不快、不快、不快――。酷い不快感で意識が闇から浮上する。
完全には意識が覚醒していないけれど、反射的にまぶたを持ち上げてみれば――
――そこには上下が逆さまになった幻想的な空間。松の林に、石畳の道に、玉砂利の大地――そして薄い紫と水色が混じったような空。
どころなく和を思わせるその空間は――
「ぅげえぇ…!」
――と、感想をまとめてしまいたいところだったけれど、それよりも先に限界が訪れたのは私の脳味噌の方。
松の太い木の枝に布団を干すかの如くぶら下がっていた私。
当然、頭へと血が昇りに昇り――不快感によって目覚めを向かえ、
限界が訪れてやっと正常な状態で現状を見ることが叶ったわけだった。
…まぁ、だからといって状況が好転するわけではないけれど。
日本庭園を思わせるこの空間――明らかに普通じゃない。
これが、塀に囲まれていて、かつ空が青空なり曇り空なり夜空であったなら、まだ普通と思えなくもないけれど、
この幻想的な空の色は、この空間が非現実であることをなにより如実に現していた。
「(さすがにまずったか……)」
ふっと私の心に湧いた反骨精神――というのか、イタズラ心というのか、とにかく流れに逆らいたいという意思。
ついつい、好奇心をくすぐられて、考えるよりも先に行動に移してしまった――
――が、これは正直軽率だったと言わざるを得なかった。
これが松本さんの企画 したところ――なら、最低限の安全が保たれるけれど、
これが本当の本当にハプニングであるなら――安全なんて一欠けらほども保証はない。
しかも、この空間からいって戦国ファンタジー、とかありえそうなだけに本当に死んでもおかしくはない。
なんだかんだいって、私のいた世界は平和だった。
命のやり取りなんてなかったし、武力がどうのという内容の人生 じゃない。
…ちょっとそんな話題が絡んだこともあったけれど、結局ものをいったのはサッカー――
――ルールに則り行う正々堂々を大前提としたスポーツだ。…まぁ、それから外れた外道もいたけれど。
「チッ……」
浮かびかけた人影を振り払うように頭を振るう。
ああ、ただでさえ頭に血が上って不愉快だというのに余計に不愉快だ。
ああ、ああ、ああ――本当に腹立たしい上に、気持ちが悪い。
…しかし、ここでボーっとしていてもしかたがない。…いや、かといって当てがあるわけではないけれど。
それでも、ここでただボーっとしているのも私の性分にあわない。
もしかすると、状況をこれ以上に悪くする可能性もあるけれど――それでも黙っていられないのが今の私の性分だ。
「(…この『なんとかなれ』精神がよろしくないのよねぇ……)」
なんとかする――ではなく、なんとかなれ。ぶっちゃけて言うと、ある種の他力本願。
だから、こうして一人で行動すると痛い目を見る。所詮、私一人ができることなど多くはないのだ。
当然の結果と言えば当然の結果――なのに学習してくれないから本当に困る。
どこか頭の隅で、常に自分の後ろに誰かがいてくれる――そんな気がしているから、いつまでも改善されないんだ。
一人で、ただっ広い空間にいると、ついつい余計なことを考えてしまう。
まぁ私の場合、自分の失敗で面倒を引き起こしただけに、なおさら余計なこと――愚痴が多くなるのだとは思うけれど。
今一度、頭を振って頭の中をリセットする。
なにがどうなるか――なんてことはまったくもってわからないけれど、それでも状況を動かすために私は足を前に進める。
何もせず後悔するくらいなら、何かして後悔した方がいい。でないと、私も私を責めきれないし――
「!」
不意に後方から聞こえたのは、何者かが砂利を踏む音――
――けれど、私の胸に湧いたのは喜びではなく不安だけ。
背中をゾワリと悪寒が奔り抜け、一気に恐怖と不安が全身を支配した。
全力で、このまま逃げ出してもいい。
けれど、相手がなんであるかも確認しないで逃げるのもまた危険。
上がる二つの選択肢。けれど私が選ぶ選択肢は正直なところ決まっている。
相手を知ることが、なによりの武器である私としては。
「ウギ…ギギギギ……」
「――――」
私から、およそ5mほど離れた位置にいるのは――所謂ところの妖怪。
体長は1m弱で、ボロ布を巻きつけた体は全体的に暗めだが赤やら青やら色とりどり。
そしてなにより特徴的なのは、額に生えた小さな角――
――外見的情報を統合すると、これは小鬼と呼ばれる妖怪が最も特徴が合致した。
正直、見た目的には非常に弱そう――だ。
また彼らが手にしている武器も、木の棍棒に刃の欠けた出刃包丁と、恐怖を覚えるものじゃない。
――とはいっても、私がどうこうできる相手ではないことにはなんら変わりない。
我が仲間である蒼介であればどうにかできただろうけれど、
なにがどうしたところで私は一般人の枠を出ていない――んだから、
「逃亡一択っ」
「ギシャア――!」
背を向け逃げ出した私を、小鬼たちが奇声をあげて追ってくる。
一瞬は林の中に逃げ込むことも考えたけれど、そこから小鬼たちが出てきたように思えたし、
林の中では更に他の妖怪が現れても不思議はない。茸の妖怪とか、枯れ木の妖怪とかなんとか。
――とはいえ、ただっ広い石畳のフィールドに飛び出してもそれはそれで分が悪い。
なにもない――以上、完全に何処かに逃げ隠れることのできない場所だから。
ただ、足には自信があったし、幸いにして相手の機動力も思ったよりは人間離れしていなかった。
これならなんとか逃げ切れそう――
「!」
――と、油断したのが相手のに伝わったのか、不意に私の頬すれすれを通り抜けていったのは白い玉砂利。
思わず後ろを振り向けば、小鬼たちは玉砂利を手にいやらしい笑みを浮かべ私を追いかけてきていた。
…くっそー、あんな雑魚キャラ的妖怪にいいように弄ばれるなんて…!
明らかにあの小鬼たちは私を追い回して――遊んでいる。
無抵抗の者に止めは刺さずにいたぶることで愉悦とする――大概に、歪んだ脳味噌だ。
…まぁ、動物にも見られる行動だから、ある意味で知能ある生物としては普通の現象なのかもしれないけど。
「(だからって――納得できるかッ)」
バシッ、ボスッと背中やら足やらに当たる玉砂利。
またしても幸いにして、相手の腕力はそこそこな上に、不器用な性質らしく、
当たる玉砂利はまぁまぁ痛い程度に収まり、その当たる数もそれほど多くはなかった。
――まぁ、それでも当たれば痛いことにはなんら変わりないけどなッ。
逃げて、逃げて、逃げて――状況は好転していない。寧ろ、より悪くなっていると言っていい。
走り続けたことでこちらはゼェハァと肩で息をしている上に、玉砂利をぶつけられたダメージも蓄積している。
それに対して小鬼たちは多少息は上がっているようだが、それでもなんのダメージもないためにまだまだいけるといった様子だ。
…思わず諦めが脳裏をよぎる。もう無理だ、助かりはしない――と。
ああ、今にしてちょっと思う。陰陽術、ちょっとでもいいから習っておけばよかったなぁ。
…いや、その前に陰陽術って誰でも取得できるものじゃないか。
…でも三枚のお札的に、護身用の護符みたなもの、貰っておけばよかったなぁ……。
「ぅおっ…?!」
体力の限界か――足がもつれて体のバランスが崩れる。
けれど、そこはなんとか踏ん張って、立ち止まる格好になりながらも転倒だけは防ぐ――が、意味があるかは少し疑問だ。
やっと動きを止めた私 目掛けて雨あられと玉砂利を投げつけてくる――
――そんな光景が容易に想像できるだけに、立ち止まった時点で状況は最悪以外のなんでもない気がしてならない。
――が、私の想像する「最悪」なんて、現実の「最悪」からみれば可愛いものだった。
「ゲケェエ―――ッ!!」
小鬼が渾身の力で放ってきたもの――それは刃の欠けた出刃包丁。
どこを狙った――か、は知らないが、それは真っ直ぐ私の体に目掛けて飛んで来ていた。
とっさのことに体もまともには動いてはくれず、これは確実に何処かに刺さる――か、切りつけられた格好になるか。
いずれにせよ、逃亡が困難になるだけの大きな痛手を食らうことにはまず間違いないだろう。
「(あーあ……)」
胸に広がるのは諦めと後悔。
やっぱり一人でいるときに軽率な行動はしちゃいけないね――一人じゃ、できることが限られるから可能性が閉ざされる。ああ、ああ、ああ――誰かどうにかしてよ、本当にもう。
「――!」
ゴゥと吹き荒れた風――それに気をとられていれば、不意に響くのはキンッと金属同士がぶつかりあう甲高い音。
あまりにも急に展開した状況に、まったく混乱が収まらないながらも、
なんとか状況を確かめようとまぶたを開けば、そこにいたのは――またしても私の想像をはるかに超える存在だった。
戦国武将のような鎧を身にまとい、腕は大きな翼となっている――いわば鳥人。
そして彼は、おそらく小鬼の投げた出刃包丁を弾き返したであろう独特な形状の――おそらく槍と思われる武器を手にしていた。
「タカマル!一掃だ!」
「御意ッ――必殺・天魔焼尽撃!!」
何者かの指示を受け、鳥人の男性が地を蹴り小鬼たちに向かっていく――その過程の中で攻撃は放たれた。
事態についていけていない小鬼たちを包囲したのは、鳥人の男性が槍を人薙ぎしたことで構築された陣。
そして「仕上げだ」というかのように、彼が印を切れば――
――小鬼たちを包囲した陣から一気に無数の雷撃が天々を向かって放たれた。
当然、その強烈な攻撃を小鬼たちに防ぐ術はなく、
耳障りな断末魔をあげ空へと掻き消えていき――文字通り、小鬼たちは一掃されていた。
小鬼たちに対して、逃げるので精一杯だった私。
だというのに、まぁこれでもかというほどにあっさりと一掃してくれた目の前の鳥人。
不満はない――けれど、少し自分の無力さ加減を嗤ってしまう。
こんな事態、私のいる世界では起こりえないとはいえ――無知を、無力をよしとしたくはなかった。
「君!大丈夫か?!」
不意にかけられた私を心配する声に、
反射的に振り返ってみれば、灰色のマントを纏った青年がこちらに向かって駆けてくる。
…状況的におそらく彼がこの鳥人の男性の使役者――私を救ってくれた存在なのだろう。
「大丈夫か」と問われ、とりあえず「大丈夫です」と返す。
息の乱れも、玉砂利の打撃痕も治まってはいないけれど、まぁとりあえず五体満足なのだから万々歳だ。
本当に。本当に――今回ばかりは死ぬと思ったんだから。
「っ〜〜〜……」
「お、おい…!?」
「す、すみません…っ。助かったと思ったら気が抜けて……」
自分で思っているよりも、存外私はこの状況に対して緊張していたらしい。
自分を死へと追いやらんとする脅威から逃れ、
顔も知れないとはいえ、明らかに悪い人ではない――救世主と言っても過言ではないであろう存在の登場。
それはもう――気が緩む緩む。ギリギリ涙は留めたものの、らしくなくへたり込むのも――仕方ないと思う。
…とはいえ、いつまでも座り込んでいるわけにはいかない。
怒涛の展開に色々付いていけなかったせいでまだ助けてもらったお礼も言っていない。
それにこの機会を逃がしたら、次は本当に妖怪の餌食になって死ぬ。
そうならないためにもこの「世界」の情報を得て、
できることなら安全な区域までご一緒させてもらえれば――…うん、なんとかなるかもしれない。
ぐっと体に力を込め、体に奔る鈍い痛みを無視して立ち上がる。
ピンと背筋を伸ばしてから――私は彼らに向かってスッと頭を下げた。
「助けてくださってありがとうございます。本当に――助かりました」
「いや、闘神士として当然のことをしたまでさ――
…ところで君はどうしてここに?見たところ一般人のようだけれど……」
「ぇえ…と……ちょっとした次元の歪みに飲み込まれて、気づいたらここに………」
「次元の…歪み??」
ツンツン頭のお兄さんがこの上なくワケがわからない――といった表情を見せる。
…うん、ですよね。意味わかんないですよね。正直、状況を説明している私自身、意味わからないですから。
――とはいえ、情報を要約すれば、次元の歪みに飲み込まれて
自分のいる世界とはまったくの別世界にきてしまった――というところ。
少し自分の中で整理が付いたので、改めてお兄さんに説明しよう――とするけれど、
「すまない、詳しい話は移動しながらでいいかい?また妖怪たちが襲ってきたら面倒だからね」
「は、はい…!」
改めて自分の状況を説明するよりも先に、お兄さんから移動を提案される。
正直、こちらから土下座する勢いで頼み込もうとしていた――願ってもない申し入れに、思わず歓喜の笑み浮かぶ。
相当、花でも咲く勢いで笑顔になっていたのか、私の返事を受けたお兄さんは苦笑い。ぅうむ…お恥ずかしい限りですが、生き死にかかってたわけですから、そこは大目に見ていただきたい。
和風ファンタジーなこのフィールド――伏魔殿を、私を助けてくれたお兄さん――吉川ヤクモさんと共に、
ヤクモさんの仲間が待つという安全域へ向かって、自分の状況を伝えながら進む。
そして、ヤクモさんからこの世界がどういう世界 かと聞けば、
ここは妖怪が実在する世界で、その妖怪を退治する手段として陰陽術、
そしてヤクモさんが使役していた鳥人の男性――雷火のタカマルさんのような式神が存在する世界なのだという。
なんというか――現代和風ファンタジー、といったところだろうか?
文化うんぬんを聞いてみれば、私の暮らす年代よりも多少昔というところで、
それほど大きな時間の開きはなく、また突飛な技術の向上もみられない――というか、
技術の進歩についてはこっちの方が異常なぐらいだった。
「異世界から――か……刻渡りの鏡は違うだろうし…空間を司る式神なんていないし……」
「陰陽術に…転移系の術というのは…?」
「ああ、それはあると思う――…でも俺は闘神士で、陰陽師じゃないんだ」
「? トウジンシ?」
「陰陽師から派生した、式神を使役することに特化した術士――それが闘神士。
…中には陰陽術を習得している闘神士もいるんだが、俺はからっきしで……」
「ああっ、いえ…っ、た、他意があったわけではっ…!」
「わかっているよ。…それに一応、俺の仲間に陰陽師がいるし……。…そいつに頼めばなんとか………」
なぜか、唐突に果てしなく遠くを見つめているヤクモさん。
まるでその視線はこの世の果てに向かっているようにさえ見える。…今、話題に上がったのってヤクモさんの仲間――なんですよね?なのになぜそこまで遠くを見つめますか。
……まぁ、できる仲間だからこそ扱いが厄介なヤツっていうのもいますけれどもね。誰とは言わないけど!
「ええと…ヤクモさんはいつも伏魔殿 で妖怪退治をしているんですか?」
「ん?ああ、いや、いつもではないんだ。…今はちょっと別の用件で伏魔殿を調査して回っているんだ」
「…じゃあ偶然……」
「そうだな、このフィールドにいたのは偶然だった」
「……『は』、ですか?」
「ああ、ここで調査をしているときに流れ星を見かけて、仲間に流れ星を追えって言われて――今に至る、と」
全てが運のいい偶然――と思ったけれど、思いのほか私が助かったのには他人 の意図が関わっているらしい。
命を救われた身なのでとりあえず「ありがとうごます」だけれど、未来を見透かせる――ある意味で恐ろしい力だと実感する。
ある意味、他人の生き死にを左右できる力――とも言えるんだから。
自分の生死の運命を先見したのがヤクモさんたち――いい人たちで本当によかった。
ヤクモさんはお仲間さんのことをなにやら苦手――というかちょっと迷惑に思っているようだけど、
こうして自分たちの目的を後回しにして、助ける意味すら怪しい一般人を助けてくれた人だ。
多分、根っこはいい人なんだろう。……いや、逆に善人すぎて困るってこともあるのか…。ま、たとえどんな人であったとしても、命を救ってくれた恩人の一人であることには変わりない。
ちゃんと、「ありがとう」とお礼を言わなくては――って!
「……………」
「ぅっはぁ……!」
大変。すっごい大変。ヤバイです。マジヤバですよ。
100mほど先に般若がッ…!般若がおるぅ……!!
普通、ここは安堵するべき場面だ。だって知っている顔にやっとで会えたんだから。
しかし、しかしだ。その知っている顔が、見たこともない形相――般若の形相になっていたら、
安堵するより恐怖が先立つのが普通ではないだろうか?
知った顔――とはいえ、その人物のことを私も詳しく知っているわけ絵はないけれど、
とりあえず怒りを露にするタイプではないことはわかっている。――なのにあの鬼の形相……。
いや、形相自体は怖くないんだ。目つきが人一人殺せそうだけど、無表情だから。
でも後ろに漂っているオーラがなぁ………。般若も裸足も逃げ出すぞー。
「………知り合い…か?」
「はい…まぁ……」
全力苦笑いのヤクモさん。
どうやらヤクモさんも、あの人があんなリアクションを取るのは普通ではないと知っているらしい。
更に言えば、無意識に握っていたヤクモさんのマントの端――
――あの人の元へ行きたくないという私の無言の意思表示にも、苦笑いしているのかもしれない。
――とはいえ、いつまでもここに留まっているわけにはいかない。色んな意味で。
間違ったことをしたのだ、その罰を、お叱りを受けるのは、それを犯した人間として当然のこと――それに、
たった2〜3度会っただけの私を、キャラが崩壊するほど心配して、怒ってくれるというは、ある意味で嬉しい話なのだし。
さぁ、心を決めろ――私!!
腹をくくって思いっきり地を蹴り駆け出す。
もう、ここは勢いで押すしかない。のろのろと無言のプレッシャーを浴びながら歩くなど――気が狂う。
歩を進める度に刺々しい空気がグッサグサと頭に刺さるが――無視して走る。
気にしたら無理。負けどころの話じゃない――から、死ぬ気で走った。
そして――
「すみませんでしたあぁぁ!!!」
ズソザァ――!と、勢いよく決めたのは――スライティング土下座。
自分の防御策+相手への最大限の謝罪の意味を込めてやってみたわけだけれど――とりあえず成功してよかった。
膝とデコが摩擦熱で熱痛いけれど、頭にザックザクと刺さる視線――いやもう殺気の方が万倍辛いので差して気にならない。
…ま、逆に言えば頭がピンチなんだけどね!
「まぁまぁ許してやれよ、スライディング土下座なんて相当反省してないとできない芸当だって」
「……………」
「ん〜?ジャンピング土下座の方がいい?」
「ご所望とあらば!!」
「………誰も望んでいない…。…お願いですから余計なことを言わないでくださいビャクヤ兄さん……」
不意に近づいてくる気配――が、ポンと肩を叩く。
そこにはプレッシャーや殺気はなく、穏やか――とはいえないが、気配の主は平静を取り戻しているようだった。しかし、そこで気を抜いてはいけない。
あくまで悪いのはこちらだ。それが完全に許されるまで、下手に出ることを忘れてはいけなかった。
「…もう二度と、こんな真似はするな」
「……………」
「……それはなんだ、『そんな口約束できない』という意味か?」
「…はい」
「…はぁ……誠実なのか不誠実なのかわからないな…お前は……」
目の前の気配がすくと立ち上がる気配を感じて、頭を上げてみる――と、
青みかかった長い髪と目深に被った帽子が特徴的な少女――心皇が私に手を差し伸べていた。
差し伸べられたさんの手を取り私は立ち上がり、
改めてさんに「ご心配をかけてすみませんでした」と謝罪の言葉と主に頭を下げる。
すると、さんはやっぱりため息をついて(たぶん)許しの言葉を返してくれる。
…でもこれは認めたとかじゃなくて、諦めたから――だな。
うん、まぁ、諦めていただかないとこちらも困るのでありがたいんですけれども。
「――しっかし、これが御麟のちゃんか〜。……なんか、思ってたより普通?」
「…さん、このフォローはしてくれたけど開口一番で失礼なこと言って寄越した方はどちらさまで?」
「……この人は従兄の心皇ビャクヤ――俺たちの業界でいう『白髪 の人』だ」
「なっ、これがかの有名な白髪っ?!!」
「…おーいお嬢さんたちー。すっげー失礼なこと言ってる自覚あるかーい?」
失礼――と、私とさんの発言を非難している――割に、
まったくもって痛くも痒くもないといった様子の白髪の人――心皇ビャクヤさん。
茸隠夢主 の業界では、二大手に負えないオリキャラの
片翼として広く浸透している存在――乱暴に言ってしまえばさんの胃痛の原因だ。
…しかし、個人的にこのビャクヤさん……。全然嫌な感じがしない。
いや、まだ迷惑こうむってないから言えるのかもしれないけれど、なんとなくだが――私と近いものを感じる。
経歴的問題で根っこは違うかもしれないけど、表面的な「上っ面 」は全盛の私にかなり近い気がしてならない。
なんというか――全開の愉快犯?
「…失礼なことを言ってすみませんでした。――それと、フォローありがとうございました」
「はいはい、気にしないでちょーだい。――でもホント、普通だね?」
「ええ、まだ全盛モードではないので」
「ああそっか、そう言われれば……」
ずいと近寄ってきたかと思えば、興味深げに私の瞳を覗き込むビャクヤさん。
そんなところまで設定 がいっているのか――と思いながら、こちらもビャクヤさんの瞳を覗いてみる。
見てみればビャクヤさんの瞳は綺麗な琥珀色――そういえばビャクヤさんの配色は望に少し似ている。
望の髪はビャクヤさんのように混じり気のない白ではないし、望の方が少しくすんだ琥珀色だ。
似てはいるけれどまったく同じではない――ま、性格が大きく違ってくれたからそれでいいのだけれども!
「…兄さん、いつまでそうしているつもりですか」
「「ん?」」
呆れを強く含んださんの声に、振り返ろう――としてけれど、
よりも気になった怒気混じりの気配に、思わずそちらへと視線を向ける――と、
そこには酷い軽蔑の視線をビャクヤさんに向けるヤクモさんと、
こちらも酷くご立腹の様子のタカマルさんがビャクヤさんを睨んでいた。
しかし、ヤクモさんたちのそんな視線を受けたところで、ビャクヤさんは怯んだり下手に出たりはしないらしい。
すくと折っていた腰を真っ直ぐにすると、「ゴホン」とわざとらしく咳払いを一つして口を開いた。
「まぁまぁ落ち着いてくれタカマル。
俺は確かめたいことがあっただけで、ちゃんには特別な興味はないの――というか」
「…というか――?」
「俺にとっての特別は!マイスイートハニーであるヤクモしかしるわけないだ――ろ゛っ」
バラの花を撒き散らしヤクモさんの元へ駆け出したビャクヤさん――に、
これ以上ないくらい綺麗な迎撃パンチを決めたヤクモさん。
ヤクモさんの拳がビャクヤさんの頬にめり込んでいるけれど、ビャクヤさんは吹っ飛ばされてはいなかった。おそらくヤクモさんも全力でビャクヤさんを殴ったとは思うけれど――
「フッ――照れることないじゃないかハニー!」
「だぁッー!!いい加減にしろー!!」
「ん〜?周知のことを皆まで言うなって?
いやっ、ほら!ちゃんに俺たちの関係をちゃんと紹介したいじゃないかっ!」
「なにがちゃんとだッ!嘘しか言ってないだろうが!!」
「なにを言う!俺は自分の心に嘘偽りない言葉しか口にしていないぞ!」
なにやら漫才のような掛け合い――プラス、ヤクモさんからビャクヤさんへの一方的な攻撃 がはじまった。
おそらく、このビャクヤさんの男色は冗談――だけれど、ある意味で嘘は言っていないんだろう。
ビャクヤさんのいう「マイスイートハニー」というのは、おそらく夫婦漫才のコンビの女房役――という意味。
であればヤクモさんからビャクヤさんへの暴力はツッコミ――
――バイオレンスではなくドメスティック、という理屈もギリギリ理解できなくはない。
…まぁ、つき合わされているヤクモさんからすれば、
マジだろうが、コント設定だろうがいずれにしても迷惑この上ない絡み、なんだろうけれど……。
「あーもうッ!いいか御麟くん!コイツの言うことは100%信じなくていいからな!」
「…………えーと――挙式はいつごろですか」
「キャー!はずかしー!」
「コラー!」
「ははははー――べふっ」
ビャクヤさんの悪乗りに、あえて乗ってみたところ、
ヤクモさんに怒鳴られ――さんにこの上ない勢いで頭を引っ叩かれた。脳震盪を起こしそうな勢いの痛烈な打撃に思わずその場にへたり込み、感覚がなくなるレベルに痛む頭を押さえる。
そして、だいぶ頭の痛みが明瞭になってきたところで、背後にいるであろうさんの方へ視線を向けてみれば、
そこにはこの上なく呆れた表情のさんがいた。――ま、怒ってないから問題なし!
「…さん、ツッコミの激しさが大師匠よりになってます…!」
「お前が全盛よりになるからだ。…まったく、この先が不安だな……」
「? この先??」
「ああ、お前が無事に助かった――からな、企画は続行だ」
「な゛っ」
衝撃的な一言に、さっきのさんのツッコミよりもきつい衝撃が頭に奔る。
トンだ大ハプニングがあったのだ。これで今回の企画はお開き――になるかと思いきや、
私が無事に保護されたから企画続行――だという。
…まぁ、道理的にはなにひとつとして間違ってはいないと思うのだけれど、色々と納得できない部分は多い。
くぅ…、五体満足助かったのは本当によかったとは思うけれど、
これから更に企画続行――難行に挑むことになるかと思うとげっそりする…。怪我の一つも負えばおじゃんに――
「原因お前かーッ!!」
「「?!」」
「はっはー!やーっと気づいたかー!」
そうだ、そうだった!ビャクヤさんが「手に負えない」と言われる理由は、
お茶目な愉快犯――という点もあるけれど、なにより面倒なのは松本さんと結託すること!部下と上司とかいう主従の関係ではないけれど、あの2人はギブアンドテイクで繋がっており、
松本さんの要請でビャクヤさんは度々暗躍することがあるのだという。
あああっ、忘れてた!今の今まで忘れてたァー!!
「いいじゃないの〜。今回みたいな命懸けはもうないんだから〜。
あと11世界 、楽しく小旅行 しておいでよ〜」
「人事だと思ってお気楽な!流れ的にモンスターがいる世界 とか、
マフィアやら妖怪やらが抗争している世界 にいかなきゃならんのですよ!?
こちとら生身!丸腰!命がいくつあっても足りませんよ!!」
「ああ、だからその時のための――護衛役、だ」
「ん?!」
やっぱり諦めを含んだ冷静なの声に、勢いよく振り返ると、
さんが手にしていたのは山吹色の球体――型の機械らしきもの。…あ、そういえばコレ、ヤクモさんも持ってたから……もしかしてコレが式神を使役するための道具?
「…………」
「式神を使役するための道具――闘神機。
…本来であれば、松本がお前を気絶させたあとにこれを持たせてこちらへ送る手はずだった――らしいんだがな」
「…え、それってずっと妖怪絡みの世界 ばっかりってことですか?!」
「…いや、松本が言うには『その世界 に応じた護衛 を呼び出す道具に切り替わる』――らしい」
「なるほど…。……ご都合主義とはいえ、難行の旅路にはありがたい援軍です」
その世界に応じた護衛がつく――のであれば、話はだいぶ変わってくる。
なにせ松本が好む世界は日常から外れた非日常。
超次元サッカーという、背後から魔神が出たり、地中からペンギンが出てくる必殺技――
――なんてものがある世界にいる私だけれど、所詮それはサッカーの必殺技。
自分の身に降りかかる火の粉を払うための力じゃないのだ。
そんな私にその世界の設定に対応した護衛がついてくれるというのは本当に心強い。
今回のことであれば、あの死ぬか生きるのかの場面で子鬼たちに対抗する手段を持っていた――ということになるのだから。
不意に響くブンッという聞き馴染みのない音。
反射的にそちらへ視線を向けてみれば、そこには結界――だろうか?光を放つ陣とその横に立つビャクヤさんの姿。
先ほどまでのお茶らけた空気はない――けれど緊張なども一切なく、とても落ち着いた様子だった。
「…一応もう一度言っておくが――無茶はするなよ」
「えーと…それはお約束できないです……」
「…ああ、わかっている。だが、心に留めて置くぐらいはしておいてくれ」
私より幾分か背の低いさんが私の頭をポンと叩く。
それに「了解です」と返して、さんに励まされる形で私は
ビャクヤさんが用意したであろう結界へと近づいていく――と、不意に私の目の前に3枚のお札が現れた。
「護衛がいれば問題ないとは思うけど――いざという時は自分で身ぃ守んな」
挑発的に「できるだろ?」と尋ねてくるビャクヤさんに、こちらは不適に笑って「もちろんです」と返す。
それを受けたビャクヤさんは満足そうに頷くと、黙って――ヤクモさんの隣に納まった。
「ヤクモさん、本当に助けてくださってありがとうございました」
「…行かなければダメなのか?その――過酷な旅に」
「はい、少なからず待っている連中がいますから」
ヤクモさんが何処か申し訳なさそうな表情で尋ねてくるけれど、私は自身を持って笑顔で答えを返す。
グタグタと愚痴をこぼしたけれど、私の選択肢はあくまで元の世界へ帰る――それ一択だ。
自分の世界が一番好き――そんな理由ではなく、そこに私を待つ仲間たちがいるから。
だから私は帰らなければならない――し、そこへ帰りたいんだ。
多分、それなりに面倒な目に合うんだろう。でも、面倒には結構慣れっ子だ。
無責任と思ったビャクヤさんの言葉を心の中で噛み砕く――11ヵ国を旅するように、11の世界を旅すればいい。
そう思えば気持ちがスッと楽になる。面倒にもなれているが、旅にも私はなれている方だ。油断しすぎず――楽しめばいい。
結界の前まで来たところでクルリと振り返り、「お世話になりました」と頭を下げる。
軽く挙げてくれるさん、笑顔で頷いてくれるヤクモさん、ヒラヒラと手を振るビャクヤさん――に見送られ、
私は白い光を放つ結界の中へと足を踏み入れた。
■あとがき
久方ぶりの陰陽大戦記メンバーでした。ヤクモさんの口調が微妙だけど大目に見てください!(土下座)
ヤクモさんとビャクヤの掛け合いが定番ながら楽しかったです。このコンビ好きだぁ。コンビな(強調)
本当はもっと式神勢を登場させたかったのですが、色々あって夢と消えました。いつかリベンジしようかと思います!!