ブルースが引くソリに乗り空を駆るぬいゾリごっこはとても爽快で楽しかった――
――がしかし、やはりドラゴンの背に勝る興奮はない。
既に何度か経験しているのにもかかわらず、堪えきれない笑みが漏れ、興奮に声を上げたい衝動に駆られてしまう。
なんなんだろうなーでも最高に楽しいなぁ――…ぁあ…この時間が、どうしても長く続かないのが…ちょっとだけ、悲しい…。
…とはいえさすがに個人のワガママでドラゴンを飛ばせるのはマズイよねぇ――…一般人の精神衛生的に。
「……ジェダとネフはまだダメなの?」
「…お前、何気に喧嘩売ってる自覚あるか?」
「ネフっ、あなたたちの騎乗が許されないのは――」
「…ちげーよアネキ。オレがカチンときたのは、コイツが俺たちの飛行速度をなめたからだ」
精霊の里――その奥にある、かつて賢者が住まいとした庵――
――今は精霊の長一家が暮らす家の前に無事到着した――ものの、
もう少しの間ドラゴンの背を楽しんでいたかった――という思いが溢れて、
到着してから未だドラゴン形態のままのリュビさんを撫でながら、
おそらくリュビさんよりも飛行速度が遅いだろうジェダとネフラに騎乗の可否について話題を振れば、
リュビさんが抱え飛んでいた籠の縁に小ワイバーンの姿で留まっていたネフラが、私の思惑を侮りと感じて険を出し――
――しかしネフラの不満を自身の不出来を棚に上げた身勝手なモノだと思ったらしいリュビさんは、
伏せていた頭を僅かに持ち上げネフラに注意の言葉を向ける――も、
それに対しネフラは尤もな答えを返した――ら、
「え?でも…それは体躯の問題だから………」
――リュビさんの口から出たのは素直な疑問だった。
「ハッ、なんだリュビ、お前しっかりドラゴン脳じゃないか」
「はえ?!」
愉しげに笑い、リュビさんの判断をドラゴンの思考だと言うのはブルース。
リュビさんの言い分、体格差から生じる飛行速度の差はしようがない要素――という理屈は尤も。
それは生まれた時に決定づけられた「差」である以上、簡単に埋めることも、覆すこともできない――
――特に歳を重ねることで成る肉体の成熟は、時間でしか解決できない「差」だ。
だから現状、ジェダとネフラの飛行速度がリュビさんよりも遅いのは、どうしようもない仕方のないこと――
――なのだが、事実を素直に受け入れられるのは、彼女と同等に賢いドラゴンだけ――なわけで。
「ドラゴン脳――か、…言い得て妙だな」
「…――ドラゴンと精霊に優越をつける気はねーけど――……その納得は自虐だろ」
「ぇ、あのっ…二人とも…?!」
「……今更、特別どーとも思わねーよ。大体――」
「母さんの方が開けっ広げですから」
「…」
平然――通り越して無表情で「今更」を言う双子の弟たちを前に、リュビさんはなんとも言えない苦しげな表情で押し黙る。
…おそらく、「今更」というのはリュビさんであって覚えのある言葉――
――故に、二人の覚えた感情を思いリュビさんは表情を歪めているのだろう。
…家族であってもコレじゃあ、歯に衣を着せず多種族と分かりあうなんて、ドラゴンには夢物語なんだろうなぁ――
「(…賢さが故に臆病になってしまった――とも、思えるけど――)」
「〜〜!!!」
「オゴふ!?」
改めてドラゴンという存在の難しさについて思っている――
――と不意に、言葉では言い表せないトンでもない衝撃が私の背後を襲う。
しかし、その覚えのある衝撃に、脳裏を駆け抜けるのは――死の予感。
悪寒を覚える――間もなく、全てを圧迫する力の強さによって全身にねじ込まれるのは苦痛。
その苦しさに、痛みに声を上げる――事さえままならず、その恐怖と混乱に意識が途切れる――間際、
「母様ッ!!お嬢様が潰れますー!!」
「あ」
一瞬にして消失した圧力に、抑えつけられていた呼吸と血流の機能が解放され――また、体が機能不全を起こす。
慌てて酸素を求めたが故にむせ、滞った末端の血流を正さんとしたがために上がった血圧に眩暈を覚え――
――苦痛の多さにオーバーヒートした脳は一瞬、その機能を停止した。
「??大丈夫??」
全身から力が抜けてしまった私――を、後ろから優しく抱きかかえてくれるのは、
リュビさんたちの母親である――真龍・エトワールさん。
心配そうに私の名を呼び、安否を確かめてくるエトさんを前に「大丈夫」と答える――のだけれど、それは心の中の話で、
「…想定……して、なかった――…わけ、では、…なかったんだけど……さあぁ…」
理性が一部麻痺した脳味噌では本音を圧し留めることが叶わず、
しようのない愚痴が引きつった笑みと共に漏漏れ出てしまった。
想定は、していた――エトさんが、ドラゴンの調子で抱き着いて来て、また死ぬ目を見るのでは、と。
…だというのに、リュビさんの背に乗り空を駆けた興奮で、用心すべきことを忘れてしまい――…この、惨状である。
…かつて、彼のドラゴンを義理の娘として迎え入れた神森の大賢者は――
――…トンでもない放任主義者だったんですかね…。
「…もしくはルーファス様――…実は結構な武闘派だったんです…?」
「――? お父様?お父様が……武闘派??」
顔を真上に向け、エトさんの顔を見ながら頭に過った仮説を吐き出した――
――ら、エトさんはきょとんとした表情で首をかしげた。
…この反応を見るに、彼の大賢者は武闘派ではなかったようだ――が、だとしたらよく死ななかったね?
賢梟ノ神が常時警戒していたにしても、今より遥かに力の弱い幼ドラゴンのパワーだったにしても――
――丸腰の人間の体に、不意にドラゴンの力をぶち込まれたら死ぬと思うんだ。さすがに。
「――やっぱり、人間がいる間は制限が必要だ――な?」
そう言って、エトさんの肩に留まったのはスノーホワイトの小鳥。
見覚えのない姿――だが聞き覚えのある声に「ん?」と思っていると、
不意にリボンのような光の帯がエトさんの首にシュルリと巻き付き、
瞬き一つの内に、それはチョーカーとおもしきアクセサリーへと変わり――
「っ――ぅおわ重い!!」
「重くない!!」
急に引力が甦ったと思ったらガクン!と視界が下がり――
――驚いた勢いで「重い」という言葉に対して「重くない」と吠えてしまったけれど――重くない、わけがない。
私の体重が、性別的に、年齢的に、身長的に平均値であったとしても――
――人間の女性が抱きかかえ続けるには、重くない、わけがなかった。
「ネージュさん?!なにしてるんですかっ!?」
「ぁあ悪い悪い、怖い思いをさせたな」
「そーじゃなくて?!怪我するかもだったってハナシですよ!」
「おいおい見縊られたもんだな――…このオレが、そんなヘマするワケないだろ?」
エトさんの腕力を奪った――もとい、その力を人間の程度に応じた出力に抑えるのだろう
魔法具を、エトさんに装着したのは、スノーホワイトの小鳥――の姿をとった精霊・ネージュさん。
もしかすれば私も、エトさんも怪我をするかもしれないタイミングでの能力制限の実行に、
思わず「危ない」と苦言を投げると、返ってきたのは挑発するような台詞――と、若干疲れたような表情で、
「……ウン十年、エトのフォローをしてたオレだぞ?」
「………ぅん?」
「そうそう――賢者印の制御装置ができるまでは、ネージュが私の制御装置だったのよねー」
「…エトの学生時代は………毎日生きた心地がしなかったぜぇ…」
彼方を見つめ、疲れ切った表情でいつかを語るネージュさんの姿に――
…思わず、なにか同情のようなものを覚えてしまう。
…神秘に最も近い精霊とはいえ、ドラゴンの制御役って…ねぇ………。
…それも、当人が加減もわからなければ、力のコントロールもままならなかっただろう時代に任されていたとなると……
…その精神的疲労は、それはそれは多大だったことでしょう……。
「――人間の骨の一つや二つ、大した問題ではないだろうになぁ?」
「っ――お前がそんなだからっ、オレの基幹は穴が開いたんだよッ…!!」
「……おかげでブレシド様の神気を頂けたんだ――怪我の功名じゃないか」
「おまぁ……!!!」
アレな言い分と共に姿を現したモスグリーンの小鳥――の姿をとった精霊・ヴァインさん――
――の胸倉(?)を掴み、ネージュさんは恨むように唸りながらヴァインさんをガクガクと揺する。
…その小鳥が小鳥につかみかかっているという絵面は、なんともコミカルで愛らしい――
…のだけれど、話の内容がなんとも判断し難い価値観だけに……笑えないわー…。
|