獣神の威を得て、揺るぎない勝利の確信を得た――結果、ドアホウの叱責止む無しの余裕をかまし、
私はど頭から黒の汚泥――負の感情が形を持ったモノ、ブロットにドプリと呑まれてしまった。
コレが初めてのコトではない――とはいえ、初回の場合は顔のない怪物――ブロットの化身が消滅の間際に放った悪あがき。
それに対して今回は、現界したその直後――である上に、ブロットの根源たる寮長殿下の意思によって引き起こされたコト。
正と負は二律背反――ブロットに対して私は有効打を持っているその反面、同時にブロットに酔いやすいという弱点もあるわけで…。
前回は、ブロットの勢いが減退していたから何の問題にもならなかった――とすれば、
減退どころか寧ろ増長の可能性が考えられる状況でブロットに呑み込まれてしまったのは致命的なミスだったかもしれない。寮長殿下にとって。
目の前に広がっていたのはモノクロの風景――ではなく、
より厳密に言うなら「色褪せた」と表現するのが最も適当だろう風景。
薄暗い鈍色の空に、乾いた灰色の草原――に、生える墨色の草木は僅かばかり。
…正直なところを言うと、これはもう草原というより荒野と言った方が適当な気がした。
――ただ、今この状況において荒野かどうかなんてどうでもいい問題だけれど。
この荒野が、現実世界の問題であったなら、その回復は難しいコト――だけれどここは精神世界。
持ち主の気持ち一つで良くも悪くも変わる風景なのだから、
荒れ果てた大地が目の前にある――とはいえ、それに心を痛めるのはナンセンスだ。
そもそも、風景に心を割いたところでしようがない――何度も言うようだけれど、ここは精神世界なのだ。寮長殿下の。
「死なば諸共――てな、悪あがきのつもりだったんですか?」
黄金に輝く光の鎖によって身動きを封じられているのは、顔のない雄獅子の姿をしたブロットの化身。
そして使い魔と共に一緒に絡めとられているのは――血色の悪い肌に黒を纏った寮長殿下、だった。
死なば諸共と侮った私に向けられる寮長殿下の視線には、純粋な怒りと反抗の色が宿っている――が、その瞳の奥に湛えているのは諦め。
――もし、彼にとっての本心が、怒りや反抗であったなら、おそらく目の間に広がる光景は荒野などではなく――燎原、だっただろう。
でも、異物を排除する怒りさえない、色褪せた荒野が広がっているということは――
「…だんまりですか――…ま、言葉は交わすだけ無駄ではあるんですけどね、平行線なので」
諦めを心に湛えながらも、無言で否定に強い反意を向ける寮長殿下。
その精神力の強さは正直言って驚き――というか意外というか。
圧倒的な不利を叩きつけられながらも意気を途切れさせない――
――そんな負けん気を根底に持ちながら、どうしてこのヒトは――…
「…やめましょう。問うのも、考えるのも――…まずは、穢れを殴り飛ばしてから――だ♪」
「―――!!」
抑えていた傲慢を開放する――と同時に、寮長殿下とブロットの化身も鎖の拘束から解き放つ。
露骨な私の排除の意思に反応して、音にならない咆哮を上げ襲い掛かってくるブロットの化身――に、
その命を喰われているやら、拘束から解放されてなお寮長殿下はその場に留まっている――
――どころか、胸を押さえて膝をつき、声を殺しながら苦痛に呻いていた。
…そしておもしろ――…じゃなくて興味深いことに、
大地に生えていた墨色の草が枯れて砂と化し――更に風景から生気が失われた。
彼の心から溢れ出た負がイメージを獲たモノ――という出自から言えば、
ブロットの化身は「身から出た錆」と表現するのが妥当――だけれど、おそらくコレは「自業自得」じゃない。
たぶんこれは当人の自業の上だけでなく、他者の業も多大に影響している――…要は成長環境になにかしらのトラウマがあったのだろう。
そしてそれをきっかけに心の発育不全が起こり、それによって悩みを消化する心の成長もまた不全を起こしてしまった――
…とすれば、コレは「自家中毒」が適当な表現になるのではないだろうか?
……まぁ、そこの理解を深めたところで、抜本的な解決にはならないけどね?
…ただ、抜本の理解を深めるには、必要な理解かもしれないけど――今必要じゃない知識なのもまた確かだ。
「――――」
目の前にまで迫った怪物の巨躯、頭上には振り上げられた殺意の爪――
――しかして顔のない雄獅子の「顔」を貫くのは黄金の槍。
怪物を貫き、大地に突き刺さった光の槍は地へと還り――花びらの如く開いた黄金の鎖へと姿を変える。
そしてその光の鎖は役目を終えるかのように閉じ――黄金の輝きを以て、真黒な怪物をその光で呑み込んだ。
…宣言通り、殴り飛ばすことも可能ではあった――けれど、……どーにも、身勝手な考えが浮かんでしまって。
何度も言うようだけれど、ここは精神世界――現実から切り離された超特殊な空間、なのである。
精神が全てを左右する世界とは、気持ち一つで全てが一変する夢幻の世界――
――故に、現実では絶対に起こりえない奇跡だって起きるのだ――だって、否現実だからね!!
「(…ヒトの想像など及ばぬ神の片鱗――…か)」
想像が届いて、その黄金に舞い上がって――挙句、ヒトのように思い上がった。
それは、神子が犯してはいけない一番の傲慢なのに――
ヒトの想像が及ぶ奇跡など、奇跡であって「希跡」にあらず。
故に私の願いはたとえ非現実の中であろうと叶わない――………現状は。
「――……ん?」
ふと覚えた違和感に、反射で顔を上げると――…鈍色の空にはひびが入り、ぽろぽろと綻び落ちている。
なんともまぁファンタジック――だが、こーゆー場面の次に待っているのは大概「空間が崩壊する前に脱出するんだ!」的なパニック展開。
確かに、この空間を形作っていただろうブロットの化身――というよりブロットが排除されたのだから、根底の揺らいだ空間の形が崩れるのは当然。
――ただ、それと一緒に精神が崩壊することはない。はずだ。たぶん。
確かに、寮長殿下のブロットは、私の勝手で排除した――けれど、それは力尽くの実力行使じゃあない。
…まぁ、当人の意思を無視して強行したのだから、「無理矢理だった」と指摘されたら、そこは認めるしかないけれど――
「ぅわ、命の恩人にその視線ですか」
空の綻びが地平線に、そして大地にまで及んで――空間を形作っていた外装がボロボロと剥がれ落ちて行く。
そんなボロボロの世界の上に横たわっているのは――健康的な褐色肌にサバナクローの寮服を纏った寮長殿下。
一応心配をして、その顔色をうかがってみた――ものの、
寮長殿下相手に心配をするなんて失礼だったようで、先ほどまでとほぼほぼ変わらない不機嫌な表情で睨まれてしまった。
「……助けられた覚えはねぇよ」
「…そですね。気に入らないから叩きのめしたんでした」
「…………減らねぇ口だな…」
煩わしそうにそう言って、寮長殿下は視線を私から空――ではなく、テクスチャーが剥がれてあらわになった真白な空間に向ける。
その表情と同様に、私に対する嫌忌感は失われていない――が、敵対心や反発心は、剥がれ落ちたテクスチャーと同じく綺麗さっぱり消えていて。
うーん……これが俗に言うところの「憑き物が落ちる」ってヤツなのかなぁ〜…。
すべてのテクスチャーが剥がれ落ち、世界は既視感のある真っ白な空間に変わる。
さてこうなった場合――と思考を巡らせた刹那、風が吹きこむように脳裏に流れ込んできたのは、
サバナクロー寮と似た雰囲気を持つ荘厳な建物の一室――そして、部屋の隅に座り込む褐色肌の幼い少年の姿。
言わずもがな、この膝を抱えて座り込む小さな少年は、幼き日の寮長殿下――で、
「……」
知らず吐き出される大人たちの心無い――だけれど凡庸故の人々の怖れは、
幼い寮長殿下の心を小さく、だけれど何度も傷つけた――
…そうして開いた穴が、彼の心を歪ませる負の温床となってしまったのだろう。
やはり、寮長殿下の抱えていた歪みは、当人の性格だけで編み上げられたものではなかった――
…いや寧ろ、この過去を前にしては、その根底に根差す諦めさえ、心無い誰かの他業が原因に思えてくる。
…とはいえ、歳を経ることで、自分が今在る国がこの世の全てではないという現実に気づき、
その狭い視野から抜け出すことも可能だったはず――…だけれど、も、
「…………………………………………」
白を基調とした騎士を思わせる制服を纏った、威風堂々といった佇まいの青年に伴われ、
寮長殿下の前に現れたのは、見覚えある黒の学生服を纏った――懐かしさしかない容姿の青年。
彼を友人として慕う白の青年――寮長殿下の兄だろう青年に対し、
黒の青年――もとい我が義兄は敬いの言葉を口にしながらも、割とテキトーにその友好をあしらっていた。
一般人が、王族の友好を撥ね付けるなどなんたる不敬――だが、それを咎める大人は誰一人としていなかった。
だがそれは、凡庸な人々は畏れる「何か」を兄さんが纏っているから。
出自が何であれ、何かに選ばれた彼はそれだけで特例の存在なのだ。
理を理不尽かつ、不条理で踏み潰す金獅子に気に入られた人間なのだから。
「(……ある意味、悪い見本……だったかな…)」
自室なのだろう部屋のベッドに寝そべっているのは、
少年――と形容するには疑問を覚えるほど凛々しく成長した――が、それでも今と比べれば幼さが残る寮長殿下。
そしてそんな彼の部屋へ入ってきたのは、青年から雄々しい男性へと成熟した第一王子――ではなく、国王となった彼の実兄だった。
大事な式典をすっぽかした寮長殿下を咎める国王陛下に、寮長殿下はイヤミと呼ぶにはいささか粗末な不平を吐く。
そしてそれに対し、国王陛下はご尤もな高説を語る――…ああなんというか本当に、国王陛下は誇張なくド正道王子様らしい。
国のため――そのセリフが、どれほどの傲慢を孕んでいるか、それをおそらく陛下はわかっていない。
王族が国のために個人を捨てることの理不尽さ――それに気づくことなく、彼は「王位継承者」としてひたすら真っ直ぐ育ってきたのだろう。
……わぁ…こんなところにいたかぁ……毛むくじゃらの鋼鉄メンタルの持ち主…。
タイミングが悪かった、環境が悪かった、出会った人間が悪かった――そこに、嘘はない。
それは紛れもない事実で、それが寮長殿下の人生を妨げる障害となり、彼の人生を狂わせたことは、誰の目にも明らかだろう。
だとすれば、今ある彼の全ては他業が作り上げたもの――
――こんな問題児を作り上げた環境が諸悪の根源であり、問題と責任がある――
――となるわけだが、その環境に甘んじていたのは、あくまで寮長殿下の意思だろう。
嫌われ者の第二王子と己に嫌悪を吐き、頭上の実兄が疎ましかった――
――なら、なぜそこにしがみつく必要があったのか、という話だ。
圧倒的な「力」なくして生まれを覆すことなど叶わない――道理はない。
エネルギーなくして――というのは尤もだけれど、圧倒的である必要はない。
そりゃ、国の王、世界の権力者を目指すとなれば、圧倒的である必要も出てくるだろうけれど、そこまでを目指さなければ圧倒的である必要は全くない。
――…ただ、寮長殿下には、立場を覆すだけでは納得できなかったのだろう。
実兄を引きずり落とさなければ――割に合わなかったんだろう。
そして、その寮長殿下の思いに、間違いも是非もない――が、その思いに対して真摯に向き合っていたなら、の場合だけれど。
自分の願いに対して真摯に向き合った――本気で立ち向かい、全力を以て挑んだなら、その後に残るは――ない。
後悔も不満も、そしてそれまでの自分を突き動かしていた感情さえ――燃え尽き果てるのが全力の本気。
…もちろん、コレは成熟した精神が到達する理想論――…とはいえ、そこまでの域に迫らずとも、
本気で、全力で壁と向き合っていたのなら――…こんな矜持の無い騒動を起こすことはなかったはずだ。
――…今まで積み重ねてきた自身の努力を貶める不正なんて――ね。
「同情の余地あれど――…フォローする気にはなれませんね」
「……」
「誰の目も惹く宝石も、磨き上げねばただの石――…あの人の全てはその努力が成す結果。
…ただ一方的に与えられた輝きと、思わないでくださいね」
「……………――フン…。…言われずともだ。
……あの人の不条理さは、ガキの頃から見てきた――…目的のためなら、自分であれ厭わない――…呆れたバカ兄だってな」
「……」
「…いいのか?大好きなお兄ちゃんをバカ呼ばわりされたままで」
「…………――…だって…バカ兄じゃないですか――
…解放されたはずのしがらみに、苦労を重ねてまでまた縛られようとするとか………」
「…――ククっ、哀れなこったなあの人も」
「…あ?」
「今の今まで重ねた苦労を、最大の目的に全否定されるなんざ――…哀れ以外の表現があるかよ?」
あざ笑う――というよりは、からかうような意地の悪い笑みを浮かべ、寮長殿下は「哀れ」と言う。
そしてその指摘は釈然としない――が、ご尤もな見解ではあった。
元の世界へ帰ることを目的に、想像を絶する苦労を重ねてきただろう兄さんを、
よりにもよってその原動力たる家族が否定をしたのだ。
そりゃあ………哀れ以外の表現はないですよねぇ……――…真意ともかく。
「………」
「…んだよ」
「…いえ……なにか…こう……無性にむかっ腹が立ってきまして…」
「…オイオイ、俺相手にヤキモチ――か?それも兄貴に対して、イイ歳してなァ?」
「…余計なお世話です。というか、ウチの兄に目をかけられといて――御獅子の威光に触れておいてあの不正、なんなんです?
ネコだのチーターだのならまだ我慢できましたけど――…ホントその鬣、綺麗さっぱり剥ぎ取ってもいーいーでーすーかぁ〜〜」
なにか、今の今までに色々貯め込んできたものが、
静電気が奔るようにパチンと弾けて――その不満感がズルリと言葉と態度に転び出る。
――だがしかし、それを引っ込める義理は寮長殿下にはない――ので、止めはしなかった。言葉も、行動も。
「っ……!いいワケねェだろ……!チィッ…!にじり寄ってくんじゃねぇ…!!」
「はいー?イヤなら逃げりゃアいーじゃないですかぁー。手足を折られたワケでもなし」
「ッ…人の心へし折ったヤツが言うセリフか…!」
「ほーぅ?…というか、そう思うならさっさと認めたらどーなんです――私の勝利を、ねぇ?」
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