「荒くれ者の妖は、力を得るために現世に向かう――結果、妖世界には力のない妖や、温和な妖が残る。
…もちろん、一切問題が起きないわけじゃないが、人の世と比べたらずっと少ないよ」
多くの妖の力の源となるのは、人間の感情。
怒りや悲しみ、そして恐れといった負の感情はもちろんのこと、喜びや愛といった正の感情からも、妖たちは力を得ることができる。
…ただ、妖の多くが人の負の感情が蓄積した末に生まれた存在であるため、
負の感情との親和性が高いこと、そしてそれが最も容易な手段であることから、
人間を苦しめることで負の感情を煽り、そこから力を得る者がほとんどだ。
――しかし、だからこそ妖世界は人の世よりもずっと平和だった。
人間を苦しめることが、最も簡単に力を得られる手段であるなら、人間のいない妖の世界で力を得ることは困難――となる。
そうなると、力を欲する荒くれ妖が、力を求めて人の世に降りるのは――いっそ道理とさえ言える。
現世には妖にとっての天敵――死神ともいえる退魔士がいる。
だが多くの妖は、現世で力を得られれば――と根拠のない希望を抱き、死にまみれる人の世に降りる。
…退魔士である私から言わせれば「無謀」の一言――
――…だが、妖世界の「警察」のことを考えると、「まだ無謀じゃないのか」とも思えた。
「……幹部に限っては、検非違使以上の可能性もあるからなぁ……」
「検非違使…以上…?!」
ふと出てきた独り言――ただ思ったことを言っただけだったのだが、冷静に考えるとその内容は物騒この上ない。
そしてそれをありありと物語るのは、コップを両手で抱えて怯えた表情をしている乱の姿――
――…ああ、うん。検非違使だけでも大変だっていうのに、それ以上の敵が――なんてなったら不安にもなるだろう。
…ただ、それは絶対にありえないので、乱が不安を感じる必要はまったくない。
「大丈夫、大丈夫。妖世界の『警察』が検非違使以上の――って話だよ」
「…妖世界の……警察…?」
「俗称、だけれどね。一応、当人たちは『自警団』と名乗ってるんだが、
心皇に関わる刀剣が起ち上げた集団だから、なにかと心皇の意を受けて働く事も多くて――
――気づいたら警察みたいな扱いになってたらしい」
「…じゃあ、ボクたちが妖世界で悪いことをしなければ……」
「ああ、なにもしてこないよ。…というか、会うことすらな――」
「――いこともない」
「「!!?」」
会うことすらないだろう――と言うはずだった私のセリフを奪ったのは、
黒のつなぎを着た周防色の髪の少年――の姿をした付喪神・火虎ノ爪。
音も気配もなく、私と乱の間に現れた火虎にぎょっとしている――と、不意に上から「ヤダもーこの忍刀〜」という声が聞こえた。
なんとも聞き覚えのある声に、半ば反射で「旬才、帰っていいぞー」と返す。
するとやっぱり上から「うわっ、ヒド!」と声が上がる――が、途中で冷静になったのか、
上――屋根裏に潜む旬才だろう気配はこれ以上こちらに近づいてくることなく、最終的に音もなく遠ざかり、そのまま消失した。
「…しかしまぁ……どうして屋根裏から……」
忍という職に適した刀――俗にいうところの忍者刀と呼ばれる刀である火虎。
しかしだからといって、常日頃から忍のように屋根裏を使わなければならない――なんて奇天烈な縛りも、体質でもないはず。
なのに、何故わざわざ屋根裏を通って来たのか――と、尋ねれば、火虎の回答は非常にシンプルかつ、合理的だった。
「…真面目に歩くと遠い」
「あー…」
なんとなし、火虎の答えに合点がいく。
いくつもの宴会場を抱える広い広い幽雅亭を真面目に――廊下を歩いて移動するとなると、
おそらく屋敷の構造上の問題で遠回りをしなければならない箇所があるんだろう。
しかし、屋根裏を通ればその遠回りを回避できる――というのであれば、屋根裏からの登場は合理的だろう。
…ただ、屋根裏での活動に慣れているだろう火虎のようなやつ限定ではあるだろうけれど…。
「……ん?それで火虎は結局なにしに来たんだ?」
「ん…頭領に頼まれての様子見に来た――ついでに知り合い探し」
「…………ん?んん?火虎の――知り合い??」
「そ」
頭領に頼まれて私の様子を見に来た――という火虎の話は分かる。
それは、とりあえずわかる――が、火虎が知り合いを探しに来た、というのがわからなかった。
火虎に限ったこと――ではないが、江戸崎と華雅屋、およびその傘下にある一族に関わるモノの多くは、
如何に優れていようとも、表の世界に名を残していない。
だがそれは、持ち主が歴史に名を残していない――そもそもそれを避けているのだから当然のこと。
歴史に名を残さぬよう、歴史に名を残すだろう人間との関わりを極力避ける傾向にある人間が使った武器――に、
歴史に名を残した刀剣の知り合いがいるとは、一体どういう道理か。
…一部、美術品として表の世界でも名を馳せた立風派の刀剣ならわかるが、
火虎は影の刀工一族の長たる北上派の一振り――な上に、付喪神として目覚めるまではその所在が心皇にあったといういわく付き。
特異なモノが並ぶ心皇においても、その存在を「特異」とされた火虎の知り合いがうちの本丸にいるはず――
「あ、いた」
「?!」
いた――知り合いを発見したという火虎の声を聞き、慌てて火虎が視線を向ける方向へ顔を向ける。
そこには驚いた表情を見せている者がほとんどだが――一人だけ、嬉しそうな顔をしている刀剣がいる。
「え、なんで?」と驚きと疑問に頭の中を支配される――中、問題の人物が立ち上がる。
そして少しも戸惑った様子も見せずに――
「やぁ火虎」
「ん、久しぶり――燭切」
笑顔で私たち――厳密には火虎の元へやってきたのは光忠。
光忠といえば、伊達家に所縁のある刀剣の一振り――と思い出して、
ポカリと空いた席の周囲、同じく伊達家に伝わる刀剣である太鼓鐘や大倶利伽羅、そして鶴丸を見る――が、
彼らは火虎との面識がないのか「わけわからん」と言いたげな表情を浮かべている。
――ということは、彼らが伊達家に伝来するその前に、火虎は伊達家を離れた…のか??
「ぇえ……と…?」
「……そんなに僕が火虎と知り合いなのが不思議かい?」
「ぁ…ああ……一応、ないのが普通……の業界というか世界というか……だから…なぁ…?」
「ん…、確かにそれが普通――…でも、例外もいる」
「……じゃあ本当に火虎は伊達家にいた、のか…?」
「…厳密には、主が伊達の忍だっただけ――火虎が、伊達の刀だったわけじゃない」
「ぁ…ああ…なるほど………、……ん…?伊達家に潜入していた忍……の?」
北上派の刀剣が、忍に帯刀され、歴史に名を遺す名家に関わっていた――その可能性は十二分に考えられる。
江戸崎が忍の一族である朧谷家を要しているのだから、それは珍しい話ではない――…とは思うが、
もしそういう「関係」であるのなら、光忠が火虎に対して友好的なのはおかしかった。
確かに光忠は人格者だが、さすがに裏切り者にまで気を使うだろうか?
数百年前の話と、仮に過去の悶着を水に流したとしても、一切の戸惑いや困惑を見せないのは――さすがに不自然すぎる。
…であれば、光忠の火虎に対する笑みは、好感は嘘のない純粋な物――なら、主たちの関係に合点がいかないわけで。
「…主は、朧の忍じゃない…。
色々、諜報の仕事請け負ってるうちに『伊達の忍』って言われるようになっただけ…」
「………でも、コッチの人間……なんだろう?」
「未来の主は、ね」
「……なにか、機密に触れる…のか?」
「…言うな、とは言われてる」
落ち着いた様子で言う火虎に、これ以上の詮索はやぶへびだと理解する。
火虎の元主はかなりイレギュラーな存在で、その背後には大きな力が関与している――
――…でなければ、裏切り者の武器が現存することはおよそ不可能。
…おそらく、火虎の元主は綺羅の元主のような存在――だったのだろう。
血の繋がりよりも、心の繋がりを尊んだ気高い狗のような――。
「――失礼するよ」
私の思考を遮ったのは男の声。反射的に、声の聞こえた方向へ視線を向ければ、
そこには開かれた障子戸から広間へと足を踏み入れる黒のつなぎを着た紺瑠璃の髪の男――の姿をした付喪神の姿。
ああ、確か彼は――
「…火虎、少しは遠慮しろよ……」
「………幽雅亭に遠慮は無用」
「いやいやいやいや…」
火虎に注意の言葉を向けたのは、火虎の対である――氷虎ノ牙。
分類としては脇差だが、そのサイズは打刀に近い大脇差と呼ばれる大きさを持つため、その人形も対である兄の火虎よりも大きい。
そう、火虎と氷虎は二刀一対の双子の兄弟。二振りで真価を発揮する刀なのだから――
「まぁまぁ、大目に見てあげてよ」
「………燭切、か…。
ぅうん……火虎の気持ちはわかるけど…身内だからって、迷惑かけていいわけじゃないから…なぁ……」
――やはり、氷虎も光忠と面識…というのか、知らない仲ではないらしい。
だからこそ、火虎の光忠に会いたかった気持ちも理解している――のだろうが、
だからといって「天井裏を通る」という妖世界といえど非常識な行動を、「仕方ない」と許容できないらしい。
…うん、まぁ…氷虎の言い分が正しいとは思うよ…。
確かに幽雅亭と千刃衆は近しい関係にあるけれど、親しき仲にも礼儀あり――とは言うし…。
火虎の行動をどう処断したものか――と、内心で苦笑いしていると、騒ぎを聞きつけたらしい番頭守が静かにこちらへやってくる。
その様子に怒りを秘めている様子はない――が、そういったモノを隠すのが上手い番頭守だけに、怒っていないとは限らない。
一見、温和な印象を受ける番頭守だが、組織を運営、維持するために非情な決定を下すこともある。
もし、火虎の行動が幽雅亭にとって害となるものだった――と、番頭守が判断したなら――…。
「火虎くん、今日のところは構いませんが――普段は、やめてくださいね」
「ん…わかった」
「――では、火虎くんたちの席を用意させますね」
「んん…ここでいい」
「……いや火虎、そこは嬢の席だろ?そこに俺たちが陣取るのは……」
「が帰ってくるまでは」
「……………ええと?」
「…ぇ…、………あ、…そうか。そうだ、そうだった――ぅおぉ…危うく忘れるところだったぁ…!」
「……、あなたのそれは…いつかきちんと直してくださいね…」
火虎の言葉を受けた氷虎から投げかけられた問いかけに、完全に頭からすっぽ抜けていた自分の「仕事」を思い出す。
最重要と言っても過言ではないコトなのに、挙句慌ただしい状況でもなかったというのに綺麗さっぱり忘れた私に、
番頭守と氷虎はなんとも微妙な苦笑いを浮かべる――が、呆れられていないからよかった。
これは呆れられても――いや、怒られても仕方ないレベルのミス、だからなぁ…。
改めて自分の間抜けというのかアホというのか、
なんとも未熟な部分に呆れと胸具合の悪さを覚えた――が、それを振り払って席から立ち上がる。
そんな私に乱が少し不安げに「どこ行くの…?」と尋ねてくるので、
心配無用だと笑って「主催に挨拶に行くだけだよ」と答えると、乱の表情から不安の色が消え、「そっか」と言って私を送り出してくれた。
乱の見送りを受け、改めて私は主催者へ挨拶をするために冬梅ノ間を出――
――ようと、一歩踏み出したところで、火虎が「待った」と制止をかける。
まさか呼び止められるとは思っていなくて、きょとんとしたまま火虎に「どうした?」とわけを問うと、火虎は平然とした表情で――
「手ぶらでいいの?」
――と、今更言われてもどうすることもできないことを言った。
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