゃけ悪いことには変わりない。
…というか、先代のレベルがトンでもなかった。
大粒揃いにしても高校生の程度じゃな――………ああそうか、端からそういうつもりじゃないのか。
端から大人の世界で勝負していく心積もりだったのか――………っていやだから、ソレが高校生らしからないってんです?
……とはいえ、人事に対する不満は子供のワガママ――無能の降参だ。
確かに、今を生きる生者の輝きというものは、今代には無い魅力――
――だけれど、端から先代と同じ個性で競うつもりなんて、そんな分の悪すぎる勝負をする気は毛頭ないワケで。
それは、芸術家たちから「臆病者」のそしりを受けるのも止む無しの選択――だとしても、
素人からの好評と興味の方が重要な状況というモノもあるのだ――のし上がるためには。
――ただ、そんな「批評」を書いた批評家のその批評が、負け惜しみになるだけのモノ――には、仕上げるつもりではいるけどね。
…そういう意味では、どういう「批評」を受けるかは楽しみかもしれない――この世界の「芸術家」の程度を知る、という意味でも。
平日の午前9時を回った頃、私は一人鏡舎へと向かい、
そこからオクタヴィネル寮――海の魔女の慈悲の精神に基づき、また海の環境に近い雰囲気を持つ、
元人魚が寮区長を務める寮へと足を運んでいた。
授業を受けるために全ての生徒が出払っているだろうオクタヴィネル寮に人の気配はない――が、担当の用務員たちは忙しなく働いている。
しかしそれは全ての寮に言えたこと――ではなく、オクタヴィネル寮の伝統から成る「特例」も関係しているんだそうな。
「………マ、マネージャー…?ど、どうかされましたか…??」
「…ステージ……が………」
思わず足を止めてしまったのはオクタヴィネル寮内――ではなく、
その敷地内にある「モストロ・ラウンジ」と呼ばれるカフェ――の中の、ある一角に設けられた小さなステージ、だった。
小ぢんまりとはしているが、窓代わりの巨大水槽から差し込む光の幻想と、店のシックさが調和して魅せる雰囲気というのがとても良くて。
そしてまた、設置されているピアノがライトアップではなくグランドピアノで、雰囲気作りのインテリア――という感が薄いのも好印象。
単純に客として、このステージで開かれる演奏を見てみたいという気持ちが湧く――と同時に、コレを利用できないだろうか、とも思った。
「………この店の経営者はこの寮の寮長殿――…でしたか…」
「は、はい…。現寮長のアーシェングロットくんです…」
「……学生…かぁー………」
他寮の寮長たちの行動がモワと浮かんで――ソレがずむと頭にのしかかる。
他がああだから此処もそうとは限らない――が、類は友を呼ぶと言うし、世代で人は分類されるものだし――…楽観は、するべきではないだろう。
「ゆとり世代――」というのであれば、それはもうしようがない。
今は常識から外れていても、それはいずれスタンダードになる――のだから、
それに合わせて変わっていくのが社会であり、上手い経営者というもの。
…であれば、適当にうまーく関わっていくしかないだろう。…傘下に加える――までの、決断をするつもりがない以上は。
「……ステージの、主な利用者というのは?」
「ぇっ、ぁ………す、すみません…っ。オレ…ここのことは詳しくなくて…」
「………それだけ、ここは独立した生徒の組織――…というワケですか」
「…だと思います…。ここの清掃や管理も全部寮生たちの仕事なので……」
「…ふむ…」
模範とする【海の魔女】の慈悲の精神に倣い、校外活動を寮の伝統として認められているオクタヴィネル寮。
その中で運営されている「モストロ・ラウンジ」――とはいえ、
その運営には大人の存在が強くかかわっているんだろう――…と思っていたけれど、そうではないらしい。
一学生に、他人を背負うだけの責任感と根性と覚悟はあるのか――
――と、私の知る寮長たちを思えば疑問は覚えるが、いつかの生徒たちを思えば疑問はない。
しかし「世代」という不穏な疑念はある――が、すべての生徒を「世代」という分類で括るのはアホの早計だ。
……ただ現状、その疑念を晴らすこの世界出身の生徒には、まだ出会えていないワケですが。
「……まずはハーロックさんに相談かな――
――お時間取ってすみません。案内、改めてよろしくお願いします」
一人で考えてどうなるモノじゃない――と、とりあえずの結論を出し、
改めて私の案内を担当しているゴーストに案内の再開をお願いすれば、彼は恐縮したような様子で「は、はい」と答えると、
「こちらです」と言ってふよふよと前へ進み――…おそらくバックヤードにつながっているだろうドアをすり抜けた。
……まぁ、ゴーストである彼にとって、今はもうドアとはそういう使い方なんだろう――けれど、
それはそれとして生存の人間も通れるようにした上で、通り抜けをお願いしたかった。
………いやたぶん、私がついて来てないことに気づいて鍵を開けてくれるとは思うけ――
「キュピびャアアアア―――!!?!」
「ふむぐ!!」
弾丸か何かの如き勢いでカッ飛んでくる――というかこちらに逃げ込んでくるのは先ほどのゴースト。
そしてその逃亡の軌道の先にあったのは私の首辺り――で、物理的ではないがなんとも表現し難い強い衝撃が奔り――
――ハッと現実に還れば、ひやりとしたこの世の物理では表現できないふんわりした感触のなにかが、
ぎゅううと私の首を締め――…いや、首にしがみついていた。
「………どうしたんですかオーセさん…メンダコみたいな姿になって……」
「っメンダコじゃないです!オレ、イイダコです!!」
「……今はそこ、重要じゃない気がしますねぇ…」
タコであってタコらしからない、UFOのような姿をした正真正銘のタコ――
――メンダコのような姿になってしまっているのは、オクタヴィネル寮所属の用務員であるオーセさん。
さっきまでの姿においても、彼の足――…というのか、下半身はタコの足ではあった。
ただ、今と違って見慣れたタコの足――のデフォルメ調、だったけれど。
今の私にとって、オーセさんの種類がなんであるかは重要じゃあない――
――が、オーセさんにとっては重要なようで、恐怖と混乱に襲われながらもメンダコとイイダコの違いを叫ぶように解説している。
…なんだろうね。生前「メンダコ」ってからかわれたのかな…。
…もしくは「メンダコ」に恨みでもあるのかな……。
オクタヴィネル寮の寮区長であるハーロックさん曰く、オーセさんはNRCに勤務するゴーストの中ではかなり若い部類だという。
しかしそれ故に精神的にも、そして存在としても不安定な部分が多々あると、不安のような心配を口にしていた――
――が、間違いなくギタリストとしての才能がある!との売り込みも受けていた。
……とりあえず、オーセさんが如何ほど若いかはわからないが、齢を重ねていないゴースト――という「存在」の理解には至った。
ゴーストとは、魂そのものと言っても過言ではない存在――故にその揺れは「反射神経」の如く「感情」として放出されてしまう――存在、なのだろう。
…ジェームズさんとかノランさんのことを思うと「ん?」となるけれど、先のヘンルーダさんのことを思うと頷く部分があった。
…ただそう考えると、ゴーストの「揺れ」というのは、かなり個人差の激しいモノなのかもしれない――…生前の性格だけに因らず、色々な要素が関わって。
…幽霊劇場の管理人としては、極めて重要な気がする問題を頭の端で考えながら、
未だにタコについて語るオーセさんの背を撫でている――と、不意にオーセさんが飛び出してきたドアからカチリと鍵が開いたのだろう音が鳴る。
そしてドア向こうから、ドアを開けずに姿を見せたのは――
「いやー悪ィなマネージャ〜。ロクな迎えも寄越せんで」
苦笑いしながらドアから現れたのは、
海賊を思わせる三角帽を被ったデフォルメ姿のゴースト――ハーロックさん。
さて、ハーロックさんは私の首にしがみつくオーセさんの姿を見て「ロクな」と言ったのか、
それとも別の要因から「ロクな」という評価に至ったのか――。
そこに疑問を覚えて「一体何が?」と尋ねれば、ハーロックさんは浮かべていた苦笑いを若干渋いものに変えた。
「あー……ナニがあった、ってかぁ――……まぁ、会ったヤツが悪かった、だなぁ〜…」
「ぅん?」
「…人間も、天敵に遭遇したら逃げる!だろ?」
「…それは……まぁ…逃げますけど………。…ハーロックさん、オーセさんの天敵…なんですか??」
「まぁ原種の関係としてはなー」
「………人魚――…になっても天敵、適応されるんですね…」
「ぅんやコイツの場合、単にウツボの図体がデカい――てか個人の相性の問題だな!」
まるでなんでもないことを語るかのように、ハーロックさんは怯えるオーセさんのことを「相性の問題」と笑い飛ばす。
…逆に、原典からくる本能的な「天敵」故の恐怖や苦手意識であれば、対策のしようが無いからこ手段対策もとれる――
…けれど、単に性格の相性での摩擦となると………逆に対策がとり難い…。
…ハーロックさんの、粗雑なくらいの気っ風の良さは、おそらく海の男たち――
――兄さん個人所有の商船の乗組員たちからすれば、信頼と尊敬、そして居心地の良さに繋がっているはず…。
…でもだからって、多数のため、そして利益のためにオーセさんを切り捨てる――…というやり方は認められるモノじゃあない。
……そしてそれは、兄さんにも通じる矜持だと思うんだけど……?
「――アハ。メンダコちゃんってばマジおもしれぇ〜」
「ふふ、いけませんよフロイド。小さくともオーセさんは僕たちの生活を支えてくださる職員さん、なんですから」
ガチャとドアが鳴り、今度こそドアが開いて――その奥から姿を見せたのは、
見慣れてきた黒の学生服に身を包んだ……とても、高身長な二人組の青年。
口調というか、性格は白と黒ぐらい違って見える彼らだが、骨格も髪色も顔のパーツも――そしておそらく性根も、ほぼほぼ瓜二つ、だった。
私にとっては分かりやすい彼らの関係に、「ああ」とオーセさんが取り乱した天敵を理解した――が、これはどういうことだろうか?
なぜ授業時間中に生徒が、居住区でもなく、更に言えば営業さえしていないカフェにいる!――の?
「……」
「いやいや、オレ様だって想定外――
――てか船着き場行ったら『なにしに行くのぉ?』『お手伝いしましょうか?』つって出迎えられたオレ様の恐怖よ」
「…………あちら、未来予知のユニーク魔法でもお持ちで?」
「じゃねーからなおコエーの」
「わぅお」
ハーロックさんに不満を向ければ、恐怖を返され――無感情な驚きの声が漏れる。
なるほど。理解も納得もしたくないけれど、事実は現実として受け止めよう――
…ただ、真っ向から受けて立つつもりは一切ないので、ハーロックさんがなんとかうまく対処してください。頑張れ寮区長!
「ん〜?ねぇブチ兄ィ、そいつなァにー?
…つーかさぁ〜イマここに、ウチの連中以外がいるのっておかしくねェ?」
「……あのなぁ…それ言ったらまずお前らの方がオカシイのよ?学生は授業を受けるのが仕事よー?」
「――それはそれとして、営業開始前のモストロ・ラウンジに部外者がいる事実は見逃せません。
ラウンジのチーフとして、きちんと事情を説明していただきたいですね」
「………コチラ、ウチのボスだから部外者じゃねーの。寧ろオレの上司サマだから――オレより権限上!」
――と面倒ぶん投げ、私の後ろに隠れるハーロックさん。
……まぁ、ハーロックさんの言っていることに嘘はない、ですよ?
実際、ジェームズさんから「ゴーストのボス」の座は譲られてますから?
ハーロックさんたちのボスではあります――けどね?用務員の職長――ではないんです?
「ハーロックさん、理屈がお門違い――です。投げるべきはハーロックさんではなく、自分――ですっ」
「イヤーン」
自分の頭の後ろに隠れているハーロックさんの首根っこを引っ掴み、
前に持ってきたところでハーロックさんの尻(?)をペンっと手の甲で弾き飛ばし――ターコイズの青年たちの前へと送り出す。
そうして彼らの前に再度引っ張り出されたハーロックさんは、諦め悪く「えー」と言いたげに私を見る――けれど、そこで「はいはい」となるわけもなく、
笑顔で首をかしげてすごむ――と、すぐにハーロックさんは苦笑いを浮かべて「はいはい」と諦め、青年たちへと向き直った。
「船着き場に行くだけ、だ。――ホレ、オメーらはさっさとガッコ行きなさいっ」
「ええ、それはわかります。僕が聞きたいのは『部外者』についてです」
「……だから、アチラゴーストのボス――…あー……オーナ…いや、アロガンス師団長の部下、みたいなモンだ」
「…」
「…そうですね。ジェームズさんがそうだったなら、そうなりますね」
「ホレ、部外者じゃねーの。わかったらちゃっちゃか登校せーい」
ホレホレと登校を促すハーロックさん――を前に、
カフェのチーフと名乗った青年は反論のネタを持たないようで、苦笑いを浮かべながらもハーロックさんの言葉に応じる姿勢を見せる――
…が、その隣で状況を見守っていた「フロイド」と呼ばれていた青年には、どうやら応じるつもりがないようで、
ニヤニヤと愉しげな笑みを浮かべながらコチラへやってくる――が、
「――――」
「………」
青年と私の間に立ち塞がったのはハーロックさん。
…しかしその姿は見慣れたデフォルメのモノでも、生前の姿を反映した人型のモノ――でもなかった。
クリームがかった白に不規則に散らばる黒の斑点――それは此方の常識では考えられないサイズのウツボの――
…ん?コレはドコ、だろう?胴になるの?それとも尾びれ……になるの…かな??
………ま、まぁとにかくこれはハーロックさんの生前――の、人魚としての姿を反映した姿、なんだろう。
…優に、全長3〜4mはあろうかハーロックさん――の、表情を伺おうと顔を上げる――と、首にあった感触がポロと失われる。
反射的にそちらの方が気になって、振り返ってみれば――
「………オーセさん?……ハー…ロックさん…っ!オ、オーセさんが泡吹いてます!!?」
「ぁ…あー………。……ウン。魂消てるだけだからダイジョブだ☆」
「いやっ、魂消てるならだいじょばないでしょう!?ゴーストがですよっ?!」
「…あーあーとにかく大丈夫だって。ホレ、アレだ。擬死みたいなモンだ」
ブクブクと、泡を吹いているのは――床にべちゃあ…と広がっているオーセさん。
…因みに、今もメンダコのような姿なので――…死んでる感が凄い…。
ハーロックさんは擬死のようなモノと言うけれど、信用していいものやら疑ってしまう――…
…が、よく考えたら現存している時点でゴーストはそれで、存在に関しては問題ない気がした。
天に召されると言うのであれば、おそらく彼らは物理的なモノは一つも残さず――姿を消す、だろうから。
とりあえず自分の中でも納得して、床でべちゃあ…となっているオーセさんを………申し訳なく思いつつ、摘み上げる。
…ゴーストになっても、人魚は生前の生態に強く影響を受けるのかな――と知的好奇心を覚えながらも、
それを無いことにして、気絶(?)状態に陥っているオーセさんを手のひらの上に確保する。
そして改めて問題に振り返ってみれば――
「…しらけた。ジェイド行こぉ」
「…ふふ、そうですか。フロイドがそう言うなら行きましょうか――では」
先ほどまでの愉しげな表情はどこへやら、つまらなそう表情で手を頭の後ろで組み、兄弟に「行こう」と言って歩き出す青年――
――と、その兄弟の言葉に応じて彼と共に歩き出し、私とすれ違うかというところで軽く会釈をして去って行く青年。
彼らの去ったカフェのホールはしんと静まり返り――
――残されたハーロックさんの存在が、違和感しか仕事をしていなかった。
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