所は変わり、ここはサバナクロー寮の上にあるマジフト場。
マジフト強豪寮として君臨しているからこそ、特別に併設されているマジフト専用の競技フィールド――に、問題の面々が場を移していた。私の音頭で。
私の不意を突いた寮長殿下の実力行使は失敗に終わった――
――けれど、それは私にとって悪い展開ではなかった。
大人しく罪を認めたところで、第二の関門に変わりない――とはいえ、過程が違えば前提は変わる。
そして気持ちの違いは――
「…マネージャ〜。あんまりウキウキしてると、足元すくわれるゼ〜?」
呆れ交じりの苦笑いを浮かべながらそう言って、私の肩から離れて行くマキャビーさん。
まったく自覚が無かったわけではないけれど、呆れられるほど私は浮かれているように見えるのだろうか?
傲慢に緩む顔の筋肉をコントロールできず、顔がニヤついてしまう――…のは確かなのだけど、
…呆れられるほど、私はだらしのない表情をしているんだろうか……。
自分の顔を、両手で挟むようにして軽くベチと叩き、気持ちを切り替えるように大きく息を吐く。
対寮長殿下――という意味では、どんな表情であろうとまぁいいのだけれど、
大事な部下たちの前で無様な姿をさらすのは、どう考えてもよくない。
だから、これ以上の不格好を晒さないためにも――…と思ったのだけれど、
私の顔を見て早々、マキャビーさんに少々切ない表情で「ダメじゃコリャ」と言われてしまった。
「――マ、好きにやんナよマネージャー。セクション・サバナクローはアンタたちについてくって、もー決めてンだからサ」
「……オレたちで、いいんですか?」
「ニャハハ!イーに決まっとるがナ!死んだところでオレたちゃケモノ――つくべき主を、見誤ったりしネーよ」
「――……そうですか。では、その発言が大口にならないよう――愉しくやってきます」
あえて答えを待たず背を向ければ、後ろから「オーウっ」と陽気な声が聞こえて――
――更に私に注がれる信頼の感情が、その濃さを増した。
…彼らの期待の根源とは――と考えれば、浮かぶ予想はあっても、それを真実として受け入れるには疑問がある。
果たして、それは本当に私に向けられた信頼なのか――と。
――でも、それが誰に向けられた信頼であれ、私には信頼に応える必要がある。
なんであれ、応えて魅せなければ始まらない――…そういう理由で考えると、
やはり今回の一件は、全体を通して「好都合」だった気がした。
半月が照らす夜空の下、フィールドの上に一人立つ――寮長殿下。
誰の顛末を心配してか、多くの寮生たちが集まっている――が、そのほとんどはフィールドではなく観客席にいた。
先ほどの、マキャビーさんの言葉が獣人の真理であるのなら、これも仕方のないこと――ではある。
人間よりも動物である獣人にとって、本能が下す判断はその当人にとっての真理。
そしてその判断は、生半可な克己心では覆すことのできない恐れ――
――でもある以上、魔法士の卵である彼らに恐れを抑え込むだけの克己心を求めるのは酷な話だろう。
――…そういう意味では、寮長殿下は「さすが」と賞するべきなのだろうか?
「(…いや、違う…か――…コレは、それ以上の感情――か)」
私を見る寮長殿下に、畏れも無ければ恐れの色もない。
そしてその身にまとう静寂には警戒が宿り、その鮮やかな緑の瞳から僅かに覗く感情は――反発。
…おそらく、彼を今ここに立たせているのは克己心などではなく、
寧ろその対極にあると言っても過言ではないだろう利己や我欲――要は「自分本位な理屈」ただその一点、の気がした。
正直なところ、寮長殿下に対してそこまでの恨みを買うようなコトはしていない――と思うのだけれど、
私の立ち振る舞いが誰かの在り方と重なって見えた――…可能性は、なくはないと思う。
――ただ、であればこそ、私も彼に対して「黙っていられない」、のである。
「……――っ…!」
寮長殿下と相対して約数分――後の瞬き一つで、
目の前にまで迫っていたのは、戦意は纏っていも感情を押し殺した寮長殿下。
不意打ち――ではなく、隙を突いた先制に反応と対処が遅れて、否応なく後手に回る格好になってしまった。
「王族」と括られる特別な一族だけが使えるのだろう王家の魔力――
――と思わしき「力」は、確かに今の寮長殿下からは感じられない。
…だけれど、それが無くとも寮長殿下の魔法の密度というのは――…おそらく優れている。
先のリドルくんの火球よりも肌に感じる危機感は強く、
得意と豪語するトラッポラくんの風とは比べ物にならないほど、寮長殿下の突風は力強い――
…比較対象が二人だけなので確証はないけれど、これが魔法士の平均ということはないだろう。たぶん。
襲い来る魔法をかわし――つつ、寮長殿下との距離を詰め、その上で縮地をもって一気に魔法の射程範囲外――相手の懐へと迫る。
がら空きの胴っ腹に一撃でも入れれば攻守は反転する――…と、踏んだのだけれど、そこはさすが肉体派寮の寮長殿下、という結果だった。
がら空きの寮長殿下の腹に拳を放った――ものの、
有効打となるすんでのところで私の拳は寮長殿下の手によって受け止められた挙句、
掴まれた拳を引かれ――顔面目掛けて放たれているだろう寮長殿下の拳に、自ら飛び込んでいく格好になってしまった。
ぅわお。初っ端から顔面狙ってきますか――なんて、悪態を吐く間は心の中でさえなく、
思考を放棄し、その場の流れに逆らうことなく――体のバランスを崩す形で、寮長殿下が放つ拳の軌道からズレる。
しかしこのままでは更に後手に回ることになる――と考える以前に、
これを隙と踏んで、不安定な体勢をコトの勢いと体幹で誤魔化し、蹴りを放つ――が、
「っ――…イヤハヤ…コレは魔法士――…って以前に、西洋の戦い方ではないと思うんですケドねぇ…」
「――」
「ッ――うワっとィ」
投げ捨てるように寮長殿下の手から解放された私の拳――
――の勢いに乗り、カウンターとして放った蹴りは更なる力を得る――が、
先ほどの寮長殿下と同じく攻撃のライン上から寮長殿下の姿が無くなり、空振りに終わる。
ただそれでも、自由と一緒に距離と間も得られたのだから上等――と思えたのは言を呟いたものの数秒だけだった。
次のセリフ――どころか、次の攻撃を考える間もなく再開となってしまった攻防――だけに、相も変わらず私は後手のまま。
ただそうは言いつつ、魔法無しの近接格闘戦なら、私にとって後手である方が組み易し――だったりする。西洋なら、ね?
格闘技における剛と柔の概念は東洋に端を発する――だけに、この世界に根付いている概念ではない。
よって、その概念を主軸とする東洋武術はメジャーではなく、マイナーさえ通り越した神秘の武術である――とはジェームズさんの談。
そしてそのジェームズさんの言を疑っているわけではない――が、寮長殿下の体術は明らかに柔の要素を含んでいる。
攻撃をかわして追撃――なら、なんの疑問も持たなかったのだけれど、
受け流すというプロセスの中での追撃だっただけに、…色々と、考える要素が出てきてしまった。
「――ま、付け焼き刃といった練度ですがネ――ぇ゛、ぅ゛ン…っ!!」
柔の奥義に触れた私にとって、寮長殿下の蹴りを躱すことに難はない。
そしてその拳を受け流し、カウンターに転じることも難しくはない――が、そのまま攻勢に転じることは難しい。
……なんと言うか、こちらが手足まとめて4本なのに対し、寮長殿下の手足は7本くらいある――ような感じだ。
一応、形だけなら寮長殿下の魔法に対して対抗することはできる――が、所詮それは形だけ。
それこそ密度の差で圧し負けて、隙をさらした挙句にただ体力も精神力も消耗するだけ――であれば試すだけ無駄、だ。
…誘いという戦法であれば、試す価値はあるけれど――…それも、決め手となる一撃あっての戦法。
好機と呼べる戦況ではなく、また決め手と呼べる力もない現状――…小利口に、相手の消耗の時まで耐え忍ぶのが堅実――なのですが、
「――俺こそが飢え」
「ッ…!」
逃げ場を制限する風魔法――に、行動を制限せんとする氷結魔法。
戦略をもって連続で放たれる魔法によって寮長殿下との間に距離が空き、寮長殿下がこちらの攻撃範囲から大きく外れた――ことは、今はどうでもいい。
それよりも「マズい」と危機感を覚えるのは、寮長殿下が口にした――詠唱、と思わしき文字列だ。
魔法の始動にはきっかけとなる呪文が必要――
――だけれど、発現に至るための文言が存在したとしても、それを必要とする魔法は極めて少ない。
しかし、発動に詠唱を必要とする魔法も少なからず存在し、そしてその多くは扱いの難しい高難度の魔法――
――かつ、他の誰にも真似できないオリジナル魔法である確率が極めて高い。
……いつぞや受けた、ワースさんの実践魔法学講座に倣うなら――詠唱は、大変にマズい!……のでは?!
「俺こそが乾き。お前から明日を奪うもの――」
詠唱とは、魔法の発動に必要なイメージ――故に、その文言は発現する効果に因った内容になる。
ただ、諸々の理由から詠唱の文言は詩的――もとい、抽象的であるため、詠唱の文面から魔法の効果を看破することは極めて難しい。
…冷静に、ゆっくり考えることができれば、ざっくり程度は当たりがつけられたかもしれないが――
――…今この場面で当たりがついたところで、意味があるかは微妙な気もした。
詠唱を完結させず、こちらの動揺を突いて距離を詰めてくる寮長殿下。
その行動からいって、寮長殿下のとっておきの魔法は射程が短い――対象が近くにいなければ成立しない効果、なんだろう。
対象が視界に入ってさえいれば発動できるリドルくんのユニーク魔法を思えば回避は容易――かもしれないが、そこはサバナクロー寮の寮長殿下。
その射程の狭さを、獣人種の特権たる高い身体能力で補ってくるんだから――回避は不可能に等しい。そのままじゃあ――ね。
「っ――」
「!」
寮長殿下のユニーク魔法の射程範囲は狭い――そうと分かれば、なんとしても相手と距離を取らなくてはならない――
――が、それで状況が好転するのか、という話でもあった。
虎穴に入らずんば虎子を得ず――ではないけれど、
逃げて逃げて逃げた末に寮長殿下の集中力が切れる――のが先か、私の集中力が切れるのが先か、というハナシ。
更に言えば、問題の本質を見ずして打開策など見出せるわけがない――
――なら、身を切る覚悟を決めた上で問題にぶち当たる無謀さも、時には必要だろう。
――ただ、直接はあまりにリスキーなので、ストールを介す狡賢さには――目を瞑っていただきたい!
「平伏しろ――王者の咆哮」
勝利への確信――ではなく、どこか憎しみのこもった呪文に、本能が警鐘を鳴らしてゾクリと強烈な悪寒が背筋を奔り抜ける。
しかし、その発動に危機感を覚えたところで――もう、遅い。
なにせもう既にその魔法は私に迫っている――盾としていたストールが、掻き消えるように塵と消えてしまったのだから。
――ただ危機が迫っているのは、同時に寮長殿下にも言えたこと――だったりするワケだけれど。
寮長殿下のユニーク魔法の効果によって塵と消えていくストール――の両端が、塵と消えるよりも早く寮長殿下を捕らえんと伸びる。
寮長殿下の手が私に届くのが先か、それとも私のストールが寮長殿下を捕らえるのが先か。
さて、この0.の世界のチキンレースの勝者は一体どちらなのか――
――っていやいや、度胸試しに興じる余裕なんぞ、端から私にはないのです。
…というかそもそも、この機にかけたところで、リスク相応の利が無いのです。私には。
縮地と同じ理屈――だけれどだいぶ乱暴に気力を暴発させ、その衝撃によって一気に後方へ退く。
その乱暴さ加減を物語るように、着地しても私の体は勢いに負けて押し出されるように更に後ろへ。
寮長殿下と距離を取りたかったのは事実――だけれどそれはあくまで一旦、の話。
互いに手札を切った以上、ここで守りに入るのは悪手――勝負に出るなら今をおいて他にないだろう。
足の裏に力を込め、なんとか体制を整え、後ろへ下がる力を抑える――通り越し、それを凌駕する力で前へと出る。
中央の消滅によって二分されたストール――だが、それでも私の制御下にあるソレらは、獲物を見定めた蛇のような動きで同時に寮長殿下に襲い掛かる。
そしてそれに僅かに遅れる形で、私自身も寮長殿下に跳びかかる――
「――ハッ」
寮長殿下の身柄を捕らえるというその刹那、ストールを捕らえたのは寮長殿下の手。
…どうやら寮長殿下のユニーク魔法は、一度の詠唱でそのプロセスを省略できる――ようで、
寮長殿下の手に捕らえられたストールは、初回と同様に枯れるように砂と化し、そして空に散った。
その役割を十分に果たすことなく散ったストール――ではあるけれど、
寮長殿下に次手までの隙を作るというその役割は3割ほどは果たしてくれた。
それだけあれば十分――と言えたなら、一周回って腹が立つくらいカッコ良かったのだけれど、そんな大口を叩く余裕はない。
――ただ、だからといって一か八かの大勝負に打って出た――という認識でもないけれど。
跡形もなく消え去ったストールに怯むことなく、力を乱暴で覆した推進力に乗り寮長殿下目掛けて突っ込んで行く。
その間に、体と右腕を後ろに引き、寮長殿下と接触するその瞬間を狙い、
全ての勢いに乗って寮長殿下の腹部目掛けて一撃を放った――!
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