血の気が引いて――文字通り、貧血のそれに近い眩暈がした。
…もしかすると兄さんも、こんな感覚を経験していたのかもしれない――その手を逃れんと、高所を跳び回るようじょを前に。
 

 ユウさんとグリムくんの目の前に迫った危険――怒りと拒絶をあらわにしたリコリスさんの前から、二人を離脱させたのは一頭の白の雌獅子。
兄さんによって「テリハ」と名付けられた彼女はノイ姐さんの腹心の一人で、護身用にとユウさんに持たせていた武装ブローチに宿っている子神。
慎重な性格の彼女であれば、未然に危険を遠ざける行動をユウさんに促すことができるはず――
――と、いう理由で護衛役を任せたのだけれど――…なぜ、そうならなかったんだろうか。

 …確かに?ユウさんなら今回コレとは真逆の結果じょうきょうを引きよる可能性もあっただろう――
――けれど、前向きに考えてもその可能性は50%ごぶ
なら、白獅子組においては珍しい安全第一の慎重派の筆頭であるテリハ姐さんが、
そんな大胆な選択をするなんて考え難い――…と、いうことは、

 

「………すみませんユウさん、グリムくん――…怖い思いをさせてしまって」

「っ……!」

 

 目の前に迫った危険を理解する――間もなく、その脅威から離脱させられ、
状況を理解できずに呆然としているユウさんとグリムくんを抱きしめながら謝罪の言葉を口にする。
…そしてそれから少し間をおいてたところで、不意にユウさんの体がぴくと震えて、
ユウさんは私の言葉を否定するように首を横に振った――…小さく、体を震わせながら。
 

 ユウさんの言い分いいたいこと――は、わかっている。
校内放送けいこくが出ているにもかかわらず、その場を立ち去ることも、それを知らせることもせずその場に留まった――
――上に、無策で問題に関わろうとしたユウさんじぶんが悪い――という言い分は。
…でも、それは――私たち・・・なら未然に止めることができたこと、だ。

 オンボロ寮にユウさんたちが帰ってきていない時点で、テリハ姐さんに帰還指示を出していれば――こんなことにはなっていなかった。
…さしものユウさんも、テリハ姐さんに逆らってまでこんなことをするほど、向こう見ずではないはずだから。
 

 ――ただ、この件に関しては、私だけが悪い――というのも、さすがに釈然としない。
リコリスさん“こ”の件に関しては、確かに私の監督不届きが故の事――ではあるけれど、
ユウさんたちのこと――彼女たちに掛けていた保険を無効にしたのは、

 

 

 悠然とした調子で――ノイ姐さんが、私を呼ぶ。
今、お前が相対すべき問題ことはそっちじゃない――そう、言っているかのように。

 ……確かに、その通りかもしれない――けど、コレが問題になったのはノイ姐さんのせい、だからね??

 

「…ユウさん」

「っ…」

「大丈夫です――ユウさんのことも、グリムくんのことも、そしてリコリスさんも――ちゃんと、守って見せます」

「っ…!ッ……っ!!」

 

 目の前にした恐怖を思い出りかいしたのか、ユウさんは表情を恐怖に染め、引き留めるように私の服を掴み、必死に首を振った。

 平和なもとの世界に生きていれば、おそらく経験することもなかったはずの恐怖――それを前にして恐れが先立つのは当然。
底知れぬ――いや、死に直結する恐怖を前にして、冷静でいられる生物にんげんの方がよっぽどオカシイのだ。
だから、ユウさんの恐怖はんのうは当然で、至極真っ当――なの、だけれど、

 

「…フフっ――並の巫女ならいざ知らず、稀代のひめ巫女たる私が、幽霊に後れを取る道理ワケがないでしょう」

 

 ――慣れた傲慢の笑みを浮かべ、ユウさんの不安きょうふを一蹴する。
 

 リコリスさんの苦悩に気付けなかったこと、ユウさんたちのことを気遣えなかったこと――その他諸々ひっくるめて、
自分の視野せいしんみじゅくさには頭痛と憤りの吐き気しか思えない――だが、自分の実力・・については話が別だ。

 元の世界でかこに積み上げた実績が無価値だとしても、積み上げたきた経験は無価値じゃない。
苦しんで、悩んで、その上で身につけた実力・・は、何処へ行こうと私が私である限り、失われるワケのない確かなモノだから。

 

「テリハ姐さん――今度こそ・・・・、ユウさんたちのこと、お願いするね」

「……はい…確かに任されました」

「――と、ジェダとネフラも下がっててね」

「……」

「…おーえんは」

「――…そうだね、2人が必要だと思ったら――でいいよ」

「「………」」

 

 応援要請の是非をジェダたちに投げる――と、ジェダは苦い表情を浮かべ、ネフラは呆れと怒りの混じった表情で私を睨む。
だけれど胸に湧いた不満をジェダもネフラも口に出すつもりはないようで、
ため息さえ吐くことなく、2人は無言でユウさんたちを守るテリハ姐さんの傍へと降りていた。

 

「――姐さんって、意外と不器用?」

「ふふ、まあね――でもその分は、外運・・で補っていたけれど、ね?」

「………ぅわお。…振り回されるテリハ姐さんの構図が目に浮かぶー…」

 

 躊躇なく、一歩一歩足を進め――表情を恐怖に染めながら、こちらを呆然と見つめるリコリスさんとの距離を静かに縮める。
感情の暴発と共にユウさんたちに手を上げ、そのまま転がり落ちていく――
――と思っていたのだけれど、リコリスさんはその瀬戸際というところで踏み止まったらしい。

 …なんというか……長所は短所ってこういうコトなのかなぁー………。

 

「くるな…!くるなぁ……!」

 

 拒絶の言葉を紡ぐ声に絶望をにじませ、リコリスさんは怯えた表情で私の存在せっきんを拒む。

 …効率を重視するなら、リコリスさんの言葉に応じる必要はない――のだけれど、私は巫女であると同時に団長コンダクターでもある。
部外者の立場から介入するわけではない以上、事務的こうりつで仕事をするなんて、それそこ非効率的だった。

 

「毎日毎日顔を合わせて、言葉を交わしていたのに――…気付くことができなくて、ごめんなさい」

「っ…ちがっ……!違う…!マネージャーは……っ!」

「違わないですよ。私は――ファンタピアの団長コンダクター、ですから」

「っ…!」

 

 リコリスさんに「くるな」と言われた場所で足を止め、そこで腰を下ろして――リコリスさんに謝罪の言葉を向ける。
その私にの謝罪に対してリコリスさんは「違う」と言う――けれど、それは間違いなく団長コンダクターとしての私の落ち度だ。
本番に向けて連日練習を重ねている――毎日同じ目的の上で時間を共有して、会話だってしていたのに、
私はリコリスさんが胸のうちに抱える不安に、気付いてあげることができなかったのだから。

 管理人マネージャーならば、幽霊劇場ファンタピアを効率よく運営することが役割しごと――
――だけれど、ファンタピア劇団の団長コンダクターの仕事は、観客を満足させる公演を成功させること。
そしてその仕事の中には、団員たちの指導・指揮が含まれている――のだから、団員による問題行動イレギュラー団長わたし管理不届きおちどだ。

 

「ちがうっ、ちがうっ、ちがう…っ!マネージャーは悪くない…!悪いのはっ…悪いのは…!」

「……そこまで思い詰めるほど悩んでいるのに――気づけなかったんですよ?悪くないわけないじゃないですか」

「っ…それは…!それは俺がっ……俺が隠してたからで…!」

「――だとしても、気付くのが本物です」

 

 私を悪くないと言うリコリスさんの本音は――おそらく自己否定、だろう。
自身を自ら真っ先に否定することで、未然に他人から責められることを回避する――無意識の自己防衛。
…なんて、かく言う私も自分に悪態ひていを吐く常習犯だけに、自己否定それに対してどうこう言える立場じゃない――から、そこはあえて事務的な事実を並べた。

 誰が問題を隠していようが、それによる異変を敏感に察知して、
その解決のために手を打ち、公演の成功の障害となるモノを排除する――
――それが運営ではなく、雇われただの指揮者でもなく、劇団の長たる団長コンダクターの役目。
そして、その役目を負ったのが私である以上――求められるめざすクオリティは一流の、だ。

 

「――なのに、私は気づけなかった。
リコリスさんが苦悩の末に決心して、苦悩かこと戦いながら前へ踏み出したと知っていたのに――
…最後まで、見守ることをしなかった。…あなたの手を引いたのは、私なのに――」

 

 生前、歌手を目指していたリコリスさん――だけれど、
自身の声と志す音楽の方向性の不和から、彼は歌い手としてのゆめを諦めていた。
でも、リコリスさんの音楽センスや歌い手としての技能は確かで、
俗に言うスター性というも少なからず持ち合わせていた――から、
その挫折かこを承知の上で、私はリコリスさんをメインキャストの一人に選んでいた。

 これまでに、リコリスさんがファンタピアで歌い手として舞台に上がったことはない――
――どころか、志願したためしさえ無かったという。…でもそれは、当然の心理ことだろう――とも思う。
決定的に夢破れ、失意の中で命を自ら断った――わけではないとはいえ、
諦めた夢を今一度追うことに対して引きずちゅうちょする部分があるのは――…当然だろう。その、の経緯が経緯なのだから。
 

 未練や悔しさに苛まれながらも、リコリスさんは未来を生きていくために、
夢を諦めるという大きな決断をした――…そんなタイミングで、彼の身を襲ったのは未知の奇病。
全身の皮膚――どころか、内臓器までが爛れ、そして朽ちていく――
――痛みに耐えながら行う治療も、解決のためではなく、ただ死を先延ばすだけの延命治療。
…夢を諦めた矢先、生きる希望さえ断たれた挙句に、苦痛と絶望の渦の中で一人リコリスさんは――…人生の終わりを迎えた。

 リコリスさんが夢を諦めたことと、彼を襲った不幸やまいはまったく別の問題――
…だけれど、そう簡単に割り切れる問題ことではないだろう。
生前そもそもの時点で、本当に諦めわりきれていたのか――が、怪しい時点で。

 

「やめろ…!俺の……俺のナカ、に…!踏み込んでくるな……!」

「……やめろと言われただけで、諦められるワケないじゃないですか――あなたを選んだ私には、責任ってモノがあるんです」

「ぁあ…!やめろ……!くるな…くるなってぇ………!
たのむ…からっ――…俺、にっ……近づか、ないっ…で、くれよぉ……っ!
俺、は…もう…!嫌…なんだ……!もう……俺、は――…!」

 

 顔に浮かぶ恐怖の色を更に濃くして、リコリスさんは拒絶の言葉を繰り返す。傍に来るなと、近づかないでくれと――もう、嫌だと。
――その、言い分は分かる。今のリコリスさんにとって、最も楽な逃げ道せんたくは――全てを投げ出し、ただの一人になることだから。

 この問題けんにおいて、リコリスさんを苦しめているのは過去に味わった挫折と不幸トラウマ――
――だが、それを掘り返すことになってしまったのは、成功けっかを求められる外的なプレッシャーが原因だ。

 ――とすれば、そのストレスプレッシャーを排除さえしてしまえれば、
リコリスさんの精神はこれまで通りに安定し、ゴーストとしての存在もフラットな状態で安定する。
それが最も、リコリスさんにとって優しい選択なのかもしれない――が、

 

「嫌だ…!イヤだ…!もう、独りになるのは――…もう…!イヤ、なんだ…!
…だから――くる、な。…俺、を……裏切るひとりにするなら――……俺の…!
俺っ、の…そば、にィ……!!くるんじゃ――ねえええぇぇ!!!!

 

 拒絶ぜっきょうと共に、リコリスさんから噴き出すのは――負の感情けがれ
背筋から不快この上ない悪寒が全身を奔り抜け、その不快さに胸具合が悪くなって吐き気を覚え、
更にその苦しさに眩暈を覚えると同時に鈍い頭痛が奔った――が、きっとリコリスさんの方が、よっぽど辛い思いをしたことだろう。

 今一時にしても、これまでにしても。

 

「…コレ、は……」

 

 吐き出した穢れを身に纏い、リコリスさん――だったモノが形作ったのは、…おそらく生前の姿。
患者衣の下――全身を隠すおおうように巻かれた包帯には赤黒い血が滲み、僅かに覗く肌もまた赤黒く爛れていて――
…その姿はまるで、ホラー映画に登場する怪物キラーのようだった。

 

「ハハっ…!気味が悪いだろう…?生きているのに死体より不気味で醜くて――無様な姿だろう!!?
ハハ…ホラ…!笑えよ……!無様に…ありもしない希望に縋った……!
生きた死体の滑稽さをさァ!!

 

 耳に障る嗄れ声で、それ以上に聞くに堪えない自嘲あくたいを、狂気じみた笑みを浮かべ吐き捨てるのは――悪霊デーモンの上位種・ファントム。

 初めからリコリスさんのことを、言葉で引き留められるとも、引き戻せるとも思っていなかった――
――以前に、端からリコリスさんとまともな会話としているという認識もなかった。
…リコリスさんが、ユウさんに手を上げた時点で、彼の転がる先は――…闇の底と、既に決まっていたから。
最後に残った良心を、理不尽な暴力いかりに食い潰された時点で――。

 

「嗤えよ……俺を――…見苦しく希望に縋った俺を…!
無駄な
苦しみあがきでしなかった……無意味でしかなかった俺の苦悩じんせいを…!嗤ってくれよお…!!

 

 何度も言うようだけれど、リコリスさんの自己否定コレは――おそらく、無意識の自己防衛。
不意な攻撃ことで傷つきたくないがための――一種の牽制。
そしてそれは無意識で行われている――から、理性を失っても自分を守る変わらず作動する。
……今となってはもう――守るべき「自分」なんて無いはずなのに。

 

「………………………………――ハハー」

「、」

「…嗤えと言ったのはリコリスさんじゃないですか」

「――――――……ぁぁ………ぁ――…っ、アあアアアあ゛あーーー!!?!?!

 

 リコリスさんの目が、ようやっと私を・・捉えて――彼の中の何かが、崩壊する。

 その見てくれに相応しい狂気と怒りに染まった咆哮を上げ、血走る――が過ぎてあかに染まった目に私の姿を捉え、
目の前のリコリスさんだったモノバケモノは明確な殺意を持って――生者わたしに襲い掛かってきた。

 

■あとがき
 キャラクターを考え、作り上げている時は、ナニとも思わないのですが、
こうして物語の中でキャラを動かしていると「とんでもねぇ運命背負わせちゃったな…」と自己嫌悪のようなモノを覚えます。
奇病なんて患わせなくたっていいじゃない、なんなら夢破れるだけでいいじゃない――と思いもするのですが、
それじゃあゴーストに成れない――仮に成れても名無しのモブ止まりだと思うんだ(鬼)