肌を刺す冷気――だが、それに対して感想はなかった。

 

「(今日も異常なし)」

 

 ほぼ一年中、真白い雪に覆われた白銀の町――ビロウドタウン。
 そんな町に暮らす彼にとって、極寒の冷気などなれたもの。
寒い――とは感じるが、口に出すほどのことではない。
…ただ、慣れたというよりは、諦めたと言った方が正しいのだが。

 

『タマキ――お疲れ様』

 

 青年――タマキの前に雪のようにフワリと降り立ったのは、大きな青い翼をもったポケモン――フリーザー。
翡翠色の瞳に優しい色を宿して、フリーザーが永久氷樹の森のパトロールを終えたタマキに労いの言葉をかけると、
タマキは「ああ」と平然とした様子でフリーザーに言葉を返した。
 伝説の鳥ポケモンであるフリーザー。
しかし、タマキにとってはフリーザーの存在さえも、今となっては驚くものではなくなっていた。
 タマキも、初めてフリーザーに出会ったときとは、
驚きに言葉を忘れ、キラキラと輝くフリーザーの美しさに感動を覚えた。
しかし、怪我を負っていたところを助けて以来、永久氷樹の森へやってくる度に自分の下へやってくるフリーザー。
それを何度も繰り返しているうちに、タマキはフリーザーのトレーナーとして認められ――
遠い存在だったはずのフリーザーという伝説のポケモンは、気づけば身近な存在へと変わっていた。

 

「…そっちに異常はないか?」
『心配してくれてありがとう。でも、大丈夫よ』

 

 人間が足を踏み入れることが許されていない永久氷樹の森の奥――
そこに暮すフリーザーにタマキが異常がないかと問うと、
フリーザーは優しく微笑んでから礼をいい、さらに何の異常もないことをタマキに伝える。
それを聞いたタマキは、表情を変えずに「ならいい」と冷静に言葉を返すと、
眼下に広がる永久氷樹の森に視線を向けた。
 真っ白な大地に生えている無数の白銀の氷樹。
雲間から射す太陽の光を受けて氷樹がキラキラと輝けば、それは自然が作り出す一級の芸術品となる。
 絶対に人間の手では作り出すことのできない芸術――偶然の至高。
それは何度見ても飽きるものではなかった。
…ただ、はじめて見たときの感動はすっかりなくなってしまったが。

 

「…そろそろ、旅――」
『却下』
「………」

 

 笑顔でタマキの提案をキッパリと却下したのはフリーザー。
フリーザーの顔に浮かんでいる笑顔には、ある種の威圧感のようなものがあり、
タマキの対抗心はザックリと削がれてしまう。
 説得の面倒をかけてまで、旅をしたいわけではない――
そんな結論が、最終的にはタマキの頭に浮上してしまっていた。
 フリーザーの説得が億劫になり、タマキは永久氷樹の森に再度視線を向ける。
相変わらずキラキラと輝く森は美しいが、タマキにとって「相変わらず」というのが問題だった。
 ビロウドジムのリーダーを勤める傍ら――
実際のところはチャレンジャーが少ないために本業となりつつある、ガラス職人としてのタマキの一面。
 一般的なお土産として取り扱うグラスや食器も作ることはあるが、
タマキが主に作るのは芸術作品としての要素が強いガラスのオブジェ。
その作品の評価は高く、愛好家の間ではそれなりの値段で取引されているほど。
 しかしここ最近、タマキはめっきり作品作りをしていない。
だが、その原因をタマキはすでに理解していた。

 

「…クニーガ、どうしても……ダメか?」

 

 真剣な表情でフリーザー――クニーガの顔を見て問うタマキ。
そんな真剣な表情でタマキに見つめられたクニーガは、
どこか居心地の悪そうな表情でタマキから視線を逸らした。
 タマキが作品を作らなくなった原因――それは単純にインスピレーション不足。
言い換えれば、マンネリ化した日々の中でタマキの感性が鈍ってしまったからだった。
 変な話、もう少し頻繁にジムに挑戦者が現れてくれれば、まだマシなのだが、
マーキャ地方の中でもコキアケタウンに次ぐド田舎であるビロウドタウンに挑戦者が現れることは稀も稀で。
本当に、このビロウドタウンにはタマキにとって刺激となるものが何一つなくなっていた。

 

『…………』

 

 タマキが刺激のない日々にウンザリしている――それはクニーガも知っている。
初めて出会った時、タマキの瞳は氷のように透き通った輝きを秘めていた。
しかし、最近のタマキの瞳にはもやがかかっているかのように、すっかりくすんでしまっていた。
 クニーガ自身、自分が好きだったタマキの綺麗な瞳が失われてしまう――それは断固として防ぎたい。
しかし、その代償にタマキとの時間を奪われるのも、絶対に嫌だった。
 酷い我侭だとクニーガもわかっていたが、
これまで拒否の言葉を返すだけでタマキが折れていたこともあり、
ついつい自分の我侭を押し通してしまっていた。
 しかし、今まで折れていたタマキが折れずに食い下がってきたのだ。
これ以上の我侭は、タマキとの関係に亀裂を生むことになるかもしれない――
そう考えるとクニーガの答えはすぐにまとまった。

 

『……いってらっしゃいタマキ。私はここでアナタの代わりに森を守っているわ』
「…いいのか?」
『ええ、いいの。……少し反省したいこともあるから………』
「…反省?」

 

 わけがわからないといった様子の表情を浮かべるタマキ。
そんなタマキを眺めながら、クニーガは苦笑いを浮かべる。
これだから――とクニーガの心に言い訳が漏れるが、
ハッと我に返ったクニーガは激しく頭を振って邪念を払った。
 突然、激しく頭を振り出したクニーガ。
当然、クニーガの心の内など知らないタマキは、
珍しく驚いた表情を浮かべてクニーガに「大丈夫か?」と声をかけてくる。
そんなタマキにクニーガは「心配しないで」と答えると、
不意に器用に翼を使ってタマキの腰に装着されているモンスターボールを指した。

 

『全員を、連れて行くわけではないのでしょう?』
「…ああ、マルクスとミェーチ、あとシレームを連れて行くつもりでいる」
『……マルクスとシレームはわかるのだけれど、…どうしてミェーチ?』

 

 ジムバトルメンバーの中で、大将のようなポジションにいるマンムーのミェーチ。
高い実力を持った彼に、今更ユキカブリのマルクスのように旅の中での修行は必要ないし、
マグカルゴのシレームのようにタマキの作品作りの手伝いをするわけでもない。
なので、ミェーチにはこの旅に参加する絶対的な理由がなかった。
 もちろん、理由がなければタマキについて回ってはいけないわけではないのだが、
少数での行動を好むタマキの性格を考えると、
ミェーチを旅に同行させるというのは、どうにも疑問が残るのだった。
 しかし、ミェーチを連れて行く理由はタマキにとって簡単なもののようで、
あっさりとタマキはクニーガの疑問に答えを返した。

 

「ヒイナ姉さんのところに連れて行く」

 

 ヒイナ――その名前を聞き、
クニーガはタマキがミェーチを連れて行く理由をすぐに理解した。
 ヒイナというのは、ミェーチの妻であるマンムー――アイラのトレーナー。
そして、そんな彼女の元へミェーチを連れて訪れるということは、
トレーナーたちの都合で夫婦一緒に暮らせないミェーチへのタマキなりの労いなのだろう。

 

『ふふふ、優しいわね』
「ヒイナ姉さんがシンオウに発って以来、会わせていないからな」

 

 少し、申し訳なさそうな表情を浮かべて、
タマキは自分の腰に装着されているミェーチが入っているボールを見つめた。
 本来であれば、ミェーチはヒイナと共にシンオウへ渡る予定だった。
だが、当時はまだ修行中の身であったタマキを思ったミェーチ、そしてヒイナとアイラの計らいによって、
ミェーチはシンオウから遠く離れたマーキャの地に残ってくれたのだった。
 当時のタマキとしては、ミェーチが残ってくれたことはもちろんありがたいことだった。
だが、その反面ミェーチへの申し訳なさがずっと心に引っかかっていた。
しかし、今はもうミェーチの力を頼らなくてもいいぐらいの実力を身につけたタマキは、
ミェーチをヒイナの下に――家族の下へ行かせてやりたいと思っていたのだった。
 ただ、本人たちがあまりに寂しそうにしないので、
今の今まで行動を起こさなかったわけなのだが。

 

『タマキ、ヒイナによろしく伝えて頂戴ね』

 

 そう言うとクニーガは大きく翼を羽ばたかせフワリと宙に浮く。
タマキはその様子を見守ったあと、クニーガに「ああ」と了解の言葉を返した。

 

『怪我と病気には気をつけて――ではね』

 

 バサリと音を立てて、永久氷樹の森へと飛び立つクニーガ。
それを無言でタマキは見送り、完全にクニーガが見えなくなったところで、
ゆっくりとを見慣れた景色に背を向け、歩きなれた帰路を歩きだすのだった。