「え……?」
ミズゴロウの第一声が向けられた存在。
それはキラだった。まさか自分にミズゴロウが話しかけてくるとは思っていなかったキラは、
脳内での状況整理が追いつかず呆然としている。
だが、ミズゴロウはそんなキラのことなど気にするつもりなどないようで、
目の前にいる赤跳を一睨みすると、何事もなかったかのように赤跳の前から離れて行った。一瞬はイラっとした赤跳だったが、ミズゴロウの考えていることに察しがつかないわけでもない。
意地っ張りなミズゴロウだ。これぐらい乱暴なぐらいが丁度いいのだろう。初めてのバトルの相手が身内というのもなんだか微妙な気持ちだが、
このバトルでの勝利は価値のあるものになるだろう。沸々と湧き上がってきた闘志を胸に、赤跳はキラに一緒に頑張ろうと声をかけようしたが――
『キ、キキ、キラ…?』
見上げた赤跳の目に映るのは無表情のキラ。
だが、普段のキラの無表情とは大きく違う。
今のキラの目の奥にはどす黒い闇色の何かが潜んでいる。
チラリとその影が見えただけで背筋が凍り付いてしまいそうな闇色に、赤跳は思わず後退してしまった。赤跳が自分に怯えていることなど露知らず、キラはスッと黒鴉に視線を向ける。
冷え切ったキラの視線を受けた黒鴉は、可能な限りキラから視線を逸らすが、
突き刺さるキラの冷ややかな視線から逃れる術はありはしなかった。
「黒鴉…?知ってるよね……?私が――禁止してること」
『…ああ』
「なら……なんなのかな。この状況」
『…キラ、落ち着いて聞いてくれ。これは仲間間でのバトルではなく、野生のポケモンとのバトルだ』
「………」
『ミズゴロウを逃がした状態にして、赤跳と一緒にミズゴロウと戦いミズゴロウをゲットする――そういうことだ』
黒鴉が意図を説明すると、ふっとキラの目から黒いものが消える。
どうやら黒鴉の提案を受け入れたようだ。黒鴉に向けていた視線をミズゴロウにキラは移すと、じっと彼の目を見る。
ミズゴロウの目に歪んだ色はなく、強要された選択ではなく、彼自身で決断した選択のようだ。――ならば、その選択を後悔させないようにするのがミズゴロウを任された人間としての役目。ミズゴロウの決断を無駄にしないためにも、
キラは本気でミズゴロウとぶつかることを決めた。ミズゴロウの入っていたボールを取り出し、
キラはボールに組み込まれたポケモンを逃がすコマンドを起動させる。
すると、ボールが役目を終えたかのようにカチンと鳴った。これでミズゴロウは人間に縛られない野生のポケモンとなった。だが、ミズゴロウはそんなことは気にしていないようで、
相変わらず赤跳とキラを待ち構えるかのように静かにたたずんでいた。
「…赤跳、赤跳にとって大切な戦いになると思う。――だから、絶対に勝とう」
『もちろんだよ!絶対、絶対にボクは勝つよ!』
赤跳の強い言葉を聞き、キラは頷くと赤跳をボールに戻す。
そして、ミズゴロウの前に歩み出た。緊張した空気が流れる中、意を決したようにキラは後の入ったボールを投げる。
投げられたボールから赤跳が飛び出し、ミズゴロウの前に立った。
『決着つけようよ』
『……ああ、オレの勝ちでな!』
そう叫んでミズゴロウは赤跳に向かって水鉄砲を放ってくる。
その攻撃に察しのついていた赤跳は身軽に水鉄砲を交わすと、
一旦ミズゴロウから距離を取り、キラに指示を乞うようにチラリとキラの目を見た。赤跳の視線を受け、キラは自信に満ちた笑みを浮かべると、
赤跳に気合溜めに使うように指示を下した。
『相性で不利な分を、急所を狙って決定力を補うか』
『でも、急所に当たる前にミズゴロウの攻撃が数回決まる可能性の方が高いわ』
「ええ、どうあっても赤跳の方が不利です」
赤跳が不利であることを肯定しながらも、紺優の表情に焦りの色はない。
いつもと変わらない落ち着いた表情を浮かべている。
それが意味するところはいうまでもなく、キラと赤跳にはなんらかの秘策があるということ。その秘策に対して見当の付かない黒鴉と黒夢は顔を見合わせたが、
お互いに答えを持ち合わせていないと悟ると、事の結末を見守ることを決め、
赤跳とミズゴロウのバトルに視線を戻した。
『ぅあっ!』
ミズゴロウの放った水鉄砲が赤跳に直撃し、赤跳は後方へと飛ばされる。
大きなダメージは受けたようだが、瀕死状態にまでは持ち込まれなかったようで、
赤跳は素早く体勢を立て直してミズゴロウと対峙した。バトルに慣れていない赤跳に対して、バトルにだいぶ慣れているミズゴロウ。
おそらく、黒夢たちとの訓練で多くのバトルを重ねた結果なのだろう。大きな差となって現れた経験の差。加えてタイプもこちらが不利。
どう見ても勝算は薄いが、はじめから不利なバトルを強いられることも想定してたキラに動揺はない。
勝利するための策はある。あとはそれを成立させる赤跳の気合と運。必要なのはそれだけだ。
「赤跳、勝てるからね」
『うん!』
キラの言葉に赤跳は元気よく応えて再度ミズゴロウへと向かっていく。
自分に向かって来る赤跳に向かってミズゴロウは水鉄砲を放つ。
完全には当たっていないが、掠ってはいるようで、ミズゴロウへ近づくにつれて赤跳の顔が歪む。
しかし、赤跳は怯まずミズゴロウに向かって行った。この不利な状況を前にまったく怯むことをしない赤跳に、ミズゴロウは少したじろいだ。どうしてこれだけの不安材料がありながら躊躇しない?
どうして人間を信じられる――?
『もらったァ!!』
『くっ…!まだ――!?』
赤跳の攻撃を、仮に急所に受けたとしても、
まだチャンスは残っているとミズゴロウは思っていた。この短期間では強力な技を覚えることはできない。しかし、それはミズゴロウにとってハンデではない。
大体同じ成長を遂げるはずの赤跳にとっても同じことなのだから。だが、赤跳は決定力に欠けるという欠点を克服していた。人間――キラというトレーナーの存在によって。
『ハァッ!!』
走る黒い閃光。
それはミズゴロウを切り裂いた。赤跳が放った技。
ミズゴロウの急所を切り裂いたそれは――
『……なるほど、シャドークローとは考えたな』
「アチャモの場合、気合溜めは切り裂くとセット扱いですが、赤跳ではまだ覚えるのは先の話ですからね」
『まぁ、人間と一緒でなければできない戦法ね』
赤跳の放った技――それはシャドークロー。アチャモの場合、技マシンを使った場合にのみ覚えることのできる特殊な技。
そして、高確率で急所を狙うことのできる技でもあり、気合溜めとの相性は抜群だ。シャドークローをくらったミズゴロウは、宙へと放り投げられる。
攻撃力の高いシャドークローを急所にくらい、
相当のダメージを受けたミズゴロウは、体勢を立て直すこともできずに地面へと落ちていく。
そして、地面に落ちる――そう、思ったときだった。ミズゴロウを吸い込むモンスターボール。
抵抗する余力もないミズゴロウは無抵抗でボールへと吸い込まれ、
ボールが2度、3度揺れると、ミズゴロウがボールに収まったことを告げるカチリという音が響いた。