寮長殿からすれば、私というのは「悪」の親玉――といったところなんだろうか?
確かにトラッポラくんたちに「知恵」と「術」は与えたけれど、だからといって彼らを「悪」の道に引きずり込んではいない。
責任転嫁、というわけではないけれど、私という手段を選んだのはあくまでスペードくんたちなのだけど――
「ご挨拶ですねぇ?まだなにを言っても、してもいないのに」
前へ、進み出ただけ――で、ぶっ飛んできた庭木。
赤いバラが咲く、ハートの形に整えられたバラの木は、気品高くも愛らしい――かったのだけれど、
この場の雰囲気も相まって、露出した根っこがバラの木を異質かつ不気味な印象に変えていた。
…ただ、寮長殿の魔法によって引き抜かれたバラの木は、あくまで物理のバラの木でしかないようで、
幹を踏み付け、垣を跳び越えて躱して――も、棘が伸びた!とか、ツルが巻き付いてきた!とか、
ファンタジックなイレギュラーは起きなかった。………いや、起きなくてよかったよ??
「お前は…!お前だけは認めない…!ボクの世界を壊そうとしたお前だけは…!!」
「あー…そう言われてしまうと…――正々堂々、その否定は受け止めないと、ですねェ」
「っ――…バカにするなぁあああ!!!」
思った事を挑発を交えて口にすれば、それに煽られた寮長殿は――バラの木を三本、同時に放ってくる。
これはさすがに、生身で無魔力の人間には荷が重い――
――奥の手発動も止む無し、というところだけれど、どうやら奥の手一歩手前――懐刀で済む程度の様だ。
『右へ』
イヤホンから聞こえる声に従って、
右側の木から回避しようとする――が、その前に立ちふさがるのは真ん中の木。
どうすんだコレ――と、他人事のように思いながらも真ん中を避ける行動には出ず、
あくまで右の木をターゲットに前へ進む――と、真ん中の木の根に近い幹にバチュンと強い衝撃が奔り、
真ん中の木の根が地面に刺さって――左側の木の進行を妨げた。
――結果、先ほどとおよそ変わらない労力で回避は完了した。
「……凄いですねぇ。
寮の屋根からでこの威力、かつこの精密さ――これが戦場を生き抜いた狙撃手の術、ですか」
寮の屋根に視線を向ける――
――が、外界からの干渉を拒絶するように立ち込める薄闇色のモヤに阻まれ、
寮の屋根は輪郭をぼんやりと捉えることしかできなかった。
おそらく、それは向こうも同じ――…いや、もしかするとこちら以上に見えていない可能性もあるというのに――
…やはり生死というものは、ヒトをここまで変える劇物――なのだろう。
…ほんの毛の先ほど、理解する経験があるから……頭が痛い…。
「そんな…寮区長がボクを否定するなんて…?!」
「…いえ、『時代遅れ』とは言っていましたが、否定まではしていませんでしたよ?」
「ならどうして!!どうして…!お前の味方をしたんだ!!」
寮長殿の怒鳴り声に合わせてまた飛んでくるバラの木――と、火球。
…これはヤバい。
物理はなんとかしようがあるけれど、超常はさすがにどうにかできるか――不安しかない!
…せめてもうだいぶ、大きさが小さければ避けられたんだけど――…2m超の木と火の玉じゃあなぁ……。
『待機』
「ぇ」
驚きの判断に思わず驚きの声が漏れる――が、
目の前で更に驚くべき現象が起きるものだから――「ほえ」と間抜けこの上ない声が漏れた。
バラの木の根元に弾丸が打ち込まれた――までは先ほどと同じだったけれど、
そこからバラの木が一気に凍り付き、共に放たれた火球を氷の棘で串刺しにする――と、火球を巻き込む形でもろとも消滅した。
…事実は小説よりも奇なり――と言いますが………ホントですねぇ……。
「っ…はぁー……。
…私の味方をするのと、寮長殿への評価は――別問題、ですよ」
「ッ…何が違うと言うんだ!ボクを否定するお前の味方をしている時点で――…!!」
「――それは、子供の考え方――というものです」
「!?」
「大人たる者、個人の感情、意思に蓋をして、組織の方針に倣うこともまた役目――
――そしてそれが、己の不出来を認めるモノであったとしても、己の意思で選んだ長であるなら、それに従うこともまた己の意思!
……わかりますかね、このノランさんの悶えるくらいの潔さ!ホント、大きな分類で平たく言ったら寮長殿と類友ですよっ」
『――であれば、マネージャーにとっては私も否定の対象ですか』
楽しげとも、嬉しげともとれる声色で「否定」と口にするノランさん――に、若干イラっとする。
謙虚は美徳だが、卑下は悪徳――過ぎれば嫌味だ。
そして言うまでもなくノランさんの発言は――
「ノランさんと寮長殿は別モノ!ですっ――自分の意思で、信じる者を選んだんですからねェ!!」
『――フフ、おっしゃる通りだ』
通信端末に向かってヤケクソ気味に言い切った私――に、ノランさんはしっかと笑いを漏らす。
それに本格的にイラっとした――けれど、だからこそ寄せられる信頼を以て前へと、私は寮長殿へ向かって突撃を開始した。
「親の期待に応えたいと思うのは子の本能!
そして親に愛されたい、嫌われたくないと思うのもまた当然の子の心理!
――であれば!寮長殿の生き方に非などありません!!」
「ッなら!!ならどうしてボクに歯向かうんだ!
ボクが正しいと言うのなら…!大人しく従えぇえええ!!!」
「――ハッ、誰が正しいと言いましたか。
『生き方に非はない』と言っただけで――その在り様は全否定です!!」
「く、ぅ…!ぅわああああ!!!!」
「全否定」が引き金になったやら、寮長殿の攻撃は完全に見境を失い、
周りへの被害も考えず、自分を否定する恐怖を消し去るためにただただ攻撃を繰り返す。
その姿はまるで癇癪を起こした子供のソレ――だからこそ、彼の有り様は認められない。これは本当に――一番ダメな事例!だ!
障害など目もくれず、最短距離を一直線――弾丸のように寮長殿に向かって跳ぶ。
大ぶりな攻撃などただの障害物。雑な細かい攻撃は熱さを堪えれば弾き飛ばせる。
投げ飛ばされる障害物は――最後の踏み台。それを踏み飛ばし、力を蓄えつつ向かう先は――
「――――!!!!」
「ぅわああ?!」
顔のない怪物――を、渾身の力で蹴り飛ばせば、
どうやらそれと物理的にも繋がっているらしい寮長殿も一緒にぶっ飛ぶ。
…まぁ、最初から無傷で済ませようとも、済むとも思っていない――けれども、彼に怪我を負わせてしまうのは本意じゃなかった。
身も蓋もなく言ってしまえば、怪我も寮長殿の自業自得ではあるのだけれど――…同じ可能性にさらされた者として、
私が一番に怒りを向けているのはあくまで「彼の母親」――であって、寮長殿を殴り飛ばすのは八つ当たり、なのだ。私的に。
ただだからって、寮長殿にまったく非がない――とも思っていない。あくまで寮長殿にも「業」はある。
…ただこの言い分を、学生である彼に――以前に、自分以外に押し付けることが、果たして正当であるのかには、未だ疑問があるのだけれど。
「超常の世界も、そうでない世界も、どこにあっても人の道理は息苦しくて煩わしい――
…まぁ、自制心が足りないと言われればご尤もではあるけど…――気に入らないモンは、気に入らないの!」
此れは諦めではなく、また開き直りでもない。
これは宣誓――ありのままの私を、私自身が認め、受け入れ、
その総てを背負うという――今まで通りの私に戻る、というだけの宣言だ。
「これまでもこれからも、私は神子の道理を布き、その上を征く。
その上に成る生も死も、全ては――をも縛る我が深き欲が故――
――さぁて、――の姫巫女の手をとる畏れ知らずはだーれかなァ?」
挑発するように宣誓を投げ、
手を差し出せば――その手は、その身は、私の全てが、力に呑まれる。
此れに是非は無く、善悪もなく、また正否もない。此れはただあるだけの力。
その是非を、善悪を、正否を決めるのは、それを与えられた者。
此れは非を是とし、悪を善と定め、否を正とする――ただ、絶対的な力。
人の道理では語ることさえ適わない、人を超越した身勝手な獣神たちの――純粋が過ぎる神威、だ。
「私を呼びつけるとは、トンだ畏れ知らずに育ったじゃないか」
「えー?それはトンだ言いがかり――手を取ってくれたのはノイ姐さん、でしょ?」
「――フフ、ああそうとも。お前の言う通りだよ。
可愛いお前を独り占めしたくて、息子を放って――降りてきたのさ!」
晴れた視界の先に在るのは、纏った汚泥に無防備に浸食される人の魂。
これをどうにかする義理も道理も私たちにはない――が、これをどうにかしたいという気持ちが、私にはある。
それは人としての義理とか、人道とか、そんな行儀のいいモノではなく――
――ただ、そう思っただけ。「このまま」は気に入らない――と言うだけだ。
己の全てを否定する対極に恐れをなし、生存本能――よりも、消滅の恐怖に突き動かされ暴れ出す――顔のない怪物。
先ほどまでは、寮長殿の感情に呼応する形で力を揮っていたが、今は完全に逆の構図になっている――
――要するに、生命の危機なのである。寮長殿の。全然、切羽詰まっていないけれど。私たちは。
「ぁぁっ…ぁ、ァ……ぅぁっ…――ゥアァアアアァァァァァ!!!」
寮長殿の肉体から魔力を、負を絞り出し、顔のない怪物はただ必死に抵抗する――
…さて、その必死さとは一体誰から来ているんだろうか?
宿主である寮長殿の心の奥底に根付く恐れなのか――
それとも、その姿が表すいつかの時代の女王の懼れか――
…しかしまぁそんなこと、今はどちらだろうとどーでもよかった。
いずれにせよ、それを憐れむ気持ちも、余裕もない。
とっととしないと、寮長殿の魂が、あの顔のない怪物に取って喰われてしまう――
――…それは、そんなことになってしまっては――巫女の沽券に関わるのだ!
「――ハッ!巫女の浄化が鉄拳制裁とか…!格好つかない――なァ!!」
「―――――!!!!!」
白き雌獅子の咆哮に怯んだ怪物の、その一瞬の隙を突き――その土手っ腹に拳を放つ。
対極の力を強烈な勢いで叩きつけられ、穢れの塊たる顔のない怪物は、
声にもなっていない断末魔を上げ、無い顔から汚泥を吹き出し消滅する――
…が、怪物の最後の悪足掻きか、
噴き出した穢れは、意思を以て私――と、意識を失った寮長殿をドプリと呑み込んだ。
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