鼻を撫でるのは、松の木の香りに、少しひやりとした澄んだ空気――松林の香りだ。
幼い頃から馴れ親しんだ香りに酷く安心してまぶたが重くなる。
ここまで怒涛の展開続き。そりゃいい加減、肉体的にも精神的にも限界が来たっておかしくはないだろう。
…ついでに頭の限界もきたけれど。
 顔を上げ、頭に上った血を僅かでも元に戻す。
当然のように頭がくらくらするけれど、それでもなんとか動ける程度なので、もうなれたものとなった手順で木の枝に登る。
そして、鉛のように重いまぶたを何とかかんとか持ち上げ、あたりを見渡してみれば――
――そこは神社の境内近くの松林、のようだった。
 僅かに脳裏に浮かんでいた予想と場所が合致して、思わず安堵の息をつく。
昔からこの神社という場所は、地元以外の場所でも好きだったりする。
なんというか――無条件で、神社は安心できるから。
…だから、振り払ったはずの眠気が息を吹き返すわけで……。

 

「(眠っ……)」

 

 抵抗できないくらいの強烈な眠気に襲われ、自然と体は幹により、最後の最後には背を幹に預ける格好になる。
なかなかに危険な体勢と言えば体勢だけれど、
下手に地べたで眠るよりはある意味で安全だろう――半ば強制的に頭を納得させる。
そうでもしないとどうにもならないくらいに、この眠気は尋常なものではなかった。
 頭がこの場所を安全――と理解すれば、一気に眠気が襲ってきて、一瞬にしてまぶたが開閉困難なくらい重くなる。
…思考も、どんどん遅くなって…緩くなって……意識が水底へ沈んでいく――
――ところで、目を覚まさざるをえない展開が訪れた。

 

「ッ?!」

 

 ドシン!と大きな音と共に、私の乗っている木が大きく揺れる。
当然、その揺れに対応しきれなかった私の体はことごとく転落する――ところを、
なんとかとっさに手が木の枝を掴むことに成功し、なんとか転落だけ防ぐことができていた。
 ああもう、危ないなぁ…――と思いながら、
この状態の原因がいるであろう真下に視線を向けてみれば、そこにいるのは黒い学ランを羽織った短髪黒髪の少年。
そこだけを見れば割と普通なのだけれど、彼が手にしているもの――金属製のトンファーが
彼が普通ではない上に、危険な存在だということをありありと物語っている。こ、これはどうしたものか……!
 …とりあえず、落ちたら確実にエラい目にあう気がしてならないのでとりあえず、もう一度木の枝の上に避難する。
ただ、幸いにしてまたすぐに黒髪の少年がトンファーで木の幹を殴ってくることはなく、とりあえず、一息をつけそうだった。
…しかしこの状態……猟犬に追い詰められた熊みたいですね。

 

「ねぇ、君」
「は、はい」
「ここが誰のものかわかっているのかい?」

 

 好戦性と嗜虐の色が僅かに混じった笑みを浮かべ、確かめるように尋ねてくる黒髪の少年。
わかりやすく嫌な予感しかしないものの、
とりあえず「あたなのものですか?」と疑問まじりで言葉を返せば、彼はクスリと楽しげな笑みを浮かべた。

 

「違うよ。でも、ここは僕のお気に入りの場所なんだ――だから、邪魔者は咬み殺す」
「(なんか恐ろしいこと言い出したー!?)」

 

 自分が所有する場所ではないが、自分のお気に入りの場所だから、
その場所に侵入してくる邪魔者は排除する――なっかなかに傲慢にして危険な思考だと思う。
私も自分の傲慢さには結構自信がある方だけれど、この人から見たら私の傲慢なんて可愛いものだと思う。
…って、そこは今あまり関係ない。今どうにかしなければいけないのは――この状況だ。
 とりあえず、選択肢は逃亡一択。ただその逃亡方法が少々頭を悩ませるところだ。
おそらく、このまま普通に木から距離を稼ぎつつ飛び降りたら――なんとなく、だけれど追いつかれそうな気がする。
普通なら飛び降りたという事実を認識するために、多少のタイムラグが生じて、
着地までの時間を稼ぐことができるはず――なのだけれど、どうにもあの少年はその辺りの反応がいい気がする。
こちらの動きを見る彼の挙動にほとんど隙が見られないことから、私の予想はおそらく当たることになるだろう。
 …怖いなぁ……普通の人間が普通じゃない戦闘能力を持っているって………。
……まぁ、ウチにも無駄にそういう設定持ってるヤツはいますけれども。
それは今は置いといて、とにかくこの状況を打破することがなによりだ。

 

「(お札…最後の一枚が……)」

 

 下手に動いて打って出られては困るので、頭の中だけで最後の切り札――某白髪様から貰ったお札のことを思う。
妖対決で使い、先の某鬼神様との戦いで使い――最後に残ったこの一枚。
2枚とも、私の窮地を救ってくれた、効果は折り紙つきのもの――だけれど、まだ現状2つの難行が残っていた。
 ここの凌いだからといって、これで完全に危険から逃れることができる――とも言い切れない。
その可能性を考えれば、ここで使うのは時期尚早なのだけれど――
――ニヤリと笑みを浮かべてトンファーを振り上げた少年に、考えるよりも先に体が動いていた。

 

「っ!」

 

 少年に向かってお札を放つと同時に、松の木から飛び降りる。
すると、思ったとおりの素早い反応で少年は私の後を追おうとする――けれど、
カッとお札が強い光を放ち、目くらましの役目を果たしてくれる。
その間に私は石畳の上に着地すると、間髪を容れずに走り出した。
 とにかく今はあの黒髪の少年との距離をとり、最終的には彼を撒くことが目標だ。
そのためにも、めくらましが聞いている今のうちにとにかく距離を置く必要がある。
今までの野盗やら小鬼とは彼はワケが違う――なんか印象的にラスボスレベルのポテンシャル持ちの気がしてならない。
…そう考えると、私は本当に逃げ切れるんでしょうか?

 

「って!もう追ってきたー!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 拝啓、お父さんお母さん。冬が終わり、春の日差しが穏やかになりはじめた今日この頃、お元気でしょうか?
私は元気――ですが、現在、学ラン姿の死神様に追い掛け回されて死にそうです。
お2人も仕事のし過ぎで死神様に会うようなことなく日々をお過ごしください。敬具。

 

 ――なんて、両親への手紙を脳内で書き出してしまうくらい切羽詰った現状の私。
だってだね、あの黒髪の人、人のこと追いかけながら――攻撃しかけてくるんですよ?
そりゃ、死を意識しても仕方ないではないですか。
 塀が壊され、電柱が壊され、ガードレールはへこみ、街を破壊しながら地獄の鬼ごっこを続けている私たち。
最初、これ以上街を破壊させるわけにも――と、思って大人しくお縄にかかろうかとも思ったのだけれど、
やはり派手にへこむアスファルトやら、粉々になるコンクリートをみると、そんな殊勝な考えは一瞬にして消えた。
だって本気で殺されそうなんだもん!!
 ある意味、あのお札を使ったのは失敗だった気がする。
あれを使わなければ、ここまであの黒髪の人を怒らせる――いや、興味を引くことにはならなかった気がする。
多分だけれど、あの人は戦闘狂だ。だから、自分の知らない力を持つ――と判断した私と戦ってみたいんだと思う。
…いや、単に戦うことが好きってだけかもしれないけど…。ま、どっちにしても私には迷惑な性質だ。
 逃げる、逃げる、逃げる。
とにかく逃げて、自分と相手の距離を一定ものに保ち、けして距離を詰めさせない――
――それを心においてとにかく逃げ続けているけれど、だんだんそれも厳しくなってくる。
息が上がり、呼吸をするのが難しくなってくる。
足もだんだんと重力に逆らえなくなってきていて――これは追いつかれるのも時間の問題だろう。

 

「ああもうぅ〜〜〜!」
「…大人しく、お縄につきな――よッ」
「ッ!」

 

 疲労からか、僅かに反応が遅れて――間近に黒髪の少年が持つトンファーから伸びた鎖が背中に迫る。
このままで確実に直撃――それでも、せめて急所をはずそうと体を僅かにずらす――と、
不意に手首やら腹やらにワイヤーのようなものが巻きつく。そして「ん?」と思うよりも先に私の体はフワリと浮いた。
 ズガン!と音を立てて、派手にアスファルトがへこみ――ついでに一部木っ端微塵に砕け散る。
うん。やっぱりあれは死んでたな。急所外すとかそういう次元のアレでソレじゃなかった。
 思いがけず救われた命に「ぅはあ〜…」と意味のわからない声を漏らしている――
――と、不意に体が勝手に動き、近くの家の屋根に着地させられる。
自分の意思に反したそれに、意味がわからずあたりをきょろきょろと見渡していると、
不意にへこんだアスファルトの向こうから「雲雀さーん!」という声が聞こえた――が、

 

「わひゃあ?!!」

 

 へこんだアスファルト向こうから姿を見せたオレンジの鉢巻を身につけた茶髪の少女――さん。
そして、彼女を迎えたのは黒髪の人の鎖による遠距離からの攻撃だった。
 危うく当たる――ところを、私と同じくワイヤーらしきものによって体を後ろに引かれ、倒れる格好になりつつも、難を逃れたさん。
とっさのことであったにもかかわらず、彼女の立ち上がりはかなり早く、
すぐに身を起こすと「なにするんですか?!」ややパニックに陥った様子ながらも、黒髪の人に抗議の声を上げていた。

 

「僕の狩りの邪魔をした報いだよ」
「(……狩られてたんか…)」

 

 猟犬と熊――の構図を思い出し、思わず心の中で苦笑いする。やっぱりこの人はドSの戦闘狂だ。
 自分に反抗した人間への報復――ならまだ道理が通るけれど、人間が人間を狩る――ことに筋の通る道理はない。
予感していたけれど――これはやっぱり大変だ。

 

「雲雀さん!一般人咬み殺したってしょうがないじゃないですか!」
「一般人ならね」

 

 そう、黒髪の人――雲雀さんが言うと、さんがバッとこちらを向く。
なので某白髪の人から貰ったお札を使って逃げた――と説明すると、さんは酷く面倒くさそうな表情を見せた。
…おそらく、頭のいい彼女のことだ。私の状況をちゃんと察してくれたんだろう。
それを使わなければ逃げられなかった――と。
 苦々しい表情を見せていたさん――だけれど、ふと腹をくくった様子で再度「雲雀さん!」と雲雀さんを呼ぶ。
それに対して雲雀さんは返事をしない――ものの、さんの話を聞くつもりがないわけではないようで、
襲い掛かってくることもなく、黙ってさんの次の言葉を待っているように見えた。
 黙った雲雀さんの様子を、さんも話すことの許可と受け取ったようで、
先ほどよりも落ち着いて私があくまで一般人だということを説明してくれる――けれど、
さんの説明を聞き終わった雲雀さんは「フッ」と嘲笑した。

 

「僕の攻撃をかわしながら、並盛神社からここまで逃げてこられる人間が――一般人だっていうのかい?」
「ん?!あれ?!そういえば!!?」

 

 雲雀さんの指摘に、素っ頓狂な声を上げバッと私の方を見るさん。
…残念ながら気づかれてしまった。そう、これは実際のところ純粋な私の力じゃない。
これはあれだ。私の力であって「私」の力――加えて、修行によって身につけた私の新たな力なのだ。
 今後もバトル有りの世界へ赴くことになると思ったので、
ネギま!の世界リアさんのところでエヴァさんに稽古をつけてもらい、魔力による身体強化と合気鉄扇術を習得してきたりする。
ただ、後者に関してはかじった程度で、本物には通用しない程度だけれど。
そんなわけで、私は雲雀さんの指摘通りに一般人の枠を既に出た人間になっていた。
…まぁ、それでも達人にはまったく及びませんよ?

 

「もう!何でそんな面倒なことになったの!」
「備えたら憂いました。…ああでも、備えてなかったら死んでいたかと」
「まったくですね!!」

 

 やけくそ気味にそう言ってさんが手を挙げれば、雲雀さんが攻撃を放つ――けれど、
それをさんはするりとかわして私のいる屋根の上までやってくると「逃げるよ!」と言って走り出す――
――つもりだったんだろうけれど、そのまでに思い切りよくその場でずっこける。
 …そういえば、さんって超絶運動オンチだったっけ……。
その分を使役している蟲たちで補って、一般人以上の動き、そして達人に通用する動きができる――だったかな…。
…ということは、あのワイヤーはさんの使役している蟲のもの――だったのかな。
 倒れているさんの首根っこを掴んで、乱暴とわかりつつも自分の背へと放り投げる。
唐突なことにさんは「ふぉ?!」と声を上げていたけれど、ここは無視させてもらう。
ここで足を止めているのは不味い――と、勘が告げている以上、とにかく動かないことには、命がない。
 走り出した――と、ほぼ同時に聞こえたのは空を切る音。
そしてのその0.数秒後にはバキンと音を立てて――先ほどまで私とさんがいた屋根が無残に抉られていた。
ほら、やっぱり危なかった。――でも、これで何とか雲雀さんを撒けそうだ。

 

「本気でいきますから――確り掴まっててくださいよ!」
「わわわっ!すぃー!糸巻きつけてェー!!」

 

 腹や肩に糸が巻き付けられた感覚を確認し――私は今まで溜め込んでいた魔力を全開放して、地を蹴った。

 

「どっひえええぇぇぇぇ―――!!!?」

 

 さんがエラいことになっているけれど、今回ばかりは目をつぶってもらおう。
ほら、さんって不死身系夢主だから大丈夫だよ、全般的に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■あとがき
 謎の展開となりました。一応、二年前の企画でツナと絡んだので、今回は――と思ったらこんなことに(笑)
雲雀さんとのかけあいが何気に楽しかったです。可能であったなら、バトらせてみたかったものです。
おそらくオチは並盛夢主が痛い目にあって終わりだと思いますが(笑)