マーキャ地方は最東端にある多くのドラゴンポケモンが暮らす町――コキアケタウン。
そのコキアケタウンの更に奥にあるのが、マーキャ地方の中で最も尊ばれる場所――竜王の塒だ。
マーキャ地方を守る竜王――伝説のポケモンが眠っている場所とされており、
その場所に近づくことが許されているのは、コキアケ周辺に暮らすポケモンたちと、許可を受けたドラゴン使いだけ。誰も彼もが近づくことを許されない竜王の塒。
その中でも、誰も近づくことを許されない場所があった。
一般的に、竜王の塒はコキアケの奥にある湖とその周辺を総じてそう呼ぶのだが、
実際の竜王の塒というのは、湖の中央にある小島のことを呼ぶ。
そう、どんなポケモンも、どんな人間も立ち入ることを許されてはいない場所というのは――その小島だった。
何者も立ち入ってならない場所――だが、例外というものもある。
だがそれは、だいぶ限定的な例外で、
いずれにしても普通のポケモン、普通の人間にはまったく関係のない――例外だった。
「べぷっ!」
バシャーン!と派手な音を立てて湖に落ちたのは――
エモシオンのテレポートによって、クガネシティから一気にマーキャの最東端までやってきたアルト。
本来であれば、クガネシティからコキアケタウンまでには数日かかるところを、
エモシオンのおかげでまさしく一瞬で目的地へついたわけだが――
水難の相がでているのではないかと錯覚してしまうぐらい、またしてもずぶぬれになってしまった。…まぁ、潮男によって海水を浴びせられたとおもったら――のずぶぬれなので、ほぼ諦めの方が勝ってしまっているが。
「エモシー…落とすにしても、前置きは欲しかったなぁ……」
『…どーして私が、アンタに気なんて使わなくちゃいけないのよ』
ザブザブと水をかきわけて陸地へとあがりながら、アルトはエモシオンに不満を漏らす。
すると、エモシオンはまったく取り付く島もないといった調子でズッパリとアルトを切り捨てる。
清々しいほどに綺麗に切り捨てられたアルトは、なぜか穏やかな笑みを浮かべると――「ふふふ…」と笑い出した。
何の前触れもなく、「ふふふ…」と笑うアルト。
そのあまりの気味の悪さに、さすがのエモシオンもアルトの変化を無視するわけにもいかず、
少し戸惑いながらもアルトに近づいていった。
『ちょ、ちょっと…、ど、どうしたって言うのよ…』
「ふ、ふふふ…。いや…、なに……。
ただ、ファーストに会うことを考えたら、これぐらいどうってことないな――と」
『……それは………そうかもしれないわね…』
乾いた笑みを浮かべ、エモシオンに答えるアルト。
この先の未来で待っている「事態」を既に悟っているアルトの様子に、エモシオンは急激に居た堪れない気持ちになってくる。
しかし、そこでエモシオンがアルトにしてやれることなど何一つとしてなかった。
エモシオンはエムリット――伝説のポケモンではある。
だが、これからアルトが会うことになるファーストは、大きく括ればエモシオンの上司に当たるポケモン――ディアルガだ。
そんな存在を相手取って、アルトのために意見する勇気はエモシオンにはない。これがもし、もう2人の上司――
ギラティナのエアスト、パルキアのセコンドだったなら、エモシオンも意見できたかもしれないが、
如何せん相手がファーストでは――自分の命が危険だった。
ほんの少しだけ、アルトに対して申し訳なく思いながら――エモシオンはアルトの頭に乗った。
「おっ」
『……さすがに、ずぶ濡れの状態で神の円卓にはいけないでしょ』
エモシオンがアルトの頭に乗った瞬間、すぅっとアルトの服や髪から水気が奪われていく。
エモシオンの力であろうそれによって、あっという間にアルトの服やらは乾いてしまった。
思いにもよらないエモシオンの心遣いに、アルトは一瞬は驚いた表情を見せたが、
「ありがとな」と言って無邪気に笑って感謝の気持ちを表すようにエモシオンの頭を撫でた。
それを、エモシオンはどこか不機嫌そうな表情で受けていたが、
決してアルトの手を払うこともなければ、アルトの頭から離れることもしなかった。
「さーて…――んじゃ、逝くか!」
『………悟りすぎ』
鬱蒼と木々の茂る林を抜けた先にポツンと姿を見せたのは、石で作られた巨大な門。
作られてから長い時間が経過しているようで、門にはツタが絡みついている。
しかし、雨風にさらされていたにもかかわらず、石でできた門には少しも風化した様子がなかった。
エモシオンを頭に乗せたまま、アルトは戸惑った様子もなく石の門に手をかざす。
すると、アルトの手は石の門に触れることなく――ぐにゃりと歪んだ異空間に呑まれた。
それを見たアルトは「よし」と声を上げると、
そのまま体を前へと進めていき――岩の門に生じた異空間へと入っていった。
異空間に入ったその瞬間、まぶしいと感じたが、それはほんの一瞬のことで、
その次の瞬間には、広い空間がアルトの目の前に広がっていた。
大理石の床に、大理石の柱と壁。見上げれば、天井は吹き抜けになっており、柔らかな日差しが差し込んでいる。
手入れの行き届いた床は日の光を受けてキラキラと輝き、この空間の品格を更に高いものにしているよう。この美しい空間を、土足で汚すのはためらわれるが――
それは普通の人間に限ったことのようで、アルトはまったくそれ気にした様子もなく歩を進めた。
『……来たか…』
アルトが歩を進めていくと、不意に前方から声がかかる。反射的に声の聞こえた方向へとアルトが視線を向ければ、
そこには真っ白な体を持った伝説のドラゴンポケモン――レシラムが静かに佇んでいた。
「よーっす、マタン――…………ファ、ファーストはっ…?」
気楽にレシラム――マタンに声をかけたかと思うと、
急に怯えた様子でキョロキョロとあたりを見渡しながら、
アルトはマタンにファースト――ディアルガの存在を有無を尋ねた。
完全に怯えきっているアルトの様子に、マタンは呆れたようなため息を漏らす。
だが、アルトのそれに対してマタンはなにを言うこともせずにアルトの疑問に静かに答えた。
『……ファーストなら、今はいない。主人と共にビロウドへ向かった』
「ビロウド…………え、ってか…――主人!?」
『ああ、2年前のシンオウでの騒動の中で得たらしい』
驚きの声を上げるアルトに対して、冷静にアルトの疑問に答えるマタン。
そのマタンの冷静な反応に感化されたのか、アルトの反応は一気にトーンダウンし、
最後には「ほー」というたった一言で落ち着いた。
だが、アルトのその落ち着きは長くは続かなかった。と、いうのも――
「ってことは!上手くいけばファーストと顔を合わせずにイッシュに帰れるってことだな!!」
『…………』
「よし!なら善は急げの思い立ったが吉日!レッツゴーエスケープ!!」
『……はぁ…。……落ち着けアルト、…Nが引いている』
「あ?」
マタンに落ち着けと言われ、不意に我に返ったアルト。
そのマタンの指摘に従って、マタンが指差す方を見てみれば、そこにいるのは緑の長い髪を持つ青年――N。
しかも、マタンの言うとおりにNの表情は思いっきり強張っており、
先ほどのアルトの発言やらテンションやらに強いショックを受けたようだった。
そんなNを前に、アルトは「あらー」と他人事のように適当な感想を漏らすと――トコトコとNの元へと近づいていった。
「久しぶり」
「………っ……」
特に改まった様子もなく、ごく自然な調子でNに声をかけたアルト。
しかし、色々な予想外に相当混乱しているらしいNは、
オロオロとした様子でマタンに助けを求めるかのように、アルトと彼を交互に見つめる。そんな心細げなNの姿に、マタンは心の中でため息を漏らしながらも――Nを落ち着かせるべく、優しく声をかけた。
『…安心しなさい、誰もとって食いやしない』
「……マタン?なんかそのフォローちがくない?」
『…そうか?』
「そーだろ」
至って真面目な顔で聞き返してくるマタンに、思わずアルトは苦笑いを浮かべる。
おそらく、アルトを前に怯えているNの姿を見て、安心させてやろうとしたのだろうが――
だいぶ、マタンの「安心」は方向性がずれていた。
結構、人とずれてんだよな――と、心の中で思いながら、アルトは視線をマタンからNへの戻す。
すると、やはりNはどこか怯えたような反応を見る。
そんなNを前に、アルトは苦笑いを浮かべると、少しNから距離置いてから――再度、彼に言葉をかけた。
「俺は、お前のことを嫌ってもないし、怒ってもいない。あくまで俺が怒ってたのは、ゲーチスに対してだ」
「……………」
そう、アルトが言うと、Nの表情から怯えが消え――その代わりに、悲しげなものが浮かんだ。
Nをプラズマ団の王として担ぎ上げ――自らの野望を達成するための操り人形とした男――ゲーチス。
だが、孤児であったNを保護し、ポケモンと居場所を彼に与えたゲーチスは、Nにとっては父親のような存在。
それ故に、「心のない化け物」とまで罵られたというのに――
Nにとって、ゲーチスという存在は憎みきることができない特別な存在のようだった。
――しかし、Nにとってゲーチスが特別な存在だとしても、
アルトはゲーチスを許すつもりはないし、肯定するつもりもさらさらない。アルトにとって、ゲーチスはなにがどうあっても――嫌悪の対象なのだから。
「――とはいっても、俺にゲーチス追っかけてどうこうするつもりもないけどな」
「…………それは…あの人を、許した…ということ…かい…?」
「許してはない。ただ――わざわざ労力割いてまでどうこうする気はない」
もし、ゲーチスがまた、イッシュ――とは言わず、
アルトの目の届く範囲で、私欲に満ちた野望を達成しようとしたなら、その撲滅にアルトは労力を惜しむことはない。
だが、わざわざイッシュや他の地方を駆け回ってまでゲーチスを探し出して、
警察に突き出そうとか、報いを受けさせようとかいうつもりは、アルトにはなかった。
面倒――というのがなによりだが、
ゲーチスを相手にわざわざな労力をかけるのも馬鹿らしい――という気持ちがアルトにはある。そしてもうひとつ、アルトがゲーチスを追わない理由を挙げるとすれば――
「ゲーチスを追うべきは、俺じゃなく――お前たちだからな」
Nから視線を離し、アルトはマタンに視線を向けてはっきりとそう言った。
ゲーチスを追うべきは自分ではなく、マタンとNの役目だと言ったアルト。
そのアルトの言葉にNは悲しげな表情を見せたが、
マタンはアルトの言葉を当然のことと思っているようで、平然とした様子で「ああ」とアルトの言葉を肯定する。その、ゲーチスを嫌悪しているともとれるマタンの返答に、Nは驚きと戸惑いが混じった表情でマタンを見つめた。
「レシラム…キミも……」
『N、勘違いしないでおくれ。私はイッシュを守る役目を負ったもの――
イッシュの地に混乱をもたらした者に懲罰を下すことも、また義務なのだ』
「……なら――」
『しかし、私はお前が悲しむことを望まない。
今の私にとって、優先すべきはお前の心――だから、私はお前の気持ちを尊重するよ』
そう言って、マタンは優しくNに微笑みかけた。
真実を求め、ポケモンを思う優しい心を持ったN。
そんな彼を、己が主とマタンは認め、大切な友人として好いている。
優しいが故にゲーチスを憎むことができないN――そんな彼もまた、マタンの好いたNの一面だ。
だからこそ――マタンはNの本当の気持ちを否定したくなかった。
「……ボクは――」
「誤魔化すなよ、お前の気持ちを。マタンは、それを大切にしたいんだからな」
「…ボクの……気持ち………」
まるでその言葉を確かめるように、ゆっくりと言葉をつむぐN。
それから、しばらくの沈黙の後――Nは顔をあげ、マタンに視線を向けた。
「レシラム……ボク、は…あの人を………憎めない…」
酷く申し訳なさそうにNはそうマタンに告げると、自責の念からかうつむいてしまう。
そんなNも様子に、マタンは苦笑いを浮かべると――どこか嬉しそうに「そうか」とNに言葉を返した。
『お前の、本当の気持ちが聞けて嬉しいよ』
「…レシラム……でも…」
『いいのだよ、それで。今の私にとって一番大切なのはお前だ。
伝説のポケモンとしての義務など――割とどうでもいい』
「……え?」
「マタン、どーでもはよくないだろ」
これでもかというくらいに、すっぱりと自分に課せられた義務をどうでもいいと言い切ったマタン。
思ってもみないマタンの言葉にNはポカーンと口を開け、アルトは苦笑いしながら言いすぎだとマタンに苦言を向ける。だが、どちらの反応もさして気にしていないらしいマタンの表情を変わらず平然としたものだった。
『確かに、どうでもはよくない。だが、許す寛容も必要――と、散々ニュイに言われてきたしな』
「……便利な言い訳にされてんなー、ニュイのヤツー」
「…ニュイ……?」
「ん?ああ、ゼクロムだよ、ゼクロム。
…あ、そーいえば今はニュイじゃなくて――イデアールだったっけか」
『ああ、そういえば…』
真実の世界を求め、レシラムに認められたN。
そのNの対になる形で、レシラムの対である伝説のポケモン――ゼクロムはノイという少女を自分の主と認め、
彼女からもらった名――「イデアール」という名前を、個を表す自分の名に改めていた。
あれでいて、名前や形にこだわる性分だ。
本人の前で「ニュイ」と呼んだら、エラい目にあうだろうなぁ〜…と、アルトは考えていると、
ふと頭に浮上した疑問を、自分たちの話についていけずにポカーンとしているNにぶつけた。
「…そーいや、マタ――レシラムに名前、つけてやらないのか?」
「え……名前…?」
「そうそう、お前のレシラムであることの表す――コイツだけの固有名詞だよ」
「……でも、キミはレシラムをマタンと…」
『それは、私を生み出した創造主がつけてくださった名。アルトがつけた名ではないよ』
創造主――アルセウスによってレシラムにつけられた名を、アルトがつけたものと勘違いしたらしいN。そんな彼をレシラムはおかしそうに笑う。
その横ではアルトも「俺にそんな権利ないだろー?」と、苦笑いしながら最もな意見を言った。
そんな2人を前に、おかしな勘違いをしたことを自覚したNは、
少し恥ずかしそうに2人の視線から逃れるようにうつむいた。
『この「マタン」という名も大切だが――今は、お前 からもらった名を、私も名乗りたいな』
「ぇ……?」
「つけてやれよ、名前」
「ボク、が…レシラムに、名前…を……?」
驚いた表情でレシラムを見つめるN。
ポケモンを「トモダチ」と呼んでいるNではあるが、彼らの声を聞くことができるからこそ――
彼らの名を知ることができたからこそ、ポケモンに名前をつけるという習慣がないのだろう。
じっとレシラムを見つめたかと思えば、急にキョロキョロとあたりを見渡し――たかと思えば、腕を組んで考えて込んでみたり。
マタンの新しい名をつけるために、相当頭をひねっている様子のN。
そんな彼の様子を見ていたアルトは、「微笑ましいなぁ」と笑った。
『ホント、とことん規格外ね』
「いいでないの、いいでないの、変わり者同士」
『……おい、お前だけには言われたくないのだが』
「いいでないの、いいでないの――似たもの同士ー」
『…………』
『はぁ…自覚があるから救いようがないのよアンタはッ!』
「げふっ!!」