獣人――とは、人間と獣の両方の特徴を持つ人種――である。
そして、この世界における「獣人」とは、ほぼ人と姿が変わらず、
耳が獣の耳で、血を継ぐ「原典」によって尻尾があったりなかったりする――
――が、基本的に耳と尻尾を除けば、姿形はほぼ人間と変わらない。
そう、ほぼまったく、姿形は、人間と変わりない――が、中身はだいぶ違うらしい。
内臓的にも、筋肉組織的にも!
「ニャッハハ〜!やーるネェ〜〜」
「ッ……!」
向かってくる私を軽く飛び退け、賞賛の言葉を口にしながらも愉快そうに笑うのは、
跳ねた横髪と尻尾の様に一本にまとめられたサフランイエローの髪が印象的な、
髪と同じ色の猫の耳と尻尾を持つ男――生前の姿で私から逃げまくっているマキャビーさん。
追いかけ、追い詰め、逃げられて――を数多繰り返し、かれこれもう一時間とか経過している気がする――
――が、まったく全然消耗している風がない。マキャビーさんは。
しかし、まったく消耗していない――ということはないだろう。
いつぞや、今のマキャビーさんと同じ術を披露したハーロックさん曰く、「魔力で全部賄ってんだよ」だそうなので。
慣れない気候――燦々と照りつける太陽の下、カラカラに乾いた暑い空気を吸い込み、休憩無しで続けているマキャビーさんとの鬼ごっこ。
…ただ、水分補給だけはできている。「死んじまうぞ?!」と心配させてしまった駐在職員たちのフォローによって。
…正直、このフォローがなかったら開始30分で決着がついていたと思う――…あまり、よくない顛末で。
ゴーストに、「体力」という概念はない――…なにせ、「体」がないのだから。
では、ゴーストの「形」を維持している力とはなんなのか――と問われれば、その答えは魔力。
しかし魔力を使い、その「形」を作り上げているのは精神力――であれば、
ゴーストにとって「体力」に相当するモノは「精神力」と言え――なくもないが、厳密にはだいぶ違った。
体力は底をついたら最悪死ぬ――だけだが、ゴーストの精神力が底をついた場合に起こりえる事態は、良くて「消滅」。
そして最悪の場合には、コントロールを失った魔力が残留思念などを起爆剤にして――「暴走」が起きる。
――故に、ゴーストを相手にする場合、絶対にやってはいけない戦法は、精神を追い詰めること。
追い詰められ、理性を失った怨霊は、爆散に向かってひた走る暴走機関車のようなモノ――
――そうなってしまったらもう彼らはなにを仕出かすかわからない。
…ああ、オーバーブロットがわかりやすい例、かな。
人間よりも身体能力が優れていることが多い獣人――で、なおかつ体力の概念を持たず、
あまつ気候の影響もほとんど受けないゴースト――でもあるマキャビーさん。
生前の姿の再現と維持にはそれなりの魔力を消耗しているだろうけれど、今マキャビーさんが魔力を回している部分は――それだけ、だ。
魔力による身体強化などもせず、ただ生前の姿で走り回っているだけ――…そりゃ、消耗なんてあってないようなものだろう。
…パフォーマー部門の練習では、これ以上の魔力消費を日々繰り返しているのだし。
「っ…ぁあもうっ……!!」
頭に巻いていたストールなどとうに投げ捨て、手首まで覆っていたシャツの袖は肘までまくっている。
端から二つ開けているシャツの襟首のボタン――は、さすがにこれ以上はマナーとして外せなかったけれど…。
…中にタンクトップでもキャミソールでも着てたら脱いでたんだけどね!
まぁ!そんなこそしたら身を焼く日差しに余計イライラしてた気もするけどー!!
走って跳んで、時に備品に損害を与えてまで、相手の逃走ルートを狭め、
逃げるルートを限定して際の際まで追い詰める――が、最後にモノを言うのは頭ではなく肉体。
油断せず追い詰めたとしても、すんでのところでマキャビーさんは私の手をするりとかわす――
…ネコですモンね。こりゃあ確かに見紛うことなきネコの身のこなしですヨ――…正攻法の鬼ごっこじゃあ、人間には分が悪すぎる。
更に言えば、ルートうんぬんと策をめぐらせたところで、所詮ここはマキャビーさんのホーム。
地の利がある相手では、どうしても詰めの甘さがでてしまう――…うん。やっぱり読みで勝負するには場が悪い、な。
…かと言って獣人――それも身軽さと素早さを原典の特徴として特に優れているネコの獣人を相手に、それこそ肉体勝負を挑むなんて無謀も無謀。
そこに勝機がない以上、やはり私が頼る先は策――…と、なるわけだけれど………。
…それだけでどーにかなるなら既にどうにかなっているのです。
どーにかできないから――…未だ、機を決めかねているのです…!
「くふふ…!こんなに長ェ追いかけっこは久々だァねェ〜〜」
「っ……それ、はっ…褒められて…るん、ですか…っねぇ……?!」
「そりゃア褒めてる褒めてる〜。
イマドキのワカーイ連中は、3分で撒かれるか、5分で諦めるか――15分でぶっ倒れるか!だかんネェ〜」
「…それ、は――………………ゥん?……ぇ…どゆこと、です??
…イマドキのワカーイ連中が、何故マキャビーさんを追いかけまわすんです??」
「ん?なにゆえって――オレのイタズラに腹立てて、に決まっとるがナ〜」
「ッ…!!」
ナハハと、悪びれる様子もなく「イタズラ」と原因を寄越すマキャビーさん――に、軽い頭痛を覚えて、思わず額に手を当てる。
寮生の生活をサポートするのが用務員の仕事――なのにそれをイタズラするってなに?
いやこれが、新人とかだったならヤンチャとわかるけど、よりにもよって寮区のリーダーがやってるってホントになんだ??
そしてそれが許容されている環境っていうのも――なんなんだ???
「………マキャビーさん」
「ぅン?ナンだいお嬢?」
「………マキャビーさんって…………王族かなんかなんです??」
用務員としての仕事をサボることを許され、寮生へのイタズラも許容される――
――この、道理の通らない特例が認められるには、それ相応の事情なり理由なりがあって然るべき。
ではこのなんともしようのない「特例」が許されるに至る要因とは――…と頭をひねって浮かんだのは、非常識的な仮説、だった。
国的に、皇族という象徴に馴染みはあっても、王族という為政者には馴染みがないだけに、
その「血」だけで多くと認められ、許される「常識」には違和感を覚える――けれど、
郷に入っては郷に従え、というヤツだけに、今ここでコレに噛み付くつもりはない。今ここでは。
「……………………ッブハハハハハハ!!
ニャー!ナイっ!ナイぜナイぜお嬢〜!そーれーはぁ〜ナイっ!
つーかこんな王族いてたまるかっつーのー!ブハハー!オレが王族ってニャ〜あ〜マジでねーわ〜〜」
「……」
大爆笑の後、盛大に否定を返された――マキャビーさん王族説。
……まぁ確かに、こんな壁のない王族というのも……よっぽどの成り上がり、でもなければ成立しない。
しかしそれにしてはこのマキャビーさんはお気楽すぎる――割に、気配に敏感。
なので、マキャビーさんは当人の言う通り王族ではない――…となると、どういうことなのか。
王族ではないマキャビーさんが、特例を許される「理由」――というのにてんで当たりがつかない。
一体彼の何が、ゴーストたちにとって「特別」だというのか――。
「ニヒヒ――ワケわからーんってな表情ダーねぇ〜」
「……それを見下ろすマキャビーさんは――…愉しそう、ですねぇー……」
「ンフ、たのしーとは、思ってねーよ?…ただ、ジェネレーションギャップってヤツを感じたダケサ」
「―――」
「ぅクク…♪そこはさっすがお妹――兄ちゃんが泣いて喜ぶぜ〜」
からかうようにケラケラと笑いながら、マキャビーさんは軽く屋根を蹴り――向こう側の屋根へと跳び移る。
圧倒的に分が悪い現状、更に距離まで空けられてしまっては――イマドキのワカーイ連中と、同じ結末に至ってしまう。
確かに年齢的にはイマドキのワカーイ連中――だけれど、それでは大変に不味いのだ。
私は若くとも一団の長――部下になめられたままでは、上にも下にも申し訳が立たないのです!
兄さんと比べられた――というよりも、
過去の兄さんの心境というものが、どうしても心に引っかかってしまう――が、それは無理矢理に心の奥へと仕舞い込む。
今、それは重要ではない――し、それを重要と思うのであればなおさら今、それは重要視するべきじゃなかった。
最終的なところで重要なのは事実ではなく埋め合わせ――である以上、優先すべきは「結果」を出すこと。
それなくして埋め合わせ――どころか、謝罪さえ叶わない。
だから、マキャビーさんには認めてもらわなくては、私の指示に従ってもらわなくてはならない――彼が、納得する方法で。
魔力による身体強化――ではなく、慣れた縮地法でマキャビーさんとの距離を詰め――
――ながら、ワースさんたちの指導の下で身に付けた風魔法を放つ。
今の今まで使わなかった術に、マキャビーさんも「おおっ」と驚きの声を漏らす――が、その声に宿っているのは愉しげな好奇の色。
ついに覚悟を決めた格下の勝負が、格上たるマキャビーさんにとっては愉快で仕方がないのだろう――
――が、それでいい。なにせ、マキャビーさんの侮慢なくして私に勝利はありえないのだから。
自分自身の判断で格下の程度に倣った以上、
分が悪いからと言って、自ら布いったルールを破き捨てる無恥などは犯せない。
それは、ネズミのまま降伏するよりもずっとずっと悪い――私の心境的にも、部下たちの反応的にも、ね。
私が発動させた小さな突風が、マキャビーさんを一度、二度と襲う。
ギリギリまで隠し通した奥の手――ではあったけれど、それでも空いてしまったマキャビーさんとの距離を詰め切るだけの時間を作るには至らない。
あと少し、あと「一押し」があれば、手が届く距離なのに――!
「っ――…!」
最後の魔法をマキャビーさんに――ではなく、
自分の足の裏に当て、突風を足場にして、縮地で更にマキャビーさんとの距離を詰める。
瞬間、視界がスローがかり、マキャビーさんの顔に本気の驚きの表情が浮かぶ。
マキャビーさんの本気の驚きに確信を強め、マキャビーさんを掴まんと手を伸ばす――!
「ォおーっと〜〜」
延ばした手が届く――かというその刹那、ニヤとマキャビーさんの顔に浮かんだのは嗜虐の笑み。
そしてその次の瞬間には私の目の前にマキャビーさんの姿はなく、
伸ばした手は空を掴んで、弾丸のように打ち出した体はただ前へ飛び出し――
「――よいせっとッ」
「ッ――ふげぶっ!?」
――たが、勢い余って体勢を崩し、屋根に全身を打ちつけるようなこともなく、しっかと受け身をとった上で無駄なく着地を決める。
そしてそんな私とは対照的に、私を躱したマキャビーさんと言えば――
――急に大声を上げたかと思うと、派手にバターン!と音を立てて屋根の上に倒れ込んだ。
…マドンナブルーの布に、ぐるぐる巻きにされて。
「…ぇ?……え?…………ぅええぇええ〜〜〜????」
跳びかかってきた私をすんでのところで躱したマキャビーさん――だったが、
今はマドンナブルーの布――いつも私が身に付けている――が、
追いかけっこの途中で投げ捨てたストールが包帯か何かのように巻き付き、簀巻き状態で屋根の上に転がっている。
そして、自分の身に起きている――…いや、自分の身を襲った事態を呑み込めていないようで、
マキャビーさんは青空に向かってただただ疑問の声を投げていた。
「つーかまえたーっと」
「………」
「道具の使用くらいは、大目に見てくださいよ」
「……」
嫌味を含めた弁解をマキャビーさんに投げる――
――が、それでも状況が呑み込めないらしいマキャビーさんは、ただじーっとひたすらに私の顔を見ている。
ぅーん……こーゆーところもネコ、なのかなぁ……。
未だ思考の海から還ってこないマキャビーさん――だが、このまま放置しておくわけにもいかない。
さすがに簀巻き状態のまま、屋根の上に放置――というのは、日光OKの飲食不要のゴースト相手にしても酷すぎる。
…かといって、やや小柄とはいえ、成人男性を抱えて屋根の上から地上に戻るのは少々危険だった――
…なにせ、こっちはまぁまぁ限界まで体力を犠牲にして、この勝利を作り上げたのだから。
「事の是非は、お互い色々回復してから――に、しましょうか」
「ん、へっ――っぇええ〜〜〜……!!!」
長さなど有ってほぼ無い、伸縮自在の魔法のストールの結び目を掴み、それを解く――
――と同時に力尽くでマキャビーさんごとストールを引っ張り上げた。
魔力で強化した腕力によって引っ張り上げられたストール――によって投げ放たれたマキャビーさんは今や空の上。
ゴーストは落下してもその衝撃で怪我はしない――が、それは白風船の如きデフォルメ形態の話であって、
今、生前の人型をとっているマキャビーさん――には、通用しない理屈だろう。
さてこのままだとマキャビーさんはおそらく怪我をする。
しかしそれがどういった形で霊体であるゴーストに影響を及ぼすのかはわからない――が、なんであれ怪我はしない方がいい。
マキャビーさんは体(?)が資本のパフォーマー――である以前に、彼を空へ投げ飛ばしたのは私。
これで怪我させたとあっては――屋根に放置するより、凶悪だ。
「――――!」
軽く息を吐き、拍手を一つ――で、ひょいと顔を上げれば、そこにはゆらゆらと落ちてくる猫耳と尻尾のついた白風船。
空気の流れに沿ってゆらゆらと落ちてくるその姿――から察するに、おそらくもうマキャビーさんの意識はここではない何処かへ旅立っているのだろう。
…不思議なことにゴーストも、気絶するからねぇ〜。
端を掴んだままストールに魔力を通し、掴んでいる方とは逆の端を宙を漂うマキャビーさんに向かって放つ――と、
ストールがマキャビーさんに向かってしなやかに伸び、そしてそのデフォルメの体にシュルと巻き付き、そして捕らえる。
その手応えにクンとストールを引けば、マキャビーさんを捕らえたストールは、引き戻す力に従って抵抗なく私の元へ戻ってくる。
…宙に放り投げられた時の回転で目を回したマキャビーさんを、またぐるぐる巻きにして。
気絶しているマキャビーさん――を、ストールで更にぐるぐる巻きにしてから小脇に抱え、適当なところへ降りる――と、
今まで黙って事態を見守っていたゴーストたちがワラと集まってくる。……うんまぁ、心配になるよね。
「おじょっ、おじょじょじょオ……!」
「大丈夫ですよ。気絶してるだけです」
「いやっ…そーじゃなくてだなっ?ご…ご機嫌いかが??」
「…みなさんに対して怒ったりしませんよ――今のところは」
「「「………」」」
わざと――というよりも、実際どう出るか分からないだけに、「今」と付け加えれば、集まってきたゴーストたちが白い顔を青くする。
…私を畏れているのか、それとも自分たちの体制が真っ当ではないという自覚があるのか――彼らの反応が示す所はわからない。
……が、それも後で明らかにする――というか「なる」から今はいいだろう。
…それより、も――だ。
「……ポールさん…」
「ぅん?」
「…事務室のソファー…お借りしますね――…眠気が限界なので……」
「ぁ…ぁあ………ぇぇと…職長には伝えておくかい…?」
「…おねがいしまぁーす……」
|