「それじゃあね、キラ」
「はい、ありがとうございました」

 

礼を言ってペコリとキラが頭を下げると、
イブキはにこりと笑みを浮かべてカイリューとともに空の彼方へと消えていく。
それを完全に見えなくなるまでキラは見送った。
青い空と白い雲だけになってしまった空からキラは視線を外して辺りをぐるりと見渡す。
右手には大きな森。左手には大きな街。
キラの性質上、森を選択したいところだが、
土地勘のまったくないこのジョウトで、なんの下調べもなしで行動を起こすのはあまりにも危険すぎる。
それを理解しているキラは少し億劫に思いながらも、
ジョウト最大の街――コガネシティへと足を踏み入れるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

密集した家やビル。
まさに都会といった感じのコガネシティは、キラにとってあまり親しみ覚える町ではなかった。
基本、緑の多い土地――田舎暮らしが多かったキラ。
そんなキラにコガネシティに馴染めという方が無理な話。
緊張したような強張った表情を浮かべながらも、キラはポケモンセンターへ入ろうとしたが――

 

『助けてェエエェェェ―――――!!!』
「!?」

 

突如、叫び声をあげながらキラの背後にのしかかってきたなにか。
あまりにも突然すぎたこと故に、キラはなす術もなく地へと崩れ落ちていく。
幸い、重さのあるものではなかったようで、押しつぶされるようなことはなかった。
転倒したキラを心配した紺優は慌ててボールから飛び出すと、
倒れているキラの背中の上には一匹のイーブイがガタガタと震えながら縮こまっていた。
このイーブイがキラを転倒させたことは確かだが、何かに怯えながらも未だに逃げていないということは、
キラに飛びついてきたのは偶然ではなく必然だという可能性が生まれてくる。
その可能性を冷静に読み取った紺優は、落ち着いた様子でキラを起き上がらせて怪我はないかと尋ねると、
キラは未だに少し頭が混乱している様子だったが、少しの間を空けてから問題ないと紺優に告げた。

 

「……ところでこの子…」
「キラを頼ってきたように見えますが……」
『あわわわわわわ……!!』
「…紺優、癒しの鈴」

 

静かにキラが紺優に技の指示を出すと、紺優は了解の意を示すように頭を下げると、
手の上に小さな氷のベルを作り出し、それを軽く振った。
可愛らしくも澄んだ鈴の音が響き渡ると、ずっとキラの背の上でビクビクしているイーブイの表情に変化が現れる。
恐怖一色染まっていた表情が徐々に落ち着いたものに変化していく。
イーブイが落ち着きを取り戻したことを気配で感じ取ったキラは、
ひょいと自分の背中からイーブイと抱き上げると、優しい笑みを浮かべて「落ち着いた?」とイーブイに尋ねた。

 

『…う、うん……。い、いきなり飛びついてごめんなさい…』
「気にしないでいいよ、怪我なかったし。……でも、なにかあったの?」
『あ、あの――』
「あ〜!いったー!!」
「ホントだっ、ってあれ?」
「ちょっとちょっと!あれって!?」
「キラじゃなーい!!」
「……ユカリ…さん??」

 

イーブイの言葉を遮って次々に声を上げたのは4人の女性たち。
一瞬は知らない人間と思ったキラだったが、予想は大きく外れてその女性たちはよく知った顔だった。

 

「「「「やだー!久しぶりー!!」」」」
「っ!?」

 

イーブイのことなどそっちのけでキラの元へと駆け寄ってくる女性たち。
久々の再会に興奮しているらしく、いつも以上に激しい抱擁にさすがのキラ苦しそうな表情を見せる。
紺優も止めたいのは山々だが、女性たちの勢いに押されて口が出せないようでオロオロとするだけだった。
そんな中、女性たちを止める存在が現れた。

 

「おねーちゃんたち、なにやってるのさ。ナツト見つかったの?
――ってキラ?!!ちょ、ちょっと!さっさと離れてよおねーちゃんたち!キラが死んじゃうよ!!」

 

現れたのはマシロだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「キラ、ゴメンね。おねーちゃんたちキラに会うのが久しぶりだったから歯止めが効かなかったみたいで…」
「ほ〜んと、ごめんねー」
「ついつい、嬉しくってねっ」
「それもこれも、キラが可愛いからいけないんだからね!」
「ほんとよね〜かわ――」
もうキラに触らないでくれる?

 

再度キラに抱きつこうとした女性たち――マシロの姉たちに制止をかけたのは彼女たちの弟であるマシロ。
激しく不機嫌そうな表情を浮かべるマシロであったが、
そんなマシロの睨みも姉たちにとっては可愛い弟との可愛い反抗でしかないようで、
「可愛い〜!」と声を上げると一目散でマシロへと抱きついた。

 

『悪いな、色々と』
「謝られることなんてないよ。あれがユカリさんたちとの挨拶だから」

 

取り残されたキラに謝罪の言葉をかけたのはマシロのパートナーであるドダイトスの大地。
しかし、キラにとってマシロの姉たちの行動は迷惑なものではないようで、大地に気にするなと言葉を返した。

 

『(……順応能力もここまでくれば異常だな…)』

 

キラは順応能力が高いと、キラチームの一軍メンバーである蒼谷から聞いていた大地ではあったが、
ここまで順応能力が高いと、確かに異常だろう。
異常を普通に変えてしまうということになるのだから。
キラの今後を少し不安に思いながらも、大地は不意に擬人化の姿に変わると、
いつの間にやらキラのマフラーの中にすっぽりと姿を隠したイーブイをむずんと掴んだ。

 

『イヤー!!帰りたくない――!!』
「わがまま言うな。俺だって戻りたくないっての」
『ねーちゃんたちにしばかれる――!!!』
「俺もマシロを連れて早く戻らないと空にしばかれる」
「……大地、この子になにかあるの…?」
「なに、うちから脱走したってだけだ。それで、姉弟総出でジョウトとカントー駆けずり回って探しててな」
『だって!だって!!ねーちゃんたちがボクのことイジめるんだよ!?逃げたくもなるよ!!
「イジめじゃない。過激なからかいだ」
『ボクにとっては十二分にイジめに相当するよ!!』

 

大地の手の中で帰りたくないとジタバタ暴れるイーブイ。
しかし、小柄なイーブイの抵抗など大地にはまったく無意味のようで、
大地は涼しい顔でイーブイに適当な言葉を返してイーブイを助けようとはしなかった。
だが、大地も本気でイーブイの言葉を否定しているわけではない。
イーブイの主張は事実で、尤もなことなのだが、如何せんやはり誰しも我が身が可愛いわけで。
早々にマシロを家に帰さないと、マシロを溺愛しているギラティナの空の逆鱗に触れることになるのだ。
ただでさえ怒りっぽい空。
それに加えて、好いているマシロがいなくなって空の機嫌が猛スピードで悪くなっているのは絶対的な事実。
これ以上時間をかけては大地の命が危ないのだ。
少しだけイーブイに悪いなと思いつつも、
大地は自分の命を守るためにイーブイをマシロたちの元へ連れて行こうとした。
が、不意にキラの手が大地の動きを止めた。

 

「その子…ちょっと私に預けてくれないかな…?」

 

何らかの意図を秘めたキラの目。
本来であれば、主人ではない人間の主張など大地は聞く主義ではないのだが、
イーブイのためにはキラに任せるのが一番だろうし、キラには色々と世話になっていて信頼のおける存在だ。
少し困ったような表情を大地は浮かべると、キラの腕の中にイーブイを下ろした。

 

「……うまくやれよ」
「…ありがとう」

 

イーブイを任せてくれた大地にキラは礼を言い、
未だにマシロをもみくちゃにしているマシロの姉たちの元へ近づいた。
あまりにも図々しい頼みごとになってしまうのだが、
それでもキラはなんとなくこのイーブイを放っておくことができなかった。

 

「あの…お話いいですか?」
「ん?なになに?キラも混ざりたいの?」
「いえ…あの、図々しいとは思うんですけど……この子を私に預けてもらえませんか…?」
「え〜キラにー?」
「あらなによ。キラのお眼鏡にかなったの?この子は」
「…はい。きっとこの子は強くなると思うんです」
「強く……ねぇ?」
「っいいでしょ!ポケモンの素質を見抜くことに長けてるキラが強くなるって言ってるんだからっ!!
おねーちゃんたちはブリーダーなんだから素質のあるポケモンを素質のあるトレーナーに渡すのが仕事でしょ!!」

 

姉たちにもみくちゃにされていたマシロが半分キレたような状態で怒鳴った。
突然のマシロの言葉に姉たちの鋭い視線がマシロに刺さり、マシロは思わず引いてしまうが、
彼女たちは少しも怒ってなどいないようで、再度「可愛い〜!」と叫ぶとまたマシロをもみくちゃにし始めた。

 

「あ、あの……ユカリさんたち………」
「心配しなくていいわよ。
マシロの言うとおり、私たちの仕事は素質のあるポケモンを育てて優秀なトレーナーに預けること。
その仕事が達成されるっていうんだから止める理由なんてないわ」
「そのイーブイのこと頼んだわよ?」
「かな〜り臆病だけどねー」
「バトルに引っ張り出すのは至難の業かもよ」

 

茶化すような言葉を交えながらも彼女たちはキラにイーブイを預けることを了承してくれる。
キラは「ありがとうございます」と彼女たちに礼の言葉を返すと、
相変わらず姉たちによってもみくちゃにされ、ほぼ彼女たちの玩具と化しているマシロに視線を向けた。

 

「マシロ、フォローしてくれてありがとう」
「き、気にしないでよっ。
ボクはおねーちゃんたちがブリーダーの立場を忘れたようなこと言うから注意しただけだから…」
「うん。でも、ありがとう」
「……どういたしまして」

 

改めてキラがマシロに礼を言うと、マシロは顔を背けながらも観念したように言葉を返す。
そんなマシロの様子を微笑ましく思っていると、マシロの周りでは大きな変化が起こっていた。

 

「マシロ可愛い!!」
「ほ〜んと!ツンデレってやつだよねー!」
「さすが我が家の末っ子だわ!!」
「やっぱり王子様というよりも、お姫様ね!」
あ〜もうっ!!引っ付くなってば――!!!