|
劇場の起動は整い、公演の演目についても、既に人前で披露できるだけの程度には完成している。
あと整っていないモノと言えば、一部の出演者たちの心構え――と、舞台の演出やらに関わる細かい備品だけ。
前者については「今」どうにかできる問題ではなく、後者については部門長+裏方総動員で細部を詰めているところで。
新生ファンタピアのお披露目に向け、一分一秒も無駄にできない――…という段階にあるのだけれど、私は一分一秒を気ままに消費していた。
…ですがそれも、仕方ないのです――だって団員の自由時間は、夜に固定されておりますので?
――とはいえ、「今」に向けてできることが無くとも、「先」に向けてのやるべきことは山ほどある。
ファンタピアの公演は一度で終わるモノではなく、また半年に一回とか長い間隔のモノでもない。
初公演前後は、定期公演との兼ね合いもあって一夜限りの公演ばかりになってしまうけれど、
状況が落ち着いてきた頃には、月に数回のペースで公演を行い、演目についても二ヶ月を目途に更新を考えている。
だから、現段階で先の演目について内容だけでも固めておく必要がある――
――のだから、その前にまず私がたたき台となる草案を完成させておかなければお話にならないワケで。
…なんというか、コレが経営者と社員の違い――というものなんだろう。
大きな傘の下、ただ成果を上げればいいだけの立場――と、発展と補償の責任を負いながら傘を掲げる立場。
…こう考えてしまうと、プロジェクトの全責任を負う立場――とはいえ、プロデューサーという立場も気楽なものに思えてしまう。
……ただまぁ、大きい事務所であればこそ、経営者がアホの二代目という場合もあるけど。
「(…二代目という意味では、私は気を引き締めないと……ね)」
無名から始めるのと、二代目から始めるのでは、果たしてどちらが大変だろうか――なんて、アホな比較だ。
苦労のベクトルが別物の時点で、どちらが「大変」か、なんて当事者のメンタリティで「答え」が違ってくる。
…もしかすれば、どちらであっても「苦労」を感じない猛者だっているかもしれない――…
………いやぁ…いるのかな…そんな鋼鉄の毛むくじゃらメンタルの持ち主…。
仮に、どんな負担も苦労と感じない鋼鉄のメンタルの持ち主がいたとして、
果たしてその人物はリーダーとして優れているのか――というのには多大に疑問が残る。
苦労を苦労と感じない、すべてを完璧にそつなくこなせる一人で成立した人間に、他人が入る欠点のない人間に――指導者は、不向きだろう。
だってできないという苦労を知らない、共感できないのだから――
――数多いる自分より劣る者を理解することができず、彼らを真の意味で成長させることは叶わない。
…精神的な部分については特に、だろうか。
「(…そーゆー意味では、リドルくんは救いがあった――…かな)」
エレメンタリースクールから、今の今まで、学年主席の座に在り続けた寮長殿――もといリドルくん。
彼は天才、優秀と世間から高い評価を受けている――けれど、それは母親の期待に応えたいがために楽しみを圧し潰してまで積み上げた努力あってのこと。
全てを管理されて育った――からこそ、その努力が及ばない事柄に関しては、もしかすると一般の生徒よりも劣る部分があるかもしれない。
…特に「遊び」に関しては子供以下……だろうなぁ…。
はてさて何度目の訪問になるやらのハーツラビュル寮――の、調理場のドアの前。
一応ノックをしてみれば、ドアの向こうから聞き覚えのある声が「どうぞ」と入室を促す――ので、
「お邪魔します」とドアを開け、調理場に足を踏み入れれば――
「――おや、コレはお待たせした感じですかね?」
「…そんなはことないよ。ボクが早すぎただけさ…」
ハーツラビュル寮の調理場にいたのは、
ハーツラビュル寮の調理場のリーダーである用務員のアルテさん――と、すでにエプロンも三角巾も着用済みのリドルくん。
約束の時間に遅れたつもりはなかった――けれども、既に準備万端のリドルくんの姿を見ては「アレ?」と思って尋ねてみれば、
アルテさんは苦笑いを浮かべ、リドルくんに関してはどこか恥ずかしそうな様子で「早すぎた」との返答。
……うん、それは昨日の下準備がそれだけ楽しかったから――ということにしておこう。
遅れたわけではない――けれど、一人準備の遅れている状態に、持参したバッグからエプロンやらを取り出しながら、
アルテさんに今日の作業工程について尋ねてみれば、私の意図をくみ取ってくれたらしいアルテさんは「今日の作業は――」とこれから行う作業の説明してくれる。
でもそのまま何もせずに――ではなく、昨日作ったタルトの生地を冷蔵庫から取り出したり、リドルくんと手分けをして材料を用意したりと、今日の作業の準備をしながらで。
少し遅れて私もその準備作業に加われば、あっという間に準備は整った。…既に道具は揃っていた、からね!
「では、本日は仕上げの作業です。
ディプロマットクリームを作るには少々コツが要りますが、難しくはありません。慌てず、だけれど素早く作業を進めましょう」
改めて今日の作業内容――に、モットー的な言葉を加えて、作業の開始を告げるアルテさんに、リドルくんと一緒に「はい」と答える。
それにアルテさんはニコと笑みを見せると、「まずは」と言ってタルト生地を指差した。
――さて、未だやることは山積みの状況で、わざわざ他寮に赴いてまでお菓子作りをしているこの状況、
問題と作業量の多さに現実逃避でもはじめたか――と思われても仕方がないが、
実を言うとこれも必要な作業――自分の行いの責任を取ってのこと、だったりする。
今回のことの発端であるトラッポラくんとリドルくんの和解――のためであり、
寮生たちに対するリドルくんのこれまでの自身の行いに対する謝罪――の意味も含めて、
次の何でもない日のパーティー用のタルトはリドルくんが用意することになった。
そしてそこに更なる注文として、トラッポラくんは誰の手も借りるな――と付け加えたのだが、
自分は人の手を散々借りておいてソレはどうなんだ、という私の指摘から、
今回のことがオーバーブロットまでの大事になってしまったのは私のせい――という話にして、
私の視点でいえば被害者にあたるリドルくんへの協力は謝罪の意味も含めて果たさなければならない――ということで、
リドルくんへの協力――このいちごタルト作りは、私が自分の行動の責任を果たす上で必要なコト、だったりする。
…ただ、結構な余計なお世話だったな、と昨日の時点で思ったけどね。
生真面目とはこのことか――という話で、しっかりとレシピ本を読み込んだ上でタルト作りに臨んだリドルくん。
アルテさんが教える手順はなく、作業についても本には載っていないひと手間と、それに付随するちょっとしたコツを教える程度で。
私どころか、プロの料理人であるアルテさんさえほとんど出る幕が無かった――…ことを考えると、
おそらくリドルくんは一人であっても美味しいいちごタルトを作り上げることができていたことだろう。…うん。ホントに余計なお世話だった!…………か?
「ほう…。今の時代はそれがスタンダード…なんですね…」
「…本場、というのか、本職故なのか……驚きの隠し味、ですねぇ……」
形を整えたタルト生地をオーブンで焼き上げる間に、
タルトとイチゴの間に敷く、カスタードと生クリームを混ぜ合わせたディプロマットクリームを作る――最中、思ってもみないことが起きた。
なんとまぁ驚くことに、イレギュラーが発生したのだ――リドルくんが持ち出したケーキ屋の息子直伝の「隠し味」によって。
「カキから出たうま味が、クリームに深いコクを与える――そう、トレイは言っていたよ」
セイウチ印のヤングオイスターソース。
その原料だろうオイスターはいくつかの旨味成分を含むため、それらの相乗効果によって深い旨味を産み出している。
…そもそも旨味の概念は日本由来の概念――なのはまぁさておいて、
オイスターソースが料理に深いコクを与える隠し味になることは理解できるし、知っている。
…が、それは、あくまで「料理」の話であって、「お菓子」の場合は話が違うと思うのだ。
…てか入れるならせめてタルト生地だと思うのです。
タルトのほんのりとした塩味がクリームの甘味を引き立てる、ソースの風味がタルトの香ばしさを引き立てる――とかいう意図ならまだ想像もつくけれど、
クリームに塩味とカキの旨味は必要だろうか?てかそれがコクになるのだろうか??
「………隠し味、としか聞いてないから、適量はわからなくて…。
……どれくらいが適量かわかるかい…?」
「「……」」
少し自信なさげな様子で適量を尋ねてくるリドルくん――に、思わずアルテさんと二人顔を見合わせる。
…おそらくアルテさんも、オイスターソースに適量はない――と思っているだろう。
しかし、ここでリドルくん自主性を潰してしまうのも――どうかと思うのだ。
失敗は成功の母――というし、元を糺せば副寮長さんの蒔いた種なので、
いっそ寮生全員で仲良く処理してもらった方がいいのではないだろうか。
………もしかしたら本当に美味しいのかもしれないし。もしかしたら、奇跡的に、本当に。
「……なんとも言えませんね。私はクローバーくんの作ったタルトを食べたことが無いので…」
「右に同じく――ですね。…だいぶトリッキー過ぎて味の想像がつかないので…」
「クローバーくんのタルトの味を知っているリドルくんの感覚で入れるのが、一番『適当』だと思いますよ」
「そ、そうかい…?」
調理場長であるアルテさんの言葉に背を押され、
リドルくんはおずおずといった様子でオイスターソースのビンを手に取り、
きちんと計量スプーンを使って自身の思う適量を、カスタードの材料となる牛乳に投入する――……が、
「………」
「……カスタードの色は卵黄からくるものですから…ねぇ」
「……でもこれはコクがありそうですね、色合い的に」
「……お、多かった…かな…?」
真白な牛乳が、チョコレートを混ぜた――とも違うなんとも形容しがたい薄茶色へと変わり、
その変わりようにさすがにその原因であるリドルくんも不安を覚えたようで、戸惑いと不安を顔に強くにじませ、どうかと聞いてくる――ので、
「牛乳を足して薄めればいいのでは?残った牛乳は、上手いことアルテさんに晩御飯へ昇華してもらいましょう」
牛乳に対してオイスターソースを入れすぎてしまった――としても、
そのオイスターソースに対する牛乳の適量を導き出せば、いつか「適量」にたどり着く。…そもそもについて言及しなければ。
しかし、オイスターソース入りの牛乳を余ったからと捨ててしまうのは、勿体ないの精神の国の出身として許可できない。
割と個人的な感情ではあるのだけれど、昨今の食育、そしてフードロスの観点からも、廃棄という選択はよろしくない。
なのでここは調理のプロたるアルテさんに丸投げした――ところ、アルテさんは目を細めてニコと笑みを浮かべ「お任せください」と答えてくれた。
……たぶん、物凄い勢いでコレをどうするか考えてるんだろうなぁ…。
……でもまぁ料理であれば、いくらでも化けるとは思うんだけどね――
…なんならそれこそ牛乳を足して隠し味にすることも可能だろう。
なにせハーツラビュル寮には90人近い寮生がいて、アルテさんたちはその食事を一気に用意しなくてはならないワケなので。
|