頭に流れ込んでくるのは、ある幼い少年の日常。
馴染みのない西洋の文化の中で、小さな少年が送る日々は――…思わず吐き気を催すレベルにトラウマのある光景。
ざわざわと体中に奔る悪寒にもにた不快感に、思わず苦笑いが浮かぶ――
――まだ、私はこの記憶に囚われているのか、と。
「――あなたからすれば、今も昔も、ボクの姿は『惨め』に映るのだろうね」
ふと、私の目に映るのは、仰々しい白の衣装――ハーツラビュルの寮長服を纏った寮長殿。
斜め下に向けられた視線――彼が何を見ているかはわからないけれど、彼が指す「惨めな彼の姿」には心当たりがある。
ただ、それを「惨め」とは毛の先ほどすらも思っていないけれど。
「惨めなどとはとんでもない。
単にトラウマ抉られてグエっときた吐き気を誤魔化していただけですよ」
「………………ぇ」
「…ある意味、寮長殿よりマシでしたけどね――意思もはっきりしない時分でしたので」
まるでロボットに情報を書き込んでいくかのように詰め込まれる芸事――それは、私も経験したことだった。
ただそれは、明確な自我というものが確立されていなかった、昔の寮長殿よりも幼い頃に――ではあって。
だからその詰め込みに、私は苦痛も不満も知らなかった――上に、幸か不幸か、芸事に適性のあったことも、
私が苦痛――精神の摩耗を知らせる危険信号を発せなかった要因だろう。
…我がことながら、今では全く考えられないが、幼少時代の私というのは本当に傀儡の様だった。
言われたことを、与えられらものを、ただただ機械的にこなす――生きた絡繰り人形。
泣きもせず、喚きもせず、ただ言われるがままに芸事をこなす幼子を、親族たちは「気味が悪い」と嫌忌した――
――が、意思を持って取り組めば取り組んだで「生意気だ」と鬱陶しがって………。
…マジホントあのなんちゃって文化人どもなァ………。
「あ、あの…?」
「――…ん?」
「随分……なんと言うか………」
「………ああ、申し訳ない――…昔を思い出すと、どうしてもその時の感情までぶり返してしまって――
…我ながら狭量と、トラウマを克服したいとは思っているんですが――…
……未だに分を弁えない連中の視線を思い出すと好戦性のあまりに武者震いが…!」
「ぁ、ぁ、ぇと……お、落ち着いて…貰えるかい…?」
腹の底から湧き上がるヘドロのような感情――を、寮長殿の言葉に応じて蓋をする。
明らかにここは寮長殿のターンであって、私のターンじゃあない。
理解するべきは私――であって、寮長殿が理解してくれる必要は、ない。とりあえず。
戸惑いながらも「落ち着け」と声をかけてくれた寮長殿に「申し訳ない」と改めて謝る――と、ふと脳裏に変化が生じた。
唐突に、赤毛の少年の下へやってきたのは二人の少年。
一人は見覚えのある耳としっぽがあって、もう一人は――…多分、ハーツラビュルの副寮長さん、だろう。
寮長殿と副寮長さんが幼馴染み――で、自分も同じだと言ったチェーニャくんの言葉に嘘が無ければ。
無邪気に、心の底から楽しそうに――短い時間を、目一杯遊ぶ少年たち。
子供の遊び時間としては刹那にも等しいだろう短い時間――
――だからこそ、かもしれないけれど、赤髪の少年の笑顔は直視できないほどに、喜びできらきらと輝いている。
…ああ、ああっ…ぁあ゛ー………!!
「マジムリ…!ギブっ、これはギブぅー……!」
「っ……」
不幸の共感――は、同じものを経験していなければ難しいモノ。
だけれど、それに近い経験をしていれば、ざっくりとではあるが、当事者の感情の揺れにも想像がつくだろう。
ただもし仮に、当事者の感情に当たりを付けられずとも――自分だったら、と想像すれば、大なり小なり感じるものはあるだろう。
…で?私は大を感じすぎて、己の幸福と能天気さに吐き戻しそうなんですが??
吐き気を催そうが、ギブアップを宣言しようが――脳裏を流れる記憶は止まらない。
少し背の高い緑髪の少年に誘われて、赤髪の少年は夢にまで見た真っ赤な苺のタルトを口にする。
宝石のように輝く真っ赤なイチゴが敷き詰められたタルトを頬張る少年の笑顔は――…本当に、吐き戻したくなるほど幸せそうだった。
記憶がこのまま、少年たちの笑顔で幕を閉じたなら、
ハッピーエンドで終わっていたなら――…きっと寮長殿も、「ああ」まではならなかっただろう。
間違いなく、「コレ」が寮長殿の心を捻じ曲げた出来事――トラウマというヤツだ。
……だが、この事実を知ったからこそ、寮長殿が真っ白ではない――黒があった、とも確信した。
…ただまぁその意識は、常人に求めるには過ぎる――自分ルールが過ぎる、という自覚もある…――し、
果たして自分が寮長殿の立場だった場合、母親に逆らうことができただろうか、…という後ろめたさもあるけれど。
親戚相手でさえ言いなりになっていた私が、誰の手も借りず、
たった一人で母親の理不尽に立ち向かうことが、果たしてできたのか――…
…………あー…多分この才能だったらあるところで逆らってた気がするなぁ……。
…あの母親の育て方じゃあ私の才能は持て余す――…多分どこかで見限りつけて、下手したら家出待ったなしだなぁ……。
「………そういう意味では、本当に寮長殿は良い子ですね」
「……………」
「バカにしてるわけじゃないんですよ?
寮長殿が『良い子』なのは、お母様への愛情――あと尊敬あってこそ、と思うんです。
…正直、私は母親が自分よりも優れているっていう前提に、いつか疑問を覚えたと思うので」
「…それ……は……」
「私と寮長殿では前提が違い過ぎる――だから所詮は全て『たられば』です。
…でも、身勝手を承知で言わせてもらえば――…自分が感じた理不尽を、そのまま他人に押し付けたことについては――擁護できません。
…それだけは、寮長殿が布いた悪――自覚するべき業でしょう」
色々なことを棚に上げ、身勝手な持論を口にする――が、それに対して寮長殿からの抗議や反論はない。
だが、賢い人だからこそ、この言い分は聞き入れるしかないだろう。
自分がされた嫌なことを他人に強いる――なんて行動は、進歩のない人間が犯すこと。
受け継がれてきた伝統は守るが、悪しき慣習は排除していく――これが進歩ある人というもの。
それを理解せず、ただがむしゃらに己の道理を押し付けるのは――力尽くのやり方だ。
「あなたは……怖くないのかい…?自分の悪を認めることが、自分の今までを否定することが……っ」
「それは――…前提が、寮長殿とは違いますからねぇ…。
…私にとってはそれまでこそが『最悪』の自分――だけに、その否定が今の自分の肯定につながる――…とまでは思って生きてませんけど、
それからは自分を自分だと胸を張れる――すべての負債に納得ができる『選択』を選んでいます」
「…………………自分を肯定するためなら…自分の負債を、認めると…言うのかい……?!」
「…否定、批判というのは、たとえ凡人であろうと受けるモノ――…だけに、我々のような優秀な逸材は、理不尽な僻みを受けることもままある。
そしてその感情的な批判に、正論を語ったところで無意味――なんであれ論理的ではない彼らはこちらの言い分を聞き入れない。
私たちの自覚がどーであれ、そもそも凡人の都合に合わない強者というのは――『悪役』なんですよ」
「………」
「フフっ、ただまぁ――吐いた悪評は呑めねェんだからな…?――とも、腹の底で思ってますけどねぇ」
嫉妬から成る否定や批判は、私が自意識に目覚めた時からずっとついて回っている――
――が、これは歴史ある芸能一族というモノの気質も、大きく影響しているとは思う。
純粋なようで不純、お家のためを謳う利己、男と女のすったもんだ――
――と、欲深い利己の思考によって、我が一族の首から下はおおよそ爛れている。
…そんな世界で育つとなれば、その中で悪者として生きるとなれば――否が応にも、太々しくも、図々しくもなる。
…それに、もうその時には私を助けても、守ってもくれる兄さんは……いなかった…し……。
兄さんは、自分を犠牲にしてまで「家族」を守っていた――
…その原動力は分からないけれど、そうまでして守ったのだから「家族」には大きな価値があるのだろう。
そしてもし、「家族」が無価値だとするなら――…それを守ってきた兄さんはトンだ道化で、重ねた苦悩は無意味だった――…となる。
………認められるわけがないだろう。そんな話。
異質な世界で生き抜くために努力を惜しまなかった兄さんを、立場に甘えて努力を怠った畜生共が否定するなんて――
――ああ、気に入らない。どうしてこんな連中が築いた「価値観」に倣わなくてはならないんだろうか――こんな、程度の低い。
「報復は簡単ですが、事を構えた時点で『合わせた』ではなく『同列』です。
なので――失策を叩きつけてやりました」
「……」
「もし、寮長殿が自分の正しさを、成功を以て示す――と言うのであれば、私にそれを止める権利はありません。
自分の選択に、自分の信じるモノに絶対的な自信があるからこその独断――であれば、人の振り見て我が振り直すつもりはありませんので♪」
「………」
嫌味もなければ他意もない、割と純粋な笑顔で「横暴」を肯定した――のに、
それを受けた寮長殿の表情は、まるでとんでもないエイリアでも見ているかのような迷惑そうな表情。
………まぁ、それはそうか。「お前と一緒にするな」――ですよねぇ。
「…ボクは……ボク自身にキミほどの自信は持てない――……でも…もう……お母様の『正しさ』も…全ては肯定できない……。
…ねぇ……ボクはこれから何を信じればいいの…?ボクは間違っていた…お母様は正しくはなかった――
…でも、ボクたちを否定したキミの様にはなれない――……ボク、は……どう、したら……」
決闘の最中、トラッポラくんが口にしたセリフを思い出す――「魔法が強いだけの赤ちゃん」…言い得て妙である。
もちろん言い過ぎではあるけれど、伝えたいニュアンスをしっかと捉えている上、洒落もきいているんだから――感心してしまう。
――ただ、口にする台詞に相当する実力が無ければ、
価値も重みもない「嫌味」にしかならないということを、トラッポラくんが自覚しているかは微妙なところだけれど。
「進歩がないですねぇ?また、誰かを信じるんですか?」
「っ…それ、は……っ」
今まで母親に従っていただけの自分を信じられない、
自分が疑問を覚えた母親を再度信じることはできない――そして、その全てを無視して突き進む傲慢さもない。
今の今まで、自らの意思で道を選び、その道を踏む責任を知らず歩んできた寮長殿――なのだから、
誰の手も借りず、一切の指標なく、立ち上がり前へ進めというのは、あまりに酷な話ではあった。
…だが、だからといって、端から誰かに頼る前提――という意識はいかがなものか。
それでは、今までと同じことを繰り返す。「今」は、そうでなくとも、いずれ――また、彼は誰かに依存する。この考え方だと。
「――フフっ、イジワルが過ぎましたね。いいと思いますよ、誰かを信じるという『手段』は」
「………しゅ、だん?」
「ええ、信じるのではなく、利用するんですよ――課題を寄越す、指標として」
「…?」
「…だから、向けられる信頼に相応しい自分を目指すんですよ――
――自分を信じてくれる人が、私を信じるという選択に、胸を張れるように」
「……」
「他人の信頼に相応しい自分――とは、結局他人の理想に因った在り方――だったとするなら、そもそも他人とは一体『自分』の何に信頼を寄せたのか。
地位、名誉、金、美貌――という付加価値に寄ってきた虫もいるでしょう――
――が、あれだけ派手に大暴れした今の寮長殿に、純粋な損得だけで近づいてくる猛者はおそらくいないと思うんですよ」
「………、…なら…前提が破綻しているじゃないか…っ」
「してませんよ?少なくとも4人は寄ってきますから」
「…………。………ぇ?……4、人…??」
「ええ、私とノランさんと――寮長殿の幼馴染みさん二人、です」
「……………………」
「はははは生意気ですねぇ〜?
横暴な長の下に就く副官が、どれほど大変な立場かご存じですかぁ〜〜」
「だっ…だったらなおさら…!」
「…信用ないですねぇ?一番面倒をかけられた立場にありながら、一言たりとも寮長殿を非難しなかった彼――なのに」
「!」
生真面目な寮長と、それに辟易している寮生たち――の間で、その両方を宥める役割を担っていただろう副寮長さん。
その心労たるや、想像も及ばないほどだろう――に、彼はあの決闘の中で寮長殿を非難も否定もしなかった。
それは彼が純粋な損得で寮長殿の傍にいた――からではなく、何らかの「特別」な感情や思いがあったからこそ、だろう。
――でなければ、寮長殿の旗色が悪くなった時点でなにかしらの悪態を漏らしていたはずだ。……よっぽどの役者でない限り。
「彼らを信じられないのなら、それも仕方のないことでしょう。
それだけ、寮長殿が自分の行動を顧みて、反省している――ってコトですし」
「っ――なっ…なに……?!」
雰囲気を変えた私に、ずいと身を寄せた私に、
恐れだの畏れだの照れだのがごっちゃと混ざった動揺に、身を強張らせ、逃げるという選択肢を失う寮長殿――
――のことなど気にも留めず、ずいのぐいと彼に身を寄せ、距離を詰める。
限界まで詰め寄られ、私を見上げる寮長殿の目には恐れと不安が色濃く浮かんでいる――が、
獅子にとってそれは本能を煽る子猫の懇願。
そんな目で煽られてしまってはお手上げだ。
所詮私は人間――意識を高めたところで、本能には逆らえない人間なのですから。
「己を変えるため、迷い悩む魂は見ていて非常に愉快で面白い――どうです?バケモノの腹に、呑まれてみちゃいます?」
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