孤高のアリゲーター――灰魔師団時代にはその腕っぷし一つで、モンスター討伐部隊にまで上り詰めたジェームズさん。
そんな猛者による体術、更にコンビでの戦い方の指導を受け――仮想敵との実戦練習もいくつか重ねたトラッポラくんとスペードくん。
数日前の彼らと比べると、肉体的にはだいーぶボロボロになっている――
――が、背筋は裏付けされた自信でピンと伸び、不満を湛えるだけだった瞳は、炎の様な闘志で輝いて見えた。
――だが、そんな彼らを、ハーツラビュル寮の寮生たちは嗤った。
無駄だと、無謀だと、馬鹿げていると――…それは、己の無力を嘲うと同義であるとも知らずに。
「………はぁ…。…あの兄にこの妹あり――…ですねぇ…」
「いえいえ、全面的にジェームズさんのご指導の賜物なので私の手腕じゃないですよ」
「…いえいえ、ジェームズさんを働かせた時点であなたの成果ですよ…」
「……ああ、だから『あの兄に――』と」
「…………もういいです。そういうことで…」
クロウリーさんの立ち合いの下、ハーツラビュル寮の寮長の座をかけた決闘が開始して――既に5分が経過している。
誰も彼もが「一瞬で」と嗤った無謀な挑戦者たちは、圧倒的に実力が不足している中――未だ寮長殿の首輪につかずにいた。
…ただ現状、一瞬たりともトラッポラくんたちは攻勢に出ることはできておらず、更に言うと好転の気配もない。
この戦況を、客観的に判断する――と、スペードくんたちに勝利はない。現状は。
「ああもう…!ちょこまかとネズミみたいに…!!」
あの手この手で遮蔽物を作り、ソレを利用して確実に身を守る。
戦況を悪くはしていないが、間違いなくこの状況は防戦一方――トラッポラくんたちの不利を物語っているような状況――
――ではあるが、不発を小さくも着実に重ねることで、私たちが意図した効果は現れ始めている。
学生魔法士の絶対的欠点――精神の未熟さを突く、という意図が。
少し前のスペードくん――よりもトラッポラくんであれば、彼にとっても「精神の未熟さ」というのは欠点となり得ただろう――
――から、私もジェームズさんもトラッポラくんに彼が嫌うところの「努力」を強いた。
なのでまぁ最初の内は文句も愚痴も、そして諦めの言葉もぼろぼろと止めど無く流れ出ていた――が、
実戦練習を始めた頃から、諦めの言葉はブツと途切れていた。…文句と愚痴は相変わらずだったけれど。
スペードくんが寮長殿の攻撃から逃れる。トラッポラくんは寮長殿の攻撃を上手く交わす。
そして今度は――寮長殿が、攻撃を外した。
誰の目にも明らかな寮長殿の消耗に、寮の空気が瞬間不穏に冷える――
――が、そんな状況を絶好の好機と見たトラッポラくんがついに攻撃を魔法を放った。
「ッ――こんなもの…!」
しかしトラッポラくんの風魔法は寮長殿に届くことなく、
寮長殿の炎魔法によってかき消される――が、それに対してトラッポラくんはマイナスな表情を見せない。
寧ろ、「ここからだ」と自信の色を強め、ニイと不敵な笑みを浮かべ――る端でスペードくんが「いでよ大釜!」とお決まりの台詞を唱え、
それに反射的に反応した寮長殿――に向かってもう一度、トラッポラくんは得意の風魔法を放った。
「――ぁあー!おっしー!」
「でもあの新入生たち!寮長に喰らいついてるぞ!」
二人という数の強みを利用して、不意を突いたトラッポラくんたち――ではあったけれど、
それでも実践魔法を得意とする寮長殿には未だ敵わず、どちらの攻撃も寮長殿には届かなかった。
――だが、これもまた私たちが、そしてトラッポラくん自身も意図した効果じゃあない。
そしてその効果――寮生の声援を得る、という目的は達成されていた。
感情の高ぶりによって寮生たちの口から思わず漏れ出る――本音。
ある者はその瞬間に口をつぐみ、ある者はそれを咎め――ある者はタガが外れて「いいぞ」と更に声を上げる。
そしてその「開き直り」は、横暴な悪役に立ち向かう、無謀だが勇敢な新入生たちが攻勢に出る度――寮生たちに伝播していった。
「………前言を……撤回します………!あなた、は……!彼などよりずっと性質が悪い!!」
「……失礼ですねぇ…。力無き者の総力を結集した知略――ですよ?
…砂漠の魔術師様も感心――通り越して青ざめると思うんですがねぇ?」
「やっぱり最悪じゃないですか!!」
悲鳴でも上げるかのように声を上げるクロウリーさん――は放って、今一度状況を改める。
決闘の場は地面の抉れと大釜によって凹凸ができ、それを囲む寮生の多くはトラッポラくんたちに声援を送っている。
そしてその反逆の声を上げる者たちに咎めるような視線を向ける者はいた――が、誰一人として咎めを口にする者は無い。
…これは完全に、トラッポラくんたちに風が吹いている――寮長殿を、最終段階にまで弱体化することには、成功した。
――しかし、ここからが彼らにとっては本当の正念場、というヤツだった。
あくまで寮長殿とトラッポラくんたちでは、「実力」というポテンシャルが違う。
だからこそ、相手の油断を突き、数の有利を確立して、相手の動揺に付け込んで場を作り、更に数の有利を確固たるものにした。
それも全ては彼らでは圧倒的に実力が足りないから。
補えない力を、相手の力を削ぐことで、彼らは喰らいつけるところにまでに至ったのだ。
だから、ここでの油断はなによりの命とり――ではあるが、
「(………ここまで――が、限界、か…)」
窮鼠猫を噛む――と言うが、手負いの獣は怖い――とも言う。
そしてそれが今、トラッポラくんたちが僅かに抜いた集中と噛み合って――ほぼほぼ、決闘の決着はついた。
魔法を使った攻撃しか認められないこの決闘において、魔法を封じられるのは致命的――
――寮長殿のユニーク魔法が決まっては、彼らは敗北したも同然だった。
――ただ、それでも納得していない人物が、一人いるようだが。
「リドル落ち着け!もう決闘は終わってる!」
「うるさい!うるさい!うるさい!ボクは正しいんだ!
ルールは守らなくちゃいけない!ルールを破ったら罰がある!それは当然のことなんだ…!
だからお母様は正しい!!だから――…!ボクも正しいんだ!!」
喚き散らすように自身の正しさを吠える寮長殿――の姿は、常軌を逸している。
…酷く、イヤな汗が背中に奔る。マズい…な。
コレは想定外というか、想像以上というか――…思慮が足りなかった、かな。
「おやめなさいローズハートくん!もう勝負はついています!これ以上は校則違反ですよ!」
クロウリーさんも彼の状況に不穏なものを感じたのか、校則違反という「ルール」を持ち出して寮長殿を制止する。
その呪いのようなキーワードに、寮長殿の怒りは若干薄れた――か、というところで更に想定していなかった事態が勃発した!
「…もう――うんざりなんだよ!!」
悲痛とも、激昂ともとれる声を誰かが上げ――その刹那、寮長殿の頭に何かが当たってはじける。
…そうして、寮長殿の頭と顔をドロリと汚したのは――…白身と黄身、だった。………誰かのユニーク魔法、なのかな。
「――そうだ!無茶苦茶なルールばっかり!」
「なんで俺たちが大昔の国の法律に!ここまで縛られなくちゃならないんだよ!」
「大体!俺たちは兵隊じゃないのに!」
「それに――寮長だって!女王どころか王族でもなんでもないっていうのに!」
数の勇気に背を押され、寮生たちは心に溜め込んでいた本音を口々にぶちまける。
その剥き出しの感情はバチバチと弾ける火花の様――なだけに、飛び散る怒りは別の寮生の感情の導火線に火をつけて。
そしてまた――と広がり弾け燃えるのは――烏合の怒り、だった。
…私が思うに、これこそが組織の長が一番に避けるべき事態――
…なのだが、……どうやらこの場に「長」なんて存在は、端からいなかったようだ。
「ハハ…!アハハハハ!!うんざりだって?うんざりしているのはボクの方だ!!
厳格なハートの女王を模範とするハーツラビュル寮生でありながら!自分勝手な理由でルールを破って!
挙句!それを反省もしないでボクが悪いだって!!?
ルールも守れない馬鹿どもがっ、ルールを守っているボクを――優秀なボクを否定するなァア!!!
コイツの首をはねろーー!!!」
「「「ぅわああああーーー!!!」」」
寮生たちの感情に触発され、寮長殿の感情も――盛大に、爆発する。
…やはり、彼は優秀は優秀なんだろう。
一度の掛け声で、複数の寮生の首に魔法封じの首枷を嵌めた――
――その、我慢によって育まれたのだろう実力は。
ただ、だからこそ彼は魔法士として、致命的な欠落を抱えることになってしまったのではないだろうか?
………いや、学生ならあって当然の不足、かな?
「いけませんローズハートくん!それ以上魔法を使っては!
魔法石が『ブロット』に染まり切ってしまう!!」
「……ブロット?」
「ボクは間違っていない…!ボクは、ボクこそが――!
厳格なお母様の精神に倣ったボクこそが!!
絶対に!絶対に――…!正しいんだぁあああああ!!!」
自身の正しさを、まるで自分に自分に言い聞かせるように吼える寮長殿――
――を、霧のように見えても、泥のように彼の身から溢れ出る黒のソレが、
寮長殿を守るように、彼と世界を別つように――彼の全てを呑み込む。
そうして形成された漆黒の繭は――早々に、羽化の時を迎えた。
「フフフ…!ボクの世界に、ルールを守れないヤツなんて要らない――世界のルールであるボクに逆らうヤツなんて、認めない!
返事は!『ハイ!リドル様!』以外許さない――…!
さぁ!愚かで不要なお前たちの首を!ボクが手ずから全部刎ねてやる!!アハ!アハハハハハハ!!!」
黒い霧の繭を泥のように融かし、そしてそれをまた自らの身に従え姿を見せたのは――
――血色の悪い灰色の肌にボロボロのドレス纏い、体にドレスに黒の泥が纏わりつかせた寮長殿。
黒に染まった寮長殿の、畏怖さえ覚えるその異様さは、明らかに真っ当なモノではない――が、
それを一番にわかりやすく示すのは、彼の背に寄り添う「顔のない怪物」の存在だった。
「ああもう…!なんてことをしてくれたんですか!
ローズハートくんをオーバーブロットさせてしまうなんて…!!」
「ふむ…。最悪の展開……ですか。………個人的には風が向いてきたと思ってるんですが」
「ハァ?!何を言ってるんですかあな――」
「誰も来てはならぬ――ですよ?……ぇ?心配してない??…うんまぁ…それは信頼、と受け取りますね――
――ではユウさん、通信端末をお願いしますね。最悪の最悪の場合、コレが頼みの綱になりますから」
「………」
「フフっ、心配してくださるのは嬉しいですが――
――そこの、膝が大爆笑しているノラ寮生たちのような立ち回りにはなりませんよぉ」
「っ…!ほんっと……でしょーねェ…!?そこまで大口叩いたんならッぜってー………ユウに!心配かけんなよな!!」
「最後にビシっと!寮長にヤキっ、入れてやってください!」
最後まで全力を尽くし、全身ボロボロになりながらも――
戦いきった彼らの目に後悔の色はなく、寧ろやりきったというある種の達成感にも近い自信の色がある。
そしてその自信を、プレッシャーとして向けられるのは――
「向けられた期待には応えましょう――それが、頑張ってくれたキミたちに私が返せる唯一のモノ、ですからね」
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