聞いてよかったような、聞かなきゃよかったような――
――どちらとも言えない今回の宴の主催者の名を聞いて、
なんとも言えない心地の悪さを抱えながら、私は薬研と共に無頼のあとに続き――
「おォ、来やがったかァ」
――検非違使たちがどんちゃん騒ぎの大宴会をしている大広間へとやってきた。
「おお、嬢!いやはや本当に来てくれるとは!」
「……随分と、面の皮が厚くなったようだな」
「くく…狗に堕ちといて――なァ?」
歓迎されたと思ったら苦言向けられ、苦言を向けられたと思ったら嫌味を言われ――
――なんとも居心地の悪いというか、苦笑いしか浮かばない出迎えだが、
まぁ初めてのことではなかったので、彼らの言葉に対してなにをどうこうと思うことはない。
…寧ろ、以前と変わらない態度で接してくれたことが嬉しかった――…だからこそ、少し申し訳なくも思ったけれど。
少し胸に陰った申し訳なさを拭って、大広間の最奥にして最上段――
――そこに一人陣取っている青藍の髪の男、の姿をした検非違使・東郷貴色に「何事ですか」と訳を問う。
すると東郷殿は愉しげな笑みを浮かべ、その笑みを浮かべたまま――
「仲間外れは可哀想かと思ってなァ」
「………仲間外れ?」
「狗とはいえ、てめェは心皇の名を冠す退魔士――なら、その心皇者に仕える刀剣どもは、広義で俺たちの同胞だァ。
不出来な狗の下で懸命に戦ってる不憫な同胞を、表の刀剣だからって呼んでやらねェのは可哀想だろィ?」
くく、と喉を鳴らし、酷く楽しげに言う東郷殿。
…まぁ、彼の言っていることは嘘偽りのない事実だ。表の刀剣たちがどう思っているかはともかくとして。
私は過去に重大な失敗を犯した不出来な兵士――底辺の狗で、
問答無用でそれに仕えるしかない刀剣たちは不憫な存在、というのは第三者から見ればごくごく自然な認識だ。
特に表の刀剣――歴史に名を遺した名刀たちが、と思えばなおさらに同情を買うことだろう。
…ただ、東郷殿がそんな同情であのセリフを選んだとは思えないが……。
「…………お心遣い感謝します…」
「なァに、気にすんな――てめェのためじゃねェからなァ」
ニヤニヤと笑いながら言う東郷殿――だが、ある種これは「気遣い」と言えた。
我々にとって、狗は本当に――底辺、だ。一族に害をなした逆賊、愚者なのだから。
そんな狗に褒美、なんてものが与えられることはない。
本来であれば、休息すら与えられず、使い捨てる感覚で酷使するモノ――だから。
故にそんな狗を労う義理はない――が、
歴史の流れを守る刀剣たちであれば、同じ役目を負うモノとして彼らを労うことは道理が通る。
道理が通っているのだから、遠慮なんてせず好きに楽しめ――そんな意図が、おそらく東郷殿にはあるんだろう。
なんともありがたい東郷殿の心遣いに、
また少しの申し訳なさを感じている――と、東郷殿が「用意は?」と無頼に問いかける。
するとそれを受けた無頼は、躊躇することなく「さぁ?」と首をかしげる。
一瞬、微妙な空気が流れた――が、不意に「できていますよ」と冷静な声が上がった。
「冬梅ノ間だそうです」
「へ?冬梅?ぇえウソぉ、そんなにいるの?あの屋敷に??」
「…アレ――だろう。忘れたか?私たちも現世にいた時はそうだったろう」
「…あ、ぁあ〜、アレかぁ〜。そっかーそうだよねぇ〜…
全員に部屋与えてたらとんでもないことになるもんねぇ――…今のウチみたいに」
「…かといって、アレに戻りたいとは思わんがな」
「だねぇ〜。アレ、すごーく経済的とは思うけど――犬か鳩かにでもなった気分だもんねぇ」
「………」
旬才と白緑髪の男――の姿をした付喪神・叡閃義威が、
しみじみといった様子で話しているのは、おそらく刀剣の「部屋」のことだろう。
私たちの本丸は現世でも、妖世界でもない――獣神の力によって構築された異空間に存在している。
なので、拠点となっている屋敷は「本物」の木材を使って建てられているわけではないため、
そういった資源うんぬんのコストを考える必要はない――が、
屋敷を広くすれば、それを維持するための気力が必要になる。
いわゆるところの「本丸」が、少数しか存在していなければ、
屋敷を広くしてもさして問題ないんだろうが――数百も、となるとその維持のために必要なコストの削減は必須だろう。
…獣神はあくまで構築しているだけで、その維持に必要な代償は、その神子が命を削って捻出しているのだから。
――そうした理由から、みんなの私室というのは、本丸の「中」には設置されていない。
しかしだからといってプライベートな空間が用意されていないわけではなく、彼らの本体を触媒にその「中」に私室は構築されている。
そして、その「中」に入るための場というのが、刀掛けが整然と並ぶ通称・刀剣部屋で――
――…経済的だが、風情の「ふ」の字もない無機質な部屋ではあった。
旬才の「犬か鳩」という発言になんとなしモヤモヤとしたものを覚えていると、不意に横から「行くぞ」と声がかかる。
反射的に声が聞こえた方へ顔を向ければ、そこにはすでに歩き出している無頼の後ろ姿。
瞬間、迷子の二文字が脳裏をよぎり、慌てて東郷殿たちに「では、失礼します!」と頭を下げ、
開けたままの障子戸を閉めて、すぐに薬研と共に無頼の後を追った。
武神様が宴を開いた場所――は、妖世界にある享楽の殿堂・幽雅亭。
設備も、接客も、料理も、見世物も、客に提供される全てが洗練されており、そのクオリティは妖世界随一、と言われている。
それだけのクオリティを、無理なく維持できているのは――この幽雅亭に勤めている従業員の多くが付喪神だから、なのだろう。
付喪神とは、百年を超える歳月をかけて物に宿った人の思いによって、物が魂を持ったモノのこと。
妖、妖怪と聞くと「悪いモノ」と思ってしまいがちだが、宿った思いが感謝や愛情といった所謂「正の感情」であれば、
それから生まれた付喪神は温和で友好的な性質を持ち、人に害をなさない善い妖となる。
そしてこのタイプの付喪神は人に尽くすことを好む性質があり、その性質に遊郭で生きた持ち主たちの影響が加わった結果――
――生まれながらに高い接客能力を持つ付喪神が生まれ、それを活かした働き口として遊興屋敷・幽雅亭が興った――んだそうな。
遊郭――から、それにかかわる芸能の家、そして商人の家をはじまりとする付喪神を多く抱える幽雅亭だが、
無頼のように任侠集団――裏の武力組織をはじまりとする付喪神たちも多く在籍する。
これは江戸崎家と華雅屋家がその歴史を共に歩んだことに起因する――が故に、幽雅亭の勢力も、それに準じたモノとなり――
――現在、妖世界において幽雅亭は、武力と財力を兼ね備える一つの巨大勢力として数えられ、
その存在を無条件で考慮される特異な存在となっている――そうだ。
そして、そんな幽雅亭を取り仕切っているのが――
「久しいですね、」
冬梅ノ間へ向かっていた私たちの前に現れたのは、
白の柄が入った黒の着物をまとう濃い松葉色の髪を持つ男性――の姿をした刀剣の付喪神・番頭守乙久。
穏やかな笑みを薄く浮かべ、番頭守は私との再会を喜んでくれている――ようだが、
どうしても私の顔に浮かんでしまうのは苦笑い。狗には過ぎた歓迎だ――と。
「…いいのか?幽雅亭の番頭がそういう態度で」
「…そうですね、あなたがただの狗で、この宴が検非違使主催の物なら――許されるものではありませんね」
ふふ、といたずらっ子の様な笑みをわずかに浮かべ言う番頭守――だが、
残念ながら私には彼の言わんとしていることがわからない。
狗――であると同時に、私は心皇の退魔士で、審神者である。
――が、それは宴の主催がどこの誰であろうと強みにはならない。
どんな強みがあったとしても、それを凌駕するのが「狗」という絶対的汚名――だというのに、それを覆す強みとは一体??
番頭守の言葉を裏を読み切れず、思わず首をかしげる――と、番頭守が「おやおや」と言って困ったような苦笑いを浮かべる。
…苦笑いするほどに彼にとっては簡単な事――なのに通じない話。
恥も外聞もなく「えーと…?」と解説を求めると、番頭守は苦笑いを浮かべたまま「なんでしょうねぇ…」と切り出した。
「…気にしている私たちがアホなんでしょうか……」
「はぁ?!何言ってんだよ兄ぃ!仮にオレらがバカのアホでも――兄ぃがアホとかぜってーねぇから!!
つかアホなのは兄ぃの気遣いに気付かねぇコイツだろ!!?」
「あー…それは私もそう思う…」
「………、簡単に自分を貶めてはいけません。
あなたはもう部下を従える一団の長――あなたが受けた不名誉は、部下も共に被ることを自覚なさい」
「……はい」
静かだが少し重いプレッシャーをまとい、番頭守は私に注意の言葉を向ける。
怒りはなく、呆れもない――が、無感情に叱責しているわけでもない。
組織をまとめ率いる長の先輩として、当然のことをしているだけ――そんな感じだろうか。
ありがたい先達の叱責を胸に刻んだ――が、話の論点ずれてる。
「番頭守…?」
「はい?」
「…結局なんなんだ…?」
「……………」
もう一度、番頭守にワケを問う――と、番頭守は何とも言えない表情で小さなため息を吐いたあと、
呆れと不安の混じる表情を浮かべて私――ではなく、私の肩の上にいる白の子鼠・薩摩を指さした。
あ。
「ぁあ…そうか……、…ぁ……ぁぁあぁ…?!」
「………安心なさい。まずは――です」
「……そ、れは……ゆ、許しを得ている……と…?!」
「ええ」
「な…なら…いいんだが……」
番頭守の言葉に安心する――が、その次の瞬間に湧き上がってくるのは自分のアホさ加減に対する苛立ち。
畏れを抱いておきながら、それに対する礼を欠くとはどういうことか。
慌てていた、場の流れに流された――などは言い訳にならない。
この「礼」はなにがあろうと起ころうと――絶対的に最優先とされる事項なのだから。…本来なら。
自分に対する苛立ちが頭痛に変わり、鈍い痛みを抱えながら――
――番頭守に案内される形で宴の会場となる冬梅ノ間へと足を踏み入れる。
すると百畳近くはありそうな冬梅ノ間には、
綺麗に盛り付けられた料理が並べられた膳が四列に配置され、なんとも壮観な光景が広がっていた。
さすが――と内心で苦笑いしつつ、自分の肩の上にいる薩摩――
――を通して本丸でこの光景を見ているだろうみんなに「参加は自由だよ」と声をかける。
そう私が言い終わると、薩摩は足早に私の肩から飛び降り――広間の一番後ろに光のゲートを出現させる。
あれは薩摩が持つ空間転移能力を利用した――
「次郎さんいっちばん乗りー!」
「ボク2ばーん!」
ワイワイと、光のゲートから出てくるのは楽しげな刀剣たち。
次郎に乱、そのあとに続いて陸奥、秋田――からの粟田口派がやってきて、
そこから無邪気な短刀や脇差たちに手を引かれる形で打刀や太刀が微妙な表情をしながらもやってくる。
それ以外にも、仲のいい者とつるんでやってくる者もいて――本丸にいる刀剣の半数以上は既にこちらへ来ているように思えた。
滞ることなく広間へやってくるみんなを、いつの間にやら増員された仲居たちと共に席へ案内している番頭守。
彼らの案内によって、空席だった膳がどんどんと埋まっていく。
そうして徐々に人の活気で賑わっていく冬梅ノ間を見ていると――
「(…これからの食費、どう捻出しよう………)」
――なんて、非常に所帯じみているが、
今後のみんなとの関係すら揺るがしかねない大問題が頭に浮かんだ。
…一応、台所を仕切っている光忠には節約を頼んではいるが――…いかにしても数の問題だけは覆すことができなくて。
活動に必要な気力の大部分を審神者から得ている刀剣男士にとって、
食事から得るエネルギーというのは絶対的に必要なエネルギーではない。
しかし食事というのは、仲間とのコミュニケーションや、精神的な活力を手軽にとることができる手段なわけで。
戦いの場にいる上、娯楽の少ない環境下、この「過酷」な環境に身を置くみんなから楽しみの一つだろう食事を奪う――
――なんて非道、というか非情にはなりきれず、今まで蓄えてきた貯金を崩してやりくりしている今日だが……、
…たぶんまだ刀剣は増える――のに、蓄えは減る一方……、…破産の道しか見えないんだが?
「……なんですか、その顔は…」
「ぁ……ぁあ…、うん…。その……こ、れだけの人数の料理を用意するのは大変…だったろうなぁ……と…」
「………質は違えど、それを毎日三度無償で行っているそちらの方が『大変』かと」
「…………」
幽雅亭に勤める付喪神たちを束ね、彼らの力を借りて幽雅亭を運営する番頭守。
長らく幽雅亭の番頭を勤める中で人を見る目、他者の心の機微を察する能力を得た――わけじゃない。
これは初めから番頭守に備わっていたモノ――多くの一族をまとめ、従えた歴代の江戸崎当主の傍にあったことで得た能力。
そして、その能力が実際の経験によって更に磨かれていった結果、番頭守は恐ろしいまでの察しの良さを習得し――
――…こうして、ちょっとした言葉の節々から相手の色々を察する――生半可な嘘は一切通用しない存在になったのだという。
…要するに、私の考えていることはおよそ筒抜けなんだろう――という話だ。
無言で注がれている番頭守の視線が重い…。
責められている、怒られている――わけではないが、呆れられている気はする。
…東郷殿もそうだが………この人たちは人情味に…溢れすぎではないだろうか……。
…いやうん。組織の上に立つ存在として、それは不要のモノ――とは思っていないが、
大きな組織の上ほど非情になる必要がある――…以前に過ぎたるはうんたらだし……。
いやいやいや…彼らから見れば、ついさっき誰かの上に立つ立場になったばかりの私があれこれ思うのは、
生意気を通り越して天に唾吐くようなものかもしれないが………が…。
返す言葉が見つからず、番頭守の視線を受けながら無言を貫いている――と、不意に横からため息が聞こえる。
反射的にそれの聞こえた方へ視線を向ければ、そこには少し呆れた表情をした薬研。
…なぜ薬研が私に対して呆れているのかがわからず、
思わず「ん?」と疑問の声が漏れる――と、薬研は苦笑いして「ほら」と言って前を指さした。
「ー!薬研ー!早く〜!」
「早く席につけって。お前が席につかにゃ、俺たちがいつまで経っても飲めねぇだろーが」
「……日本号…」
「ほれっ、みんな待っちゅう!すっと席につけ!」
いつの間にやらこちらに来たみんなは着席済み――残っているのは薬研と私だけ。
…昔なら、「私に構わず――」なんて的外れなことを言ったかもしれないが、今は主としての自覚がある――から、
私を待つ刀剣たちに「ああ」と答え、薬研に着席を促してから、
ぽっかりと空いているここから見て最奥――その中央に配置された膳へと向かった。
所謂ところの上座に落ち着き、前を一望すれば、とりあえず全員がこっちを見ている。
その目に、顔に宿る感情はまぁ様々だが、悪意のあるものはなく、そのほとんどが――
「――それじゃあ、かんぱーい」
「「「かんぱーいっ!」」」
――早く、と言いたげだったので、挨拶もなしに乾杯と相成った。
…これが新年のうんぬんやら、何か祝い事の宴やらだったなら、
短くとも挨拶をはさむところだが、ただのお呼ばれ宴会にわざわざな挨拶は不要だろう。
…仮に、もし挨拶が必要があったのであれば、それは私かれではなく、この宴の大本の主催者からの、だろう。
…しかし、主催者が直々に挨拶に来た時には――…正直、平安生まれの刀剣以外は全員蒸発してしまう可能性が…。
……まぁ、会いに来てくれた――のであれば、こちらの程度に合わせてくれている……かもしれないが…。
大事な仲間たちを守るためにも――と、この宴の主催者への挨拶へ向かうために立ち上が――ろうとするより先に、
オレンジジュースのビンとコップを手にした乱が「お酌してあげるー!」と言ってやってくる。
楽しげな乱の厚意を無下にするわけにはいかず、笑って「ありがとう」と礼を言い、
コップにジュースを注いでもらって――乱と2人で乾杯する。
そしてそれに満足して乱は席に戻る――かと思いきや、そのまま「すごいね」と話し出した。
「妖怪の世界にこんな素敵なトコロがあるなんてビックリしちゃった」
「あー…なにかおどろおどしい場所を想像してたのか?」
「うんっ。だって妖怪の世界って言われたら身構えちゃうよー」
「はは、だろうなぁ――…でも、人間の世界よか、こっちは『平和』だよ」
「え?」
現世よりも平和――と言った私に、乱が目を丸くする。だがその反応は当然だ。
悪行を働く妖たちが住まう闇の世界である妖世界が、
他を思いやる心を持った人間が生きる光の世界たる現世よりも平和――なんて、普通に考えればありえない。
だが、よーく考えるとそれはありえる話だった。
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