眼下に広がるのは色とりどりの花たち。
個々が主張しあいながらも調和の取れた配色は自然が生み出した美しさといえる。
だが、それを前にしている青年――
レッドとしては、そんな花の色合いなどかなりどうでもいいことだった。

 

「(カイトのやつ……)」

 

レッドの脳裏に浮かぶのは、小憎たらしい笑顔を浮かべた少女――カイト。
彼女はレッドにとって親友であるホクトの実の妹であり、虫タイプのポケモンに精通するトレーナー。
なので、機嫌を損ねてしまったシロガネ山のリングマたちの機嫌を直すために必要な、
ミツハニーの甘い蜜について情報を持ち合わせているとレッドは踏んだのだった。
正直なところ、レッドとカイトはあまり相性が良くない。
しかし、身近に虫タイプに精通している逸材がおらず、苦肉の策にカイトを頼ったのだったが――

 

「ミツハニーの甘い蜜ですか?シンオウのソノオの花畑に行けば手に入りますよ」

 

ニコニコと笑顔でそう言葉を返してきたのは、
背後にビークインを従えたカイト。
確実にカイトがミツハニーの甘い蜜を蓄えていることは確か。
ならば少しでも分けてくれてもいいのではないだろうか。
数回しか顔を合わせたことのないほぼ他人であれば仕方ないと思うが、
一応レッドとカイトは幼馴染と呼ばれる間柄。
仲は良いとはいえなかったが、幼馴染のよしみで分けてもくれてもいいだろう。

 

「(…でも、わざわざ地図をくれたってのは……一歩前進か…)」

 

帰る間際にカイトがよこしたミツハニーの生息地を記したという地図を片手に、
レッドはそんなことを思いながらソノオの花畑の奥へと進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幸中の幸い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

好きではない人間にはいくらでも嫌がらせをするカイト。
しかし、歳を経てその部分も改善されてきたと思ったのだが、それはレッドの思い違いだった。
残念だがカイトは何も変わっていない。いや、寧ろ悪化している気がする。
人のよさそうな顔をして、2重、3重の嫌がらせをしてくるようになったのだから。

 

「(普通のバトルだったら…!)」

 

人間が入ってはいけないミツハニーたちのテリトリーに入ってしまったらしいレッドは、
興奮状態のミツハニーたちに追い回されていた。
バトルの修行が目的であれば、ミツハニーたちを返り討ちにするところだが、
レッドの目的はミツハニーが作る甘い蜜を手に入れること。
その目的がある以上、下手にミツハニーたちに手を上げることはできず、
ただひたすらに逃げるしかレッドに選択肢はなかった。

 

 ピッカ!ピカチュー?! レッド!一旦ここから逃げたらー?!

 

もしもの事態を考えてボールから出しておいた相棒のピカチュウ――ピカ。
全力まではいかないものの、それなりの速さで走り続けているため、
体力が限界に近づいているらしく、ギブアップとも取れる「逃げる」選択をレッドに持ちかける。
だが、レッドはピカチュウの提案に首を振り答えを返した。

 

「…逃げたら俺たちが悪いことしに来たみたいだろっ…!」
 ピィカ…ピカピカッチュ〜 それはそうだけど…いつまでこれ続けるのさ〜

 

ギブアップを却下され、泣き言を言うピカチュウ。
それを尻目にレッドも心の中で「俺が知りたい…」と思わずため息をついた。
だが、そんなことを思いながらもレッドはあくまで「逃げる」という選択肢を選ぶことはなく、
ひたすらにミツハニーたちの興奮が収まることを待って逃げ続けた。
一度は手持ちのフシギバナが使える「甘い香り」でミツハニーたちの興奮を収めようとも思ったが、
フシギバナという巨大で威圧感のあるポケモンでは逆に警戒されるのではないかと思い却下した。
他に連れているポケモンたちもフシギバナ同様に威圧感のあるポケモンばかりで、
出したところで状況は好転しそうになかった。
レッドからの働きかけでは好転しそうにない状況に、レッドは思わず心が折れかけたが、
不意に優しい甘い香りを伴った風が吹き抜けた。

 

「……人間?」

 

反射的に風が吹いてきた方向へレッドが視線を向ければ、そこにはビークインを従えた人間が1人。
パッと見の印象で、相手は自分に対して警戒心を抱いており、
「甘い香り」を使ってミツハニーたちの興奮を治めたのは、レッドたちを助けるためではないようだ。

 

「…こちらへはどういったご用向きですか」
「…ミツハニーの甘い蜜を分けてもらいたい」
「それは奪う――という意味ですか」
「そんなつもりはない。知り合いに紹介されてきたんだ…けど……」

 

紹介された相手が相手だけに、レッドは名前を持ち出すことに躊躇した。
カイトの名前を出した瞬間、ビークインとミツハニーが総攻撃を仕掛けてくるという可能性も否定はできない。
それぐらいのワナを仕掛ける程度、カイトにとっては朝飯前のはずだ。
嫌な予感が止まらず、レッドは言葉に詰まっていると、「誰ですか」と相手の催促がかかる。
これ以上黙っていては相手の不信感をあおるばかり。
意を決してレッドは、この場所を自分に紹介したのはカイトだと伝える。
すると、レッドの嫌な予感は的中で、急にビークインとミツハニーたちのレッドに対する敵意が増した。

 

 ピィー…ピッカピカピーカ… うわー…カイトここでになにやったのさ…
「知るか、とりあえずなにかやらかしたことは確かだろ…」

 

思わず漏れるため息。完璧にカイトの策にはまったようだ。
このままでは確定でミツハニーたちから甘い蜜を分けてもらうことは不可能。
かといって、言い訳をしたところで、自分たちに注がれている敵意を拭い去ることはできないだろう。
ここは諦めるしかないか――そう思ったときだった。
不意に「待って」と言う声が響いたのだ。

 

「…カイトさんに騙されたんじゃないかな…?」
「…カイトのこと知ってるのか?」
「一応…ですけど。……あの、カイトさんとはどういった関係ですか?」
「親友の妹で、一応幼馴染。でも、全然懐かれてない。――だからここを紹介されたんだと思う」

 

レッドが事情を説明すると、ビークインたちに待ったをかけた人間――
蒼銀の髪をもつ少女とビークインがレッドに対して同情的な表情を見せる。
どうやらこの少女とビークインは、カイトがどういった人物であるかどうかをある程度理解しているようだ。
おそらく、カイトにとって計算外だったであろう少女の存在。
この誤算はレッドにとってはこの上なく嬉しい誤算だった。
少女の横に控えていたビークインが一鳴きすると、
レッドたちに迫っていたミツハニーたちが一斉にどこかへと飛び去る。
いきなりのことにレッドは少し驚いたが、ビークインの言葉を理解していたらしいピカチュウに驚きの色はなく、
レッドのズボンのすそを引っ張って少女とビークインの元へ行くように促した。
ピカチュウに急かされてレッドは歩みを進め少女の前に立つ。
すると、すぐに少女がペコリを頭を下げた。

 

「疑ったりしてすみませんでした…」
「…いや、疑って当然だったと思う。寧ろ、話を聞いてくれて助かった」

 

あの場面で彼女が待ったをかけてくれなかった日には、
おそらくレッドはズタボロになってソノオタウンに帰ってきたか、
ミツハニーたちに何らかの危害を加えていたことだろう。
本当にレッドは彼女に対して感謝の気持ちでいっぱいだった。

 

「ありがとな」
「そ、そんな感謝されるようなことは…っ」

 

感謝の気持ちをこめてレッドは少女の頭を撫でながら感謝の言葉を口にすると、少女は照れた様子で謙遜する。
そんな少女の姿を見ながら、思わずレッドはカイトがこの少女のように素直で謙虚な性格だったらと思ってしまった。
…まぁ、それはそれで――今更気持ちが悪いが。

 

「あ、あの、甘い蜜…ポケモンゲットに使うんですか?」
「…いや、シロガネ山のリングマたちのご機嫌取りに…」
「シロガネ……山…セキエイ高原の西の……」
「そこでリングマたち相手に修行してたらうっかりやりすぎて――ん?」

 

シロガネ山でのリングマたちとの戦いをしみじみ思い出しながらレッドは事情を説明していると、
不意に自分に向いている少女の憧れの眼差しに気がついた。
憧れの存在でも前にしたかのようなキラキラと輝く期待を強く秘めた光の宿る瞳。
興奮を抑え切れずに上がってしまっている肩。
完全に少女はいい意味で興奮状態にあるようだが、
彼女を興奮させた原因に心当たりのないレッドは思わず首をかしげた。

 

「…どうした?」
「シロガネ山は限られた強いトレーナーしかいけない場所だから…!
そこで修行されてるってことは…強いんですよね……!」
「…それを知ってるってことは、そっちもそれなり?」
「い、いえ…私なんかまだまだです…!」
「(謙虚…。爪の垢をカイトに飲ませたい……)」

 

シロガネ山に足を踏み入れることを許されているトレーナーも限られているが、
シロガネ山のついての事実を知っている人間も限られている。
そもそも、セキエイ高原に足を踏み入れることができるトレーナー自体が少数なのだ。
本人はまだまだだと言ってるが、十中八九――この少女はジムリーダークラスの実力を持っているだろう。
久々に出会った骨のありそうな一般トレーナーにレッドの闘争心がうずきだす。
今すぐにバトルできるならバトルとしゃれ込みたいところだが、ここはその気持ちに蓋をして、
甘い蜜を手に入れてシロガネ山のリングマたちと和解するのが、今のレッドにとっての最良だ。
ぐっとレッドが自分の気持ちにセーブをかけていると、
不意に数個のつぼを持ったミツハニーたちがレッドたちの頭上に姿を見せた。

 

「もしかして…」
「はい、あれが甘い蜜です。あれだけあればリングマたちの機嫌もきっと良くなると思います」

 

少女の「受け取ってください」という言葉に促され、
レッドはミツハニーたちから甘い蜜の入ったツボを受け取ると、
甘い蜜を入れるために用意しておいた荷物袋にツボを入れていく。
その作業をしながら、レッドは今更な質問を少女にぶつけた。

 

「名前は?」
といいます」
…か。俺はレッド。――はここでミツハニーたちを守ってるのか?」
「…いえ、今日はたまたまここに遊びに来ただけで…」
「…なら、今後の予定は特にないのか?」
「はい」

 

レッドの意図が読めていないらしい少女――はレッドの顔を見ながら不思議そうに首をかしげる。
しかし、レッドに対する不信感などは抱いていないようで、
ただレッドがなぜ自分にそんな質問をするのか不思議に思っているだけのようだ。
のその反応を見たレッドは、特に表情を変えることはせずにとある提案をに持ちかけた。

 

「シロガネ山に行ってみないか?」
「…えっ……!?」
「許可を受けているトレーナーの同伴があれば、未許可のトレーナーでも入っていいらしい。
…シロガネ山に興味があるなら悪い話しじゃないだろ」
「い、いいんですかっ…?!」
「偶然とはいえ、のおかげでカイトの策にはまらなかった。その礼はしたい」

 

――というのは建前で、レッドの本心はとバトルがしたいというだけ。
早くリングマたちと和解もしたいが、とのバトルは捨てきれない。
そこでレッドの頭に浮かんだ選択肢は、自分の用が済むまでを自分の傍に置くというものだった。
ラッキーなことに、シロガネ山に興味を持っているにとっても悪い話ではないため、
が首を縦に振る可能性は十分にある。
ワクワクしながらの返答を待っていると、突然のモンスターボールから一体のトリトドンが姿を見せた。

 

「?」
「こ、紅霧…?」
…………クォオ…………よいぞ

 

じっとレッドを眺めたあと、一声鳴くとトリトドンはすぐさまボールの中へと戻っていく。
トリトドンがなにを言ったのかわからずレッドは足元のピカチュウに視線を向けると、
ピカチュウはあのトリトドンがにレッドに同行することを認めたのだと説明してくれた。
ピカチュウの言葉を聞き、ということは――とレッドはに視線を向けると、なぜかは驚いた表情を浮かべている。
だが、不意に自分のトリトドンの言葉を理解したらしく、嬉しそうに笑うと、
レッドに「よろしくお願いします」と頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■いいわけ
 レッドさんと金剛石主を会わせてみました。個人的にこの2人は兄妹みたいで好きなコンビです(笑)
冷静に見えて破天荒な兄に、大人しいながらもフォローのできる妹。――そんな感じで旅してくれたら燃えます。
 因みに、この話は【教訓「反省は大事」】のその後の話になっています。