「(紺優を置いていって正解…)」
ガラス越しに見えたヤミカラスの状態を見て、キラはすぐにそう思った。
もし、この場に紺優がいなかったら――
おそらく、ヤミカラスは大暴れした挙句に新たな傷をつくって森へと帰っていっていたのではないだろうか。そんな背筋に悪寒の走ることを考えながらも、
キラはヤミカラスの理療を担当してくれたジョーイを残して治療室へと足を踏み入れた。
『そちらの件は落ち着きましたか』
「うん、ガンテツさんもチエちゃんのこと許してくれたし、私も紹介状渡してきた」
『それはよかった。…では、こちらの話も落ち着けましょう』
そう言って紺優は寝台の上で横になっているヤミカラスに視線を向けた。ヤミカラスの目にはありありとキラと紺優に対する不信感がある。
だが、それをキラも紺優も不快には思っていない。
野生のポケモンである以上、当然の反応だ。
「私たちはキミのケガが直ったらちゃんとウバメの森に――」
『い、いえ、キラ…当初とかなり話が変わってしまいまして……』
「…え?」
突然言葉を遮られた挙句に、話が変わっているとまで言われ、キラはことが飲み込めずにキョトンとした表情を見せる。
そんなキラの表情を見た紺優は少し申し訳なさそうな笑みを浮かべながらも、変わってしまったことについての説明を始めた。
『私たちもこのヤミカラスが野性に帰りたいと思っていたのですが、本人が森に戻るつもりはないと…』
「で、でも…森のヤミカラスたちはこの子のこと心配していたし…」
『アイツらのことは関係ないわ。アタシが個人的に森に帰るつもりがないだけよ。
――それに、アタシの故郷はあの森じゃないし、正しい意味で帰るべき場所ではないのよ』
さらりとすごいことを言ってのけるヤミカラスに、キラは目を開いてビックリした表情を見せた。ヤミカラスは縄張り意識が強く、そう簡単に外部からやってきたヤミカラスにボスの座を譲ることなど――
それどころか、受け入れることもそうそうあることではない。
だというのに、このヤミカラスは外からやってきたというのに、
ウバメの森のヤミカラスたちのボスの座についたというのだ。これにはさすがのキラも驚かずにいられなかった。
『それと、アンタたちは薄々勘付いてたみたいだけど、アタシは生粋の野生じゃない。
正直、アイツらのところにいてもアイツらのためにならないと思うのよね』
「やっぱり…そうなんだ……」
ヤミカラスの生粋の野生ではないという言葉には、キラはそれほど大きなリアクションをとらなかった。ウバメの森で戦ったときにヤミカラスが使った技――「ドリルくちばし」と「悪の波動」。
この技は野生下で育ったポケモンが覚える技ではないことを、キラは知っている。
故に、ヤミカラスの言葉通りに薄々それには気づいていたのだ。
「…でも、あの群には馴染んでいるみたいだし、群れのためにならないってことはないと思うけど…」
『なるわよ。
人間の手が加わったポケモンがあの群れ守って、アタシが死んだらあの群れは簡単に滅ぶことになるわ。
そう考えたら、アイツらが完全にアタシに依存する前に離れた方が、被害は最小限で済むでしょ』
『…そういう考え方もありますね、確かに』
『あの森の雰囲気は好きだし、離れたくはないんだけど、あの森のことを思えばこそ――よね』
「……うん。わかった。キミの意志を尊重するけど――離れる前に挨拶ぐらいはした方がいいと思う」
『わかってるわよ。じゃないと、いたずらにアイツらの人間への不信感を煽ることになるだけだもの』
そう言うと、ヤミカラスは横になっていた体を持ち上げる。
だが、完全には調子が戻っていないようで、すぐにストンと横になってしまう。
慌ててキラがヤミカラスの元へと駆け寄ると、不意にヤミカラスが「ん?」と声を洩らした。
「大丈夫?」
『…大丈夫じゃないわよ。でも、それはあとでいいわ。アンタ、シンオウの人間なの?』
「…?う、うん。基本はシンオウで暮らしてるよ。今はちょっとわけがあってジョウトを旅してるんだ」
『ふぅ〜ん……』
キラの答えを聞き、ヤミカラスは値踏みするような視線をキラに向ける。
ジロジロとキラを一通り眺め終わると、平然とした様子で切り出した。
『丁度いいわ。アンタ、アタシをゲットしてもいいわよ』
「………え?」
『な、なにを突然言いだしているんですか…』
『何よ!アタシっていう強いヤミカラスがご丁寧に手持ちに加わってあげるって言ってるのよ!?
素直に喜んだらどうなのよ!』
『で、でも…紺優さんに負け――』
『うるさいわよガキッ!!』
『ミ゛ィ゛イ゛―――!!!!』
ヤミカラスにギロリと睨まれた黄夏は飛び上がると、すぐさまキラに抱きついた。キラは苦笑いを浮かべながらも「大丈夫、大丈夫」と言いながらガタガタと震える黄夏の背を撫でる。
それでもやはりヤミカラスの睨みが怖かったようで、黄夏はえぐえぐと泣きながらキラに抱きついたままだった。どうフォローしても黄夏のヤミカラスへの恐怖心を取り除くことはできないと判断したキラは、
黄夏を抱き上げるとヤミカラスに視線を移し、疑問を口にした。
「ゲットされなくてもシンオウに行きたいのであればちゃんと送り届けるよ?」
『なによ、そんなにアンタはアタシをゲットしたくないわけ?』
「そんなことはないけど…」
『なら素直にアタシのご好意に甘えてゲットすればいいじゃない!』
ギーギーと怒鳴るヤミカラスに一瞬厚意なのか、押し付けなのかよくわからなくなるが、
パーティーのメンツとしてはヤミカラスがメンバーに加わってくれることは嬉しい。
何故だかキラはこのヤミカラスをゲットすることに躊躇したが、
やはりヤミカラスの存在は欲しいし、ヤミカラスの意志を尊重する意味も含めて、
ヤミカラスをメンバーとして迎え入れることに決めた。
「ボールは……」
『そうね、どうせならゴージャスボール当たりがいいわね』
『…わざわざ指定するんですか』
『ただの市販のボールじゃ味気ないでしょ?どうせ入るなら居心地がいいと評判のボールに入ってみたいじゃない』
「……そんなに評判なの?」
『私に聞かれましても…。私はゴージャスボールに入ったことなんてありませんから…』
『とにかく!ゴージャスボールはあるんでしょうね?』
「え、ええと…多分引き出すことはできると思うけど…」
『ならさっさと持ってきなさいよ!はやくヒワダ出発しないと日が暮れるわよ!?』
「う、うん…!」
ヤミカラスに急かされ、キラは黄夏を抱いたまま治療室を出て行く。
おそらく、ヤミカラスの要望どおりにゴージャスボールを用意するために道具の管理システムを利用しに行ったのだろう。それを理解している紺優は、キラを見送った後、スッとヤミカラスに視線を移した。
『…さて、真意を教えてもらいましょうか。なぜ、キラのポケモンになるなどと言い出したんです?』
『シンオウへ渡りたい――というのも本当だけれど、あのミズゴロウが少し気になっただけよ。
主人の味方をせずにアタシの味方をするなんて異常じゃない』
『…そう、思われても仕方ありませんね。
馴染んでいなにしても、あそこまで主人に対して攻撃的になれるポケモンもそうはいませんから。
ですが、彼は密売人に捕らわれたことがあって――人間不信なのですよ』
『ふぅ〜ん……密売人…ねぇ?ならまぁ、納得できるわ。
あの馬鹿正直そうな子が、ポケモンを傷つけるようなこと――しそうにないもの』
『ミズゴロウとキラの架け橋になってくれることを期待します』
『フンッ、そこまでアタシはお人よしじゃないわよ』
そう行ってヤミカラスは、紺優に背を向けた。