マーキャ地方から飛行機でおよそ半日強をかけてやってきたシンオウ地方。
やや冬の寒気が強いが、それ以外の季節は熱過ぎず、寒すぎずで過ごしやすい気候といえる。
が、しかし、そんな冬以外は過ごしやすいシンオウ地方にタマキがやってきた季節は真冬だった。
ところが、シンオウ地方よりも緯度の高い位置にあるビロウドタウンで暮らしているタマキから言わせれば、
シンオウの冬はそれほど辛いものではなかった。雪と氷の町――ビロウドタウンから見れば、シンオウ地方の冬はビロウドタウンの春に近かった。
――とは言っても、ビロウドタウンの春は寒いので、シンオウ地方の冬も寒いことには変わりはないが。
シンオウ地方最大の街――コトブキタウンから徒歩で移動してからおよそ2日。
タマキは最初の目的地であるフタバタウンに到着していた。
しんしんと降り積もる雪と、降った雪に包まれた家々を横目に、
タマキは目的地――姉弟子であるヒイナの家を目指す。タマキにとってシンオウ地方は初めて訪れる土地。
それもあって、タマキの目に映るものは何もかもが目新しく見えた。
『タマキー、ヒイナ様のお家まだー?』
「…………」
『オイラ、足が棒になりそうなんだけどなー』
「………」
『ターマーキー!無視はよくないぞー!!』
「……マルクス、機内での説明を聞いていなかったのか」
『…え?なんか言ってったっけ??』
タマキに問われて、わけがわからないといった様子の表情を見せるのは、ユキカブリのマルクス。
マーキャからシンオウへと渡る飛行機の機内で説明されていた
マーキャ地方を出るに当たっての説明を本当にまったく聞いていなかったようで、
タマキを見るマルクス頭上には大量の疑問符が見えなくもない。
ちゃんと聞くようにタマキはマルクスに言っておいたはずなのだが、それはまったく意味がなかったらしい。
小さなため息をひとつもらし、タマキはマルクスに自分か彼の言葉を無視した理由を小声で説明した。
「マーキャ以外の地方では、人間とポケモンは言葉を交わすことができない。
…だから、俺がお前の言葉に答えると、俺は頭のおかしい人間に見える」
マーキャ地方において、ポケモンと言葉を交わすことはそれほど難しいことではない。
守護神――と呼ばれるポケモンの祝福を受けることができれば、
子供でも年寄りでも、トレーナーでもトレーナーでなくても、ポケモンと言葉を交わすことができるようになる。また、ときどき生まれついてポケモンの言葉を理解する子供が生まれることもあり、
マーキャ地方において人間とポケモンが言葉を交わすことは、
人間にとってもポケモンにとっても珍しいことではあるが、一般的に認知されていることだった。
しかし、それはマーキャ地方の特殊な文明があったからこそ
根付いたというか、発展したらしい、とても特殊な文化のようで、
マーキャ以外の土地においては、ポケモンと言葉を交わすことなど、
SFだと言われるほどの信憑性のないことだった。
タマキからマーキャ地方と、このシンオウ地方の決定的な違いを聞いたマルクスは
驚いた表情を浮かべたまま、自分の素直な感想を口にした。
『へぇ〜、不便な土地だねぇ』
「…マーキャが便利すぎるだけだ」
マルクスに短く言葉を返してタマキは再度歩き出す。
それをマルクスは「待ってー」と声を上げながら追いかけてくる。一瞬、自分の説明を理解していないのか――
と、タマキは思ったが、そうではないと考えを改めた。
「(トレーナー側の対応も中々大変だな…)」
そう、心の中で考えを改めながら、
タマキは駆け寄ってきたマルクスの頭を撫でるのだった。
ヒイナから送られてきた地図を頼りに、タマキがたどり着いた家。豪邸――ではないが、二階建ての一戸建て。
庭は畑も兼ねているようで、一般的な家庭よりも敷地としては広い。だが、それはこのフタバタウンにおいては普通のことのようで、
他の家の畑もこの家と同じようにそれなりに大きかった。
「(もっと大きな家に住んでいるかと思ったんだが…)」
過去にジムリーダーと四天王を勤めてきたヒイナ。
汚い話だが、最後にジムリーダーをやめるまでは結構な額の報酬を得ていたはずだ。
それに、ヒイナの夫であるリオはマーキャ地方最大のバトル施設――
グランドギニョールのシアターオーナーとして働いているのだ。もし仮にヒイナの蓄えが少なかったとしても、もっと大きな家を建てられたはず。
なのに、思いにもよらず質素な家にタマキはすっかり拍子抜けしてしまった。
若干のつまらなさを心に残しつつ、タマキは塀に取り付けられた呼び鈴を押した。
「どちら様?」
「…ビロウドタウンのタマキです」
「――ああ、待っていて」
プツリと切れたドアホン。それから数秒後、家のドアが開き、
雪のように真っ白な長い髪の女性――ヒイナが姿を見せた。
「長旅、ご苦労様」
「お久しぶりです。ヒイナ姉さん」
ヒイナの労いの言葉にタマキは再会の挨拶を返すと、
そのままヒイナに導かれる形でヒイナ家の敷地に足を踏み入れる。
だが、それ以上の言葉をお互いに交わすことはせず、
ヒイナとタマキは早々に家の中へと入っていった。
家の中に入り、タマキは体に付いた雪を払いながらヒイナ家の玄関を眺める。
備え付けの靴箱の上にはブリザードフラワーで作られたフラワーバスケットと、
10cm前後の木で作られたユキカブリとユキノオーの置物が置かれている。
派手ではないが、ヒイナらしい趣味のいい装飾品に、タマキの中にあった疑問が再度浮上した。
「…随分、小さな家ですね」
「ええ、借家だもの」
「……借家?」
「ここに定住するわけではないのだから、借家で十分よ」
比較的、インテリアにこだわりを持つ傾向にあるヒイナ。
そんなヒイナの自分の城にしてはにしては小さいと思ったが、
この家が永住の地でないのであれば合点はいった。
それどころか、無駄な資金は使わない――実にヒイナらしいと納得するぐらいだった。
タマキが体の雪を払い終えると、ヒイナは「こっちよ」と言ってタマキを誘導する。
ヒイナに言われるがまま付いていくと、タマキはリビングであろう部屋に通された。
『うわー!タマキでっかー!!』
『…ええ、本当に大きくなりましたね、タマキ』
「久しぶりだな、クリス、フリアさん」
部屋に入るなり大声を上げたのは、ヒイナのデリバードであるクリス。
そして、そのクリスの言葉を冷静に肯定したのは、同じくヒイナのジュゴンであるフリアだった。彼女たちとはヒイナがビロウドジムのジムリーダーを勤めていた頃からの馴染みだったタマキは、少し表情を和らげて2人に答えた。
『いやー、噂には聞いていたけど、ここまで大きくなってるなんてな〜。
最後に見たときなんてまだ全然子供だったのに!』
「…もう、7年は経っているからな」
『はー7年かぁ…意外とあっという間だったねぇ』
「………ところでアイラさんは?」
「――…外にいるわ」
「…外??」
『ははー。タマキー、あんまり深く聞いてくれるなー』
「??」
ヒイナのマンムー――アイラが外にいると聞き、タマキは理由がわからず首を傾げる。
だが、苦笑いを浮かべながら深く突っ込むなと言うクリスの言葉に従い、
タマキは何も聞かずにヒイナにミェーチの入ったボールを手渡した。
ミェーチの入ったボールをヒイナはタマキから受け取ると、
薄っすらと優しい笑みを浮かべてタマキに「ありがとう」と礼を言うと、
庭に繋がっている窓から外へと出て行った。
「ところで、知らない顔が増えてるが……」
『ああ、この子?この子はフリアの娘で海澪。
マスターはヒイナじゃなくて、キラなんだけどね』
『こんにちは!ジュゴンの海澪です!』
フリアの横にいた見覚えのないジュゴン。
それは誰かと尋ねれば、フリアの娘――海澪だという。フリアに娘がいるということ――
それどころかフリアが結婚したということも初耳だったタマキは、驚いた表情で海澪を見る。
しかし、海澪はフリアとは対照的な性格にあるようで、
タマキが驚いた表情で海澪を見ても、人懐っこい笑みを浮かべてずいずいとタマキの下へ近寄ってきた。
一瞬、本当にフリアの娘なのかとタマキは疑問に思ったが、
何者にも物怖じしない肝の据わった反応はフリア譲りか――と納得すると、
ひざを折って海澪と視線を合わせて「よろしく」と挨拶をし、それと一緒に海澪の頭を撫でた。
それに海澪は笑顔で「うん!」と答え、更に甘えるようにタマキに擦り寄ってくる。
甘えてくる海澪をタマキは拒むことはせず、そのまま撫でながら海澪に質問を投げた。
「海澪、お前の主人はどこにいるんだ?」
『主人?あ、キラのこと??』
「ああ」
『今キラはね、ジョウト地方って所を旅してるんだよ!』
「ジョウト地方…」
『まぁ、色々あってさ。それに関してはあとでヒイナが詳しいこと教えてくれるよ』
「…そうか」
明るい話題ではない――それをタマキはクリスの声色から読み取ることができた。
おそらく、子供である海澪の耳には入れたくない話題なのだろう。そんなクリスたちの雰囲気を察したタマキは大人しく理解の言葉を返すと、
無邪気な笑顔を見せる海澪との会話を始めるのだった。