昨晩の事故とは、スカラビア寮の副寮長であるバイパーくんが夜食の準備中に手を怪我してしまった――というものだった。
他寮生が一体どこから聞きつけやら――ではあるけれど、
ダイヤモンドさんの広い広いネットワークによってその程度の情報はすぐに伝わってくるのだろう。
…いやはや是非とも欲しい情報収集力ですね――ただ、生半可なネタじゃあ引き抜けそうにないから諦めているけれど。
『あー…ブッチが逃げ切った…』
ファンタピアのロビーから転移して、NRC本校舎に設置されている派遣担当のための用務員室に到着した――
――ところでイヤホンから入ってきたのは、どこか残念そうなヘンルーダさんの報告。
…いや、そこは逃げ切ってもらわないと困るんですよ?
捕まったら色んな意味で面倒なことになるんですから。
『ユウたちは中庭に――…そこに赤毛の寮長たちも向かってる。
………あと、中庭の近くにサバナクロー寮生の反応が一つあるから注意』
「――わかりました。ではザックと釘を刺してきます」
用務員室の壁に掲示されている学園の見取り図を確認しながら、ヘンルーダさんに「釘を」と返して――部屋を出る。
まだギリギリ朝食の時間にかかっているせいか、廊下を歩いている生徒はほぼいない。
それでも目立たないように静かにすばやく移動した先は、ヘンルーダさんの報告の通りに
ウチの寮生+元店子たちが集まっている――ラギー・ブッチを取り逃がした中庭、だった。
――にしても、なにがどうしてユウさんたちは「ラギー・ブッチ」に行き着いたんだろうか?
リドルくんの名推理が発現したのか、それともダイヤモンドさんのプロファイリングの賜物か――
…もしくはバイパーくんが名推理を披露したのか。
…いずれにしても、やはりこういう「事件」は足のでの情報収集がモノを言うんだなぁー……。
解決のために――というよりは、大団円のために、と言った方が適当かもしれないけれど。
「先輩たちはその雪辱を果たそうとしてる――…卑怯なやり方で、だ」
怒りの奥に落胆の色を滲ませそう言うのは、サバナクロー寮生然とした屈強な体つきに、
フワと後ろに跳ねる短い銀色の髪――と同じ色の大きな耳、そしてフサフサのしっぽが印象的な…新入生?
体格的にはユウさんたちよりも年上に思えるけれど、彼女たちとの会話の口調を見る限り――同級生とみるのが妥当に思えた。
……それに、一年でもこの学園に――いや、サバナクローに所属していたのであれば、
群れの害になるだろう相手に、何の害意もなく接触――どころか、情報をリークするはずはない。
なにせ彼は狼――の性質を引く獣人なのだから。
「――話は聞かせてもらったよ」
「コチラもまぁ大体は」
「ローズハート寮長、ダイヤモンド先輩」
「…それにさんまで…」
「もーブッチくんと校内チキチキ鬼ごっこしてると聞いて肝が冷えましたよー…
…それで?なにを証拠にブッチくんを追いかけまわしてたんです?」
大げさに「肝が冷えた」と言えばユウさんが表情を曇らせ、
「なにを証拠に」と確信を問えば――トラッポラくんたちまでが表情を曇らせる。
…どうやら「犯人」の特定にまでは至ったけれど、「証拠」の獲得にまでは至っていないようだ。
…まぁ、それはそうだと思うけどね?
彼らが事件の調査に乗り出して初の事件現場に彼らの姿はなかった――証拠を掴むチャンスを逃していたんだから。
「ラギーを追いかけまわすことになったのは、彼が事情聴取に協力せず逃げ出したから――
――であって、はじめから彼を捕まえるために追いかけまわしていたわけではないよ」
「ぁあなるほど…そういう事情でしたか…。
…てっきり犯人に当たりがついて、その勢いで確保に乗り出したのかと…」
「ぅーん……でも冷静になって考えてみれば、犯人に事情聴取ってほぼ『ご同行願いまーす』だよねぇ〜…」
「そ、それは……」
「――とはいえ、あくまで『事情聴取』であった以上、それを拒否したブッチくんの不審は明らか――
…物的証拠がないだけで犯人は確定したも同然。
であればあとは逆算的に物的証拠の確保のために立ち回る――か、現行犯逮捕、ですね」
「……てか、その口ぶりからいって、もう犯人に当たりがついてたわけ?」
「ええそりゃもう。ユウさんたちの情報のおかげで、情報の洗い出しがスムーズでしたから」
「…………ぁー…もしかして……学園内の監視カメラ…?」
だいぶひきつった苦笑いで監視カメラの存在を持ち出すダイヤモンドさん――に、
思いっきりの笑顔で「ご名答です」と答えると、それを受けたダイヤモンドさんは一瞬固まったかと思うと、
渋い苦笑いのまま眉間にしわを寄せて「あーうんそっかー…」と言いながら、「頭が痛い」とでも言いたげに指先で額を押さえた。
「……それ…大丈夫なワケ?……色んな意味で…」
「大丈夫に決まっているじゃないですか。
事件性がある時点で『学園の治安維持を損なう』案件――であればそこに警備担当が首を突っ込むのは職務でしょう」
「…なんかオメーが言うとヘリクツに聞こえるんだゾ……」
「失礼ですねぇ…どこがヘリクツですか。正当も正当でしょうに――
…ただそういう意味では、そもそもが非正規だったと言うべきですが」
「非正規?」
「事件性を考慮した時点で、何らかの権限を持つ役職に任せるべき仕事――を、生徒に任せた。
…最終的に私が首を突っ込むと踏んでの判断――だろうとはいえ、正規発注ではないでしょう?」
「……それは、ここでボクたちに手を引け――ということかい?」
不意にそう確信を問うたのはリドルくん。感情的になることなく、静かに質問を口にした――
――けれど、私に覚えた不満はまったく全然押し殺せおらず、
リドルくんから漏れ出る不満はチクチクと顔に刺さって僅かに痛痒い。
…まぁ確かにクローバーさんの仇を返せないまま、更に他寮生になめられたまま引き下がれ――というのは納得し難いことだろう。
その気持ちは重々理解する――けれど、その程度のことで私が絆されると思ってもらっては困る。
というか、寮生たちを危険な目に合わせたくない、巻き込みたくない――なんて感情で、私は動いているわけじゃない。
これは極めて個人的な感覚の問題――である以上、同行の余地はないのだ。
「これ以上の責任追及は、学生には荷が重い――…というより権限不足でしょう。
リドルくんこそ役持ちですが、他寮生相手にどこまでその権限が届くか――
…それに、寮長同士になってしまえば相手は先輩ですしね」
「!…それは…っ…」
「寮長として、寮生の無念を晴らすことも大事でしょう。
ですがそれよりも、寮生を危険な目に合わせないことの方が、寮長として重要な仕事ではないですか?」
「っ……」
引き下がる気の見えないリドルくんに、ご尤もな言い分を並べれば、
真面目なリドルくんのこと、一言も食い下がることなく、ただ悔しそうに押し黙る。
ヘリクツ――ではなく、綺麗事を語って責任を壁にするという戦法――
――の、正当が過ぎるがための卑怯さ、そしてそれに覚える不満感というのは大いに理解している。
悔しいと思う、腹立たしいと思う、釈然としないと思う――が、
それを他人に強いてでも「私」が片を付けなければならないのだ――私の精神衛生的に。
「…――いいのかよ。『手を出すな』って言われてるけど?」
不意に「いいのか」と尋ねたのはトラッポラくん――で、その「いいのか」を投げられたのは狼獣人の少年。
何の気ない――ようで、抵抗の余地を模索してだろうトラッポラくんの問いかけ――…ではあるが、
なんとも嬉しいことに、狼の彼からの抵抗はない――どころか、
トラッポラくんたちとわちゃついていた時にはピンと立っていた狼耳が、今はシュンと伏せってしまっていた。
ぅうむ…これは……大変に…嬉しい…誤算……!
…いや、そもそも算段していなかったというか、今はもう…――と思っていただけに、
なんと申しましょうか…コレ、は――…言いようなく、嬉しい……。………たぶんノイ姐さん的には面白くないかもだけどっ。
「フフっ…フ…!いいでしょういいでしょう。そちらの狼くんについては自分が保護しましょう♪」
「――は?」
「放っておいては一人で何をしでかすかわかりませんし――彼を保護する寮長もいないのでしょうし、ね」
「………守るーとか言われてますケドー」
「……」
「くふふふふふふ…!人間には理解らない感覚ですよ――
…まぁわからない方が人として心穏やかでしょうがね。んふふふふ…!」
「「「………」」」
思わぬ僥倖にニヤけが止まらず、どうしても変な笑い声が漏れ出てしまう。
そしてこのテンションにその場にいる全員がヒいている――のは分かっているのだけれど、それでもニヤニヤが止まらない。
ああダメだ。全然頬がピシっとしてくれない!!
「くっ…ちょ……っ…これ以上マジメな話ムリっ…なので…!
フフっ…!狼くんは放課後ウチに――オンボロ寮に来てください…っ。
……もちろん『交渉決裂』でも構いませんよ――フフっ…ンフフフフフフ……!」
「………オマエ……ホンキで気持ちワリーんだゾ…」
「……ハッ――うるさい、ですよ」
「!!?ッ――!!!!」
「…分類不明とはいえケモノは獣――私の気分によって立場を弁えなさいね」
「ヒッ…!ふ、ふひゃぃ゛ぃ〜……!」
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