火事場の馬鹿力――などと言うように、人は追い詰められると自身の限界を超えた力を発揮することがある。
そしてそれは、身体能力だけに留まらず、思考能力や第六感までが研ぎ澄まされる場合もある。
…ただ、脳科学などの分野においては、思考うんぬんに関しては暗示によるものであって、
科学的根拠はないという――…が、事実として起きているコレはなんなのか。
「…………」
劇場を照らし彩る光たち――に、違和感を覚える。
ほんの僅か、0.通り越し、0.0の世界の話な気がしないでもないレベルの違和感、だった。
もしかして、もしかしたら、ただの疲れ目によるブレじゃないのか――と思うくらいの小さい、けれど妙に気に障るブレ。
…変な話、たとえ私であっても、十分な休養をとった状態の私だったなら気付くことが無かっただろうコト――なのだ。
…現に、今まで気付くことができなかったのが、なによりの証拠だろう。
「………」
神経が研ぎ澄まされて、今まで気付くことができなかったズレに気付くことができた――と思うべきか、
それとも、神経が過敏になりすぎているだけ――と割り切るべきか。
たぶん、ここでこの0.0のブレを修正したところで、見違えるような成果はないだろう。
0.であれば、それも積み重なれば「秒」のズレになるけれど、
0.0ではよほどの数が積み重ならない限り目に見える誤差にはならない。
…よっぽど、動体視力と音楽センスに優れた人物でもない限り――…
「――………」
でも、もしかしなくとも気付くかもしれない――ファンタピアOBの人たちなら。
ヴォルスさん曰く、音楽部門の担当はその全員が妖精族だそうで。
…で、妖精族と言えば、リリアさんにマレウス殿下に――…と、人間の規格で括れば規格外の存在だという印象が強いワケで。
…ただまぁ、その二人はおそらく妖精族においても規格外中の規格外――特例的な存在だとは思うんですけどね?
元近衛兵に次期王様ですから――…が約一名、彼らに匹敵……
…いや、勝るとも劣らぬ特例の妖精がいる。…私と同じ、規格外の団長が。
「っっ……………!!!」
冷静になって欲しい。
今代がまず目指すトコロは、大衆に好まれるとっつきやすいショー――であって、識者たちを納得させるコンサートではない。
…いずれ、そういう公演もできたら――とは思っているけれど、異世界人にそんな贅沢をしている余暇はない。
もしかすればこの行為自体が無駄という可能性も、正直拭いきれていないのだけど――
――それでも、現段階において芸術性の追及はするべきではなかった。
もう一度言おう、冷静になって欲しい。そもそも現段階で極めすぎてはダメなのだ。
最低限よりちょい上のクオリティで、可能性を感じさせる伸びしろ――
――欠けをあえて残し、次回に期待を繋ぐ――未完成の公演。
これが、現公演におけるの裏コンセプトなのだから、私の勝手で追及してはダメなのだ。
公演は私の作品であって、私だけの計画じゃない――以上、私一人が突っ走っては失敗を招くだけなのだ。だ!!
『――マネージャ〜?どしたー?』
頭上から降ってくるのは、演出部門の部門長であるヒカマさんの声。
オーケストラ不在の劇場に、録音した演奏と一緒にプロジェクションを投影しての調整中――で、
プロジェクションの全てが終わったのだから、その如何について総監督である私からなにかしらの答えはあって然るべき。
…なのに何も言わない私に何かを感じてヒカマさんは声をかけてくれたのだろうけれど――
…どーした……ら、いいなんて――決まっとる、が、ナ……!
「っ……現段階での調整は完了です!
…次はオケの演奏と合わせての調整――明後日の公演以降!よって、本日はこれにて解散!お疲れさまでしたー!」
勢いよく調整の終了と、本日の作業の終了を告げる――が、返ってくる応えはなんとも歯切れが悪い。
…しかしまぁ、中々にらしくないテンションで「終了」を告げたのだから、大なり小なり違和感を覚えられても仕方ない。
…もちろん、気付いて欲しくてこんなわざとらしいコトをした――わけではまったくなく、
寧ろスルーして欲しいからこその勢い任せだったのだけれど――
『――これで、いいんだ?』
「……兄さん?」
『コレが、リュグズュール氏の最善なわけデスカ』
唐突に、降ってきたのは――どこか値踏み、挑発するような色を含んだイデアさんの問い。
…今までに、一度も自ら発言したことなど無かった――のに、
自ら口を開いたということは、それ相応に思う部分があったからなのだろう――が、よりにもよってなぜコレが気に障ったのか。
…いつもなら、細かい調整を指示すれば――愚痴ばかり漏らしている、と報告を受けているのですが?
「……現段階での調整はここまで、ですよ」
『…フーン。…なら、思いがけずこの仕事――拙者にとっては楽勝案件ですわ』
「………イデアさん、まだ完成じゃあないですよ」
『でも、コレでリュグ氏は満足してるんでしょ?――なら、大した仕事量じゃないッスわー』
改めて言おう、冷静になって欲しい。これは明らかに挑発――煽られている。
ここでカッとなっては相手の思うつぼ――ここは冷静になって淡々と事実を返せばいい。
とにかく屁理屈を、理想論を真に受けるな。
今の私はそれを正論として語っていい立場ではないのだから。
「……それはよかったです――…それなら、多少数を任せてもオーバーワークにはならないですね…」
『ぅわ、数仕事とか――天才が引き受けるまでもないのでは』
「……作品を一つも完成させてない未経験者がなにをおっしゃるー」
『いやいや、もうコレでほぼ作品は完成――なら、未経験者扱いは不当ですぞ』
「…ここからがまた一仕事――…寧ろここからが本番ですよ?」
『…ならリュグ氏の最善は作品の完成には程遠い――と?』
「………そう、ですね――…良くも悪くも、音楽は生物ですから」
『フーン?…そんな精度の低い仕上がりナンデスカ』
「……」
「――い、言い過ぎだよ兄さんっ」
瞬間、頭に入った怒り――を、センサーかなにかで検知したのだろうオルトくんが、
その原因だろう実の兄に咎めるような言葉を投げる――が、イデアさんの指摘に誤りはなかった。
事実として、この作品における楽団の演奏精度は高いものではない。演出――とか抜きにしても。
…でもそれは、あくまで計画に則り、段階を踏んで進行しているがため――
――だから「そんな精度」であっても「そんな程度」ではない。
…そして、更に言うのであれば――
「――ぅん?」
舞台を照らすライトが瞬いた――と思ったら、パタ、パタと、いくつかの照明が消えていく。
幽霊劇場は実在しても実物的なモノではない――
――だけに、電球が切れたとか、機材が不具合を起こしたとか、物理的なトラブルは起きえない。
…ということは、このランダムな照明が消えてしまったのは設備のトラブルではなく、別の原因があるはず――なのだけれど、
「お嬢ー!!?!」
「ぉわーう?!」
「たっ、大変だァ?!劇場の動力が落ちてるっ!
なっ、何事あったのさ?!このままだと――劇場停止するんですケドー?!!」
はて――と、頭をひねるより先に答えをくれたのは、突如として絶叫と共に姿を現した――ヘンルーダさん。
…どうやら練習室の方でも似たような現象が起きて、ユニーク魔法によって即動力室に移動できるヘンルーダさんが調査に向かって――
――劇場の存続に直結する問題が発生したことに気付き、
幽霊劇場内でこの問題をどうにかできる術を持つだろう私の所に駆け込んできた――のだろう。
…しかしちょっと待って欲しい。劇場の動力が落ちてる――?……いや、んなアホな。
幽霊劇場の動力とは基本無尽蔵。それが落ちた――失われたとはどういうことか。
在るべきモノが無くなっている――有るべきモノが、失われている――…?
………オイ、マジか。
「あーあ、イデアさんのせいですよーも〜」
『……ハァ?!』
「はあー?!オイっおま、イデア――なにやらかしたのさー!!?」
『ハアー?!拙者何もしてませんし!濡れ衣!冤罪!弁護士の招致を要求するー!!』
「ハァ!?できるモンなら勝手にやれッ――
――ってそれよりお嬢っ、どうすれば…?!イ、イデアを呪い殺すとか!?」
『ちょっとォー?!』
「……それで喜ぶの、悪魔だけでは?」
相当に混乱している――いや、コレは恐慌状態に陥っているのだろうヘンルーダさん――を、とりあえず抱きかかえて黙らせる。
…おそらく過去にも似たようなコト――に、今回よりもずっと深度の酷い事態で、陥ったことがあるんだろう。
支配人と団長の方針がズレたことによる劇場の不和が術式の施行に支障きたした――とかね。
ぅうーん…それは確かにヤバかろう…。経営者と演者の衝突は、大モメするのが相場だからねぇ………。
……ホント、そういう意味では私の勝手でやれるから気が楽だねぇ〜……物理的にはいっぱいいっぱいだけど。
「――姐さん」
「…ぅんー……おかーさんとしては、却下したいところだよ?」
愛称を呼び、自分の右肩に視線を向ける――するとその上に姿を見せるのは、
白の毛並みを持つ子猫サイズにデフォルメされたメスライオン。
平時の悠然とした雰囲気を残しつつ、愛らしい姿になったノイ姐さん――
――だがそこは気にも留めず、いつもの数倍意気を抑え込んでノイ姐さんに決定を返した。
「でもコレって不足ってことでしょ?
今の会話で不適当と思われたなら――…結果で理解させるよ、――の実力を」
「ぉやあ……そこは白獅子じゃあないのかい?」
「……姐さんの分野じゃないでしょ、組織の運営は」
「フフ、まあねぇ〜」
呆れを含んだ苦笑いを漏らしながら同調の言葉を口にして――
――そのまま宙に溶けるようにして、ノイ姐さんは私の肩の上から姿を消す。
…冷静になって考えてみれば、私の発言は彼女の自尊心を傷つける発言だった――…のだけれど、…姐さんは「それ」を許容してくれるらしい。
…獣神の常識で考えれば、私の発言は天罰級――契約違反の代償に、死を求められるだろう自惚れを口にしたのだけれど――
………なんだかんだいって姐さんはまだ…獣神としての自覚、薄いのかなぁ………。
ありがたかったけれど、姉さんの寛容さによって自身の直情径行――不思慮をまたしても思い知らされる。
あーあーもーもーこんなところで躓く――…いや、初っ端から出し惜しみ無しの全力で問題にぶち当たることになるとは………。
…我ながら、公演終わったら私、気ィ抜けて死ぬんじゃないかなーぁ……。
「…マ、マネージャー…??」
「…だいじょーぶです。今すぐどうこうなるモノじゃないです――し、後で補給しておきます」
「………大丈夫なの…それ……」
「だいじょーぶですよーぉ。契約は繊細ですけど、成立してさえいれば存在は揺らがないですから」
「いや…そーじゃなくて……マネージャーの体力的に…」
「……、………――できないことは口にしませんともっ」
『…――かいさーん。本日のファンタピアの活動はここまででーす。
全団員、明後日もとい明日の公演に備えて寝かせてくださーい――マネージャーを』
「ちょっ」
館内アナウンスを使って全団員の解散――本日の練習終了を通達するヘンルーダさん。
しかしヘンルーダさんに練習終了を告げる権限はない。
…仮にあったとしても、それは自身が班長を務める楽団の打楽器班に限った権利。
故に、管理人たる私がそれを「却下」と告げれば、ヘンルーダさんの宣言は即座に効力を失う――…のだが、
『うるさいっ、大人しく帰ってさっさと寝ろ!さなもなくば――保護者呼ぶぞーっ!』
…ぅわあ……ジェームズさんはズルいぞぉー………。
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